メディア掲載  グローバルエコノミー  2015.07.27

歴史研究で深まる経済への理解-第17回世界経済史会議・京都大会を機に

『経済セミナー』2015年6月・7月号に掲載

1.歴史研究が経済研究に与えるインパクト
 近年、長期の歴史的データに基づく経済書が、関連分野の研究者や学生の範囲を超えて、幅広い読者層から反響を呼ぶケースが目立っている。直近の例としてはトマ・ピケティの『21世紀の資本』(山形浩生他訳、みすず書房、2014年)がある。ピケティの書物は、18世紀から21世紀初めに亘る期間について、主要先進国の所得分配に関する連続したデータを構築して所得分配の長期的な動きを明らかにし、その動き引き起こす原動力について考察している。
 また数年前には、カーメン・ラインハートとケネス・ロゴフの『国家は破綻する-金融危機の800年』(村井章子訳、日経BP社、2011年)が大きな話題となった。本書は途上国を含む多くの国々について金融危機のデータを数百年に亘って収集し、金融危機は長い歴史の中で繰り返し生起してきたこと、その発生の仕方に共通のパターンが見受けられること、経済が拡大した際に「今回は違う」(バブルではなく実体をともなっており、また政策によってうまく制御することができる)という思い込みが人々の間に拡がる傾向があること、などを明らかにした。
 経済に関する歴史研究が広く大きなインパクトを持った事例は、一般読者の反響という点を別とすれば、近年に限られたものではない。今日に至までマクロ経済学において有力な位置を占め続けているマネタリズムの基礎には、ミルトン・フリードマンとアンナ・シュワルツが行った米国通貨金融史の研究がある(Milton Friedman and Anna Schwartz, A Monetary History of the United States, 1867-1960, Princeton: Princeton University Press, 1963)。フリードマンらは、19世紀~20世紀の約100年間に亘って、米国のマネーサプライの長期時系列データを構築し、それを他のマクロ経済データと比較することを通じて、マネーサプライと物価・名目GNP・実質GNPとの間に安定した相関関係があることを見いだした。さらに彼らは、記述的歴史資料の検討を通じて、少なくともいくつかの大きなマネーサプライの変動は外生的であり、上記の相関関係の実体は、マネーサプライから他のマクロ経済変数の方向への因果関係であると論じた。

2.歴史研究の力の源泉とは
 以上のように、経済研究において、歴史に関する研究が大きなインパクトを与える場合があるのはなぜだろうか。それにはいくつかの明確な理由があると考えられる。まず、経済に関して、それほど頻繁に起こるわけではないが、重要な現象があるという事情が挙げられる。わかりやすい例は上記の金融危機である。2008年のリーマンショックについては「100年に一度」といった表現がしばしば用いられた。このような現象について十分な情報・データを得るためには、ラインハートとロゴフが行ったように、長期間に亘って過去の歴史を遡ることが必要になる。そして、こうした事情はマクロ経済に関わる事象一般に程度の差はあれ共通している。所得分配にせよ景気循環にせよ、マクロ経済現象は、ほぼ定義によって、国等の一つの大きな経済単位に対して1時点につき1つしか観測できないからである。
 経済に関する研究において歴史研究が持つ力の源泉は他にもある。フリードマンとシュワルツの研究が説得力を持ったのは、長期時系列データの構築と分析のみによるものではない。その後のケインジアンとの論争で主要な論点となったように、マネタリズムの議論の核心はマネーサプライの外生性にある。この主張を裏付ける作業を、フリードマンとシュワルツはニューヨーク連邦準備銀行総裁であったジョージ・ハリソンの残した文書や、連邦準備制度理事であったチャールズ・ハムリンの日記など、豊富な情報を含む内部資料を用いて行っている。このような内部資料は、関連する出来事が進行中の時期には秘密性が高く、研究者は利用することができない。歴史的な過去の出来事となった経済事象を研究することの本質的な利点の一つは、こうした内部資料の利用可能性にある。
 この利点は、マクロ経済に関する研究よりもむしろミクロ的現象に関する研究において強く発揮される場合が多い。オリバー・ウィリアムソンはロナルド・コースの企業理論を発展させて取引コスト経済学を確立するにあたり、アルフレッド・D・チャンドラーJr.による企業の歴史に関する研究に多くを依拠している。チャンドラーは、その著書『組織は戦略に従う』(有賀裕子訳、ダイヤモンド社、2004年)において、デュポン、GM、スタンダード石油等のアメリカ大企業の内部資料を検討することを通じて、企業という組織の役割と企業内部の組織構造の意味を説得的に記述し、取引コスト経済学を含むその後の研究に大きな影響を与えた。

3.今夏、世界経済史会議が京都で開催される
 ここまでに挙げてきたいくつかの事例は、歴史研究が経済についての理解や経済学の発展に貢献してきたことを示すと同時に、歴史研究が現実の経済問題や経済学の発展によって動機付けられてきたことをも例証している。
 後者のケースは、所得分配や金融危機以外のテーマについても数多く挙げることができる。例えば、19世紀後半以来の日本経済の発展に続いて20世紀末から中国経済が台頭してきたことは、従来の西欧中心の近現代経済史の見方に再考を迫っている。地球温暖化等の現代の環境問題は、環境経済史への関心を高めている。また、制度・組織の経済学や空間経済学の発展は、その枠組みと視点に立った経済史研究を活発化させている。これらを含む経済史研究の最近の動向については、Journal of Economic History, Economic History Review, Explorations in Economic History、『社会経済史学』、『歴史と経済』等の経済史分野の学術誌に掲載されている論文や、各国・地域の経済史関係の学協会が主催する学会での発表を通じて知ることができる。
 また、各国・地域の経済史関係学協会はInternational Economic History Association (IEHA)という国際的な連合体を組織しており、IEHAは1960年から、4年に1度(2009年からは3年に1度)、世界経済史会議(World Economic History Congress, WEHC)という大会を行ってきた。そして、17回目の世界経済史会議が、2015年8月3~7日に国立京都国際会館で開催される(http://www.wehc2015.org/)。これは日本を含むアジアで開かれる最初の世界経済史会議であり、海外からの参加者を中心に約1,000名の経済史と関連分野の研究者が参加すると予想される。そこでは、上記のような新しいテーマだけでなく、長く研究されてきた古典的なテーマも含めて、数多くの研究が発表され、意見交換が行われることになる。また、Abhijit Banerjee、Pranab Bardhan、Nicholas Crafts、Avner Greif、斎藤修、Bin Wongといった経済史および開発経済学分野の卓越した研究者による招待講演が予定されている。本会議が経済史研究の一層の発展をもたらし、それを通じて経済と社会に関する理解の一層の深化に寄与することを期待している。