メディア掲載  外交・安全保障  2015.08.04

コスト賦課戦略

読売新聞2015年7月27日に掲載

 米国の対中戦略をめぐる議論のなかで「コスト賦課戦略」(cost-imposing strategy)という概念が注目されている。特定の国の望ましくない行動に対するコストを賦課することによって、そうした行動を自制させることが、同戦略の目的である。

 この典型的な例は、冷戦期のソ連が米国との核兵器や通常戦力をめぐる消耗戦によって疲弊したように、相手の戦略的弱点に多くの資源を投入させ、結果として有害な行動を起こす余地を狭めたことである。米国の戦略論の専門家らは、こうした冷戦期の対ソ戦略を参考にしながら、急速に台頭する中国との長期的な競争において、米国が優位な立場を維持することができるか、を議論の焦点としている。

 しかし冷戦期の対ソ連戦略と現代の対中国戦略におけるコストの捉え方は随分と異なる。前者が核戦争のエスカレーションに結びつく戦争の勃発を念頭に置いていたのに比べ、後者は現状ではむしろ戦争に至らない領域において徐々に現状が侵食される状況が問題視されている。こうした背景のもとで、今日のコスト賦課戦略をめぐる議論は、中国の軍事的台頭と海洋進出を背景に、力による現状変更を阻止するための具体的な方策の検討へと歩を進めている。

 例えば、新米国安全保障センター(CNAS)は昨年9月に発表したレポート「海上における威嚇に対する政策課題」において、中国の威嚇的な海洋進出に対し「軍事衝突へとエスカレートすることも、不作為によって現状変更に至ることも許さない対抗措置」として軍事的・非軍事的対応を横断したコスト賦課戦略を唱えている。

 こうしたコスト賦課戦略の軍事的対応には、①米国の軍事プレゼンスの強化②同盟国・パートナー国との軍事演習・訓練及び共同行動の実施③中国の弱みに着目した米国・同盟国・パートナー国の軍事・警察力の強化が挙げられている。非軍事的対応には、①海洋状況監視能力の強化②国際世論の形成などの外交力③貿易投資関係の多角化や過度の中国依存を回避する経済政策などが掲げられている。

 こうした軍事的・非軍事的なコスト強要戦略により、中国が自らの行動に高い代償が伴うことになることを認識し、費用便益の観点からそのような行動を自制することが望ましいと考えれば、この戦略は有効である。しかし、上記のコストが中国のいかなる行動を自制させるのか、その関係性は未だに明確ではない。コスト賦課戦略の目的、手段、運用方法、評価については、さらなる議論の深まりと概念の精緻化が求められる。