コラム  国際交流  2015.10.01

「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第78号(2015年10月)

小誌は大量の資料を網羅的かつ詳細に報告するものではない-筆者が接した情報や文献を①マクロ経済、②資源・エネルギー、環境、③外交・安全保障の分野に関し整理したものである。紙面や時間の制約に加えて筆者の限られた能力という問題は有るが、小誌が少しでも役立つことを心から願っている。

 世界の至る場所で様々な危険や不確実性が満ち溢れている。ドイツの社会学者、ウルリッヒ・ベック氏は著書Das deutsche Europa (German Europe)を2012年に公表して欧州の昏迷を予見し、警鐘を鳴らしていた。それが故に、今年の元旦に亡くなられたこの理想主義者の鋭い洞察に満ちた見解を、今は伺えないことが悔やまれてならない。同氏は様々な危険にさらされる現状に関し、次のように語っていた。即ち、

世界の現状--世界リスク社会(Weltrisikogesellschaft)--は、「万民の万民に対する闘争(bellum omnium contra omnes; der Krieg aller gegen alle)」の帰結ではない。が、だからと言って「万民の万民に対する愛情(ein Liebesverhältnis aller mit allen)」、即ち、人類愛を頼りに現状から抜け出すことは無理なのだ。いま為すべき事は、声を出して語ったとしても国外では殆ど通じない"沈黙の言葉(das Schweigen der Wörte)"を弄する代わりに、グローバルに通じる質の高い情報・意見の交換を行うことである。

 質の高い情報・意見交換のなかで筆者の関心を惹くのは、米中両国間の(更には我が日本が加わった)対話だ。これについては、内外の友人達と最近発表された文献に関し、下記のような意見の交換を行った。

特に①Rosecrance and Miller, eds., The Next Great War? The Roots of World War and the Risk of U.S.-China Conflict (MIT Press, Nov. 2014)や②Copeland, Economic Interdependence and War (Princeton Univ. Press, Nov. 2014)は興味深い。①は小誌1月号で触れた本(多数の米中の研究者が執筆したPower and Restraint)の続編のような本で、カーター国防長官は今回参画しなかったが、リチャード・クーパー教授のほか、MITのスティーヴン・ヴァンエブラ教授やコロンビア大学のジャック・スナイダー教授等が、新たに執筆陣に加わった。興味深いのは、グラアム・アリソン教授が米中間に存在する"ツキジデスの罠(the Thucydides Trap; 修昔底德陷阱)"を懸念し、リチャード・ローズクランス教授と共に、「世界平和には尋常ならぬ努力が両国の指導者に不可欠」と主張している点だ。ローズクランス教授は、ケンブリッジ大学のクリストファー・クラーク教授の近著(The Sleepwalkers: How Europe Went to War in 1914 (HarperCollins, Mar. 2013))に言及しつつ、第一次世界大戦直前、指導者が冒した愚行を指摘された。即ち、彼等は"夢遊病者(Sleepwalkers)"の如く、夢の中で"注意深いが、本当は何も見ていない(watchful but unseeing)"状態に陥り、現実的・理性的に考えずに開戦に突進したのだ。この文献①が示唆する悲観論とは異なり、文献②は、複雑に絡み合う政治経済関係を綿密ながらも楽観的に考察しており、筆者は内心「ホッ」としている。

 友人達とは次の事柄についても議論した--①9月3日の抗日戦争勝利70周年記念軍事パレードや新刊書(PLA Influence on China's National Security Policymaking)等(次の2を参照)、②我が国の安保法、③米国大統領選、また④不確実性が高まる世界景気等。面白かったのは、訪日中の中国の友人が、②の国会での秩序無き言動(dysfunctional parliamentary democracy)や③の米国大統領選での"口の騒がしい候補者(garrulous candidates)"の乱立を批判し、中国の秩序正しさと威厳ある態度に対し、筆者の意見を聞いたので次のように答えた次第である。

日本も秩序を重視する国だが、リハーサルを幾度も重ねた軍事パレードには驚かされ、中国独特の"審美感・老獪さ"に感心すると同時に碩学Max Weber先生の言葉を思い出した。2年前、ベルリンで中国に関する見解を求められたが、ドイツ人の理解を促進するため、Weber先生のご著書『儒教と道教』(Die Wirtschaftsethik der Weltreligionen: Konfuzianismus und Taoismus)に言及した(新たな漢訳«儒教与道教: 世界宗教的经济伦理»が3年前に出版されている)。即ち、中国は「家産制国家(der patrimonialistische Staat; 家产官僚制国家)」の性格を未だ根強く残している。焦眉の急とされる国有企業(SOEs)改革の動きも、先生の分析を念頭に観察すると理解が一段と深まるであろう--「儒教徒のきびきびした言動が目指すものは、外面的身振りや威厳ある作法、即ち"面子(メンツ)"なのだ。...つまり"態度"自体が、内容とは関係無く評価され追求されるのである。...儒教徒の言葉は美しくまた鄭重で、それ自体が目的となったのである (Die wache Selbstbeherrschung des Konfuzianers ging darauf aus, die Würde dr äußeren Gesten und Manieren, das „Gesicht" zu wahren. . . . „Haltung" an sich, ohne bestimmeten Inhalt, wurde geschätzt und erstrebt. . . . Das Wort des Konfuzianers war schöne und höfliche Gebärde, die ihren Selbstzweck hatte.)」、と。



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「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第78号(2015年10月)