コラム  国際交流  2015.06.05

「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第74号(2015年6月)

小誌は大量の資料を網羅的かつ詳細に報告するものではない-筆者が接した情報や文献を①マクロ経済、②資源・エネルギー、環境、③外交・安全保障の分野に関し整理したものである。紙面や時間の制約に加えて筆者の限られた能力という問題は有るが、小誌が少しでも役立つことを心から願っている。

 3月の北京で語り合った事柄の中に、5年に1度開催される世界哲学会議がある。長年のハーバード大学での研究後、帰国された杜維明北京大学高等人文研究院長が、2018年、中国(主催国)で指導的役割を果たされると知って喜んだ次第だ。その時、或る友人が「ジュン、僕は素人だが、中国経済の将来について楽観派・悲観派、専門家の間でも分かれており、判断がつかない」と語った時、思わず噴き出してしまった。筆者は「デカルト先生は"物事には真理が一つしか無い(n'y ayant qu'une vérité de chaque chose)"と言うけれど...」と言って、次のように加えた。

 哲学を含む多くの分野で専門家は様々な理由で対立している。専門家の異なる価値観・人生観を別にしても、例えば、
 ①最新の情報が手元に無いために生じる誤断--チェルノブイリ事故発生直後、或る専門家は「科学者は...特別機で原子炉に着いたが、その多くは、ひげ剃りすら持参しなかった。数時間で済むと思っていたのだ(Ученых. . . . прилетели на реактор спецрейсом, но многие даже не взяли с собой бритвенные приборы, думали, что летят на несколько часв)」と報告している。
 ②近傍の専門分野に関する知識不足を起因とする誤謬--日本の代表的中国文学者、吉川幸次郎先生が、日本文学の専門家によって編纂された『荻生徂徠全集』に関し、大学時代の筆者に語られた事を思い出す--「編者が江戸時代に荻生徂徠が読んでいた中国の原書を充分理解していないためにこの『全集』には誤りが多い」、と。
 ③革新的な知見に対し、専門家が或る時期に十分な注意を払わなかった場合の誤断--数学者のガウスは、アーベルの業績を評価せず、またヴェーゲナーの「大陸移動説」に対し専門家の多くが否定的であった。そして、青色発光ダイオードに関する優れた研究者、赤﨑勇先生も国際会議で反響がなかった時、「我ひとり荒野を行く」という言葉を残している。こうして高名な専門家の中にも、"轍(わだち)に填(は)まったような考え(grooved thinking)"に、時折凝り固まる人がいる。

 対立する専門家の意見を前にして、我々素人は専門知識が無いが故に、各々の専門家が属する学派や組織、そして語り口・プレゼンテーションの良し悪しで、彼等の主張・真価を感覚的に判断し勝ちだ。これに関して、ノーベル経済学賞受賞者のダニエル・カーネマン教授は、「理性の声はより小さく聞き取りにくく、誤った直感の声の方が大きく澄みきって通る(The voice of reason may be much fainter than the loud and clear voice of an erroneous intuition)」と語った。かくして我々は、専門家と共に謙虚さと慎重さを忘れず、社会全体にとってより良き対応策を案出・実施していく必要がある。

 不確実性に満ちた政治経済環境下では、"明快で分かり易い"表現を得意とし、単純な主張を繰り返して、 "催眠術的魅力(the hypnotic charm)"で詭弁を弄する人々が論壇を闊歩する危険が生まれる--1920年代、大混乱の渦中にあったドイツにおいて、ヒトラーは「賢明かつ粘り強く宣伝すれば、天国さえ地獄として国民に見せることが可能で、最も不幸な生活も楽園に描いて見せることが出来るのだ(durch kluge und dauernde Anwendung von Propaganda einem Volke selbst der Himmel als Hölle vorgemacht werden kann und umgekehrt das elendeste Leben als Paradies)」と語った。このような危険を回避するため、我々は冷静かつ理性的に意思決定する材料を、謙虚であっても積極果敢に発信する必要がある。こうして筆者は、フランシス・フクヤマ教授による論文("The End of History")を掲載して日本でも有名になった米誌The National Interest最新号の表紙の言葉"戦争までの秒読み(Countdown to War)"を眺めている。


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「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第74号(2015年6月)