参院特別委員会で可決された安全保障関連法案は、冷戦終結後の日本の防衛・安全保障政策の「総まとめ」とともに、新しい安全保障上の課題への対応という二つの側面がある。過去25年間にわたり、日本は国連平和維持活動(PKO)への参加(国際平和協力法)、周辺事態に対する後方支援の拡大(周辺事態法)、グローバルな対テロ活動への支援(テロ対策特措法等)など、さまざまな形で自衛隊の役割を拡大させてきた。
しかし、こうした政策の積み重ねは、数多くの新規法案と既存の法改正による継ぎはぎの増改築工事による政策の展開だった。こうした中で、日本を取り巻く脅威の性質や自衛隊に求められる役割が空間・領域横断的に展開しているにもかかわらず、日本の安全保障政策や法制度は空間・領域別に「切れ目」や縦割りがあるという弊害が生じるようになった。
今回の安全保障関連法制は、こうした法的・政策的な歪みを、「総まとめ」として包括的に整備しなおし、切れ目ない安全保障体制を目指したことに大きな意義がある。
新しい安全保障上の課題で最も重要なのは中国の台頭だ。中国の海洋進出と海空軍力の急速な強化は日本を取り巻く安全保障環境を二つの局面で変化させている。一つは東シナ海と南シナ海における「グレーゾーン事態」の深刻化だ。中国の沿岸警備組織(海警局)、資源探査船、民間船舶などの活動の増大や、一方的な資源開発や埋め立てなどの行動は、従来の自衛権と警察権の隙間を埋めなければ対応できない。
もう一つは中国の軍事力の拡大が、自衛隊の航空・海上優勢を脅かし、また米軍の東アジアへの関与に対する高いコストを課することにより、紛争抑止や対処の方程式を変化させていることだ。この新しい安全保障環境下で日米同盟の役割を強化していくことは不可欠だ。安保関連法制によって、こうした新しい課題に対応できる態勢を整えることになる。
政府が集団的自衛権の行使を限定的に認めたこと、重要影響事態や国際平和活動における後方支援の範囲を拡大したことには、自衛隊のリスクの増大を懸念する批判がとりわけ強かった。もちろん安全保障政策にはリスクを伴う。ただそこには作為のリスクがあれば不作為のリスクもある。
政府の不作為によって国益が侵害され、同盟が弱体化し、人道危機が放置されるような国家像であってはならないはずだ。これを総合的に判断するのが政治の責任だ。そして安保法制で規定された存立危機事態、重要影響事態を見極めて、国際支援の是非を判断できる指導者を選ぶのは国民の責任である。
安全保障関連法制は、大変複雑に構成されており、分かりにくいものとなっている。世論調査でも反対が上回り、国民的理解が十分に得られていない状況については、率直に言って政府、与党の努力不足を指摘しないわけにはいかない。政府はこれまで便宜的な事例紹介を繰り返したり、極端な単純化を試みたりと、拙い説明が目立った。
本来であれば超党派で推進すべき安全保障政策にもかかわらず、国民やメディアに深いイデオロギー的分断が生まれた原因の一端は、政府の戦略的コミュニケーションの不出来にある。日本における安全保障論の一層のレベルアップが必要だ。