コラム  国際交流  2015.03.04

「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第71号(2015年3月)

小誌は大量の資料を網羅的かつ詳細に報告するものではない-筆者が接した情報や文献を①マクロ経済、②資源・エネルギー、環境、③外交・安全保障の分野に関し整理したものである。紙面や時間の制約に加えて筆者の限られた能力という問題は有るが、小誌が少しでも役立つことを心から願っている。

 現在、1月初旬に人工知能(AI)関連の国際会議(The Future of AI: Opportunities and Challenges)に参加した友人と、電子メールで情報交換を行っている。これに関連してボストン大学とコロンビア大学の研究者が発表したロボット技術に関する論文を、内外の友人達と議論している(「ロボット達は我等と同じ: 人的補充の経済学的考察("Robots Are Us: Some Economics of Human Replacement")」、次の2を参照)。この論文の関心事は①ロボット達は、嘗て馬から内燃機関へ代替した如く、人間に対し代替可能であるのか、また②ロボット達は、我々人類の経済的厚生を上昇させるのかどうか、だ。単純化して結論を述べると、①は"Yes"で、②は"No"だ。

 この結論に対し読者諸兄姉は疑問に思うかも知れない。勿論、前提条件の変更で結果は大きく振れて、著者は複数の成長経路を示している--例えば、(i)ミゼラブルな結果に陥る成長経路(Immiserating Growth)や、(ii)楽観的な、巧緻を極めた成長経路(Felicitous Growth)等。そして今、更なる政策的分析が必要と友人達と語り合っている。結論部分に加え途中の考察も興味深く、真摯かつ意欲的な著者の態度に感心している--経済学の泰斗の議論、例えば、マルクス先生の「資本主義的蓄積の一般的法則(„Das allgemeine Gesetz der kapitalistischen Akkumulation")」やケインズ先生の"Economic Possibilities for Our Grandchildren"に触れ、ロボット技術と成長経路について温故知新の精神で論じている。

 温故知新といえば小誌前号で触れたアイケングリーン教授の著書(Hall of Mirrors)も読み応えがある--第17章では"Takahashi's Revenge"と題し、1930年代の恐慌時における高橋是清が採ったマクロ経済政策を取り上げ、主要国の中で群を抜いた"vigorous recovery à la Japan"と論じている(申し訳ないがau Japonかà la japonaiseが良いと思う)。「なぜ是清が優れた政策を採れたか」について教授は、英国の政策と比較しつつ考察を行っている--是清はロンドンのThe Times紙やケインズ先生の著書(『貨幣改革論(A Tract on Monetary Reform)』)を常日頃から読み、海外経済動向を観察し、更には学術的考察にも努力を惜しまなかったと教授は是清の本(『經濟論』)等を基に語っている。が、それだけならば「なぜ日本が優れたメディアと学者を有した英国よりも優れた政策を採り得たのか?」、と筆者は未だ納得していない。教授が指摘した点に加え、是清の卓越した"胆識"が果敢な政策の背景にあると筆者は考えている--即ち、是清は最先端の学術的知見を翻訳・配布し、赤字国債の意義を帝国議会や財界を相手に熱心に啓蒙した(例えばアーヴィング・フィッシャー教授のシカゴ大学講演録)。同時に「赤字發行と其の發行の限界」と題した文章の中でその問題点も忘れなかった。このため、満洲への進出に伴う歳出増に対して、厳しい態度で臨み、満洲事変後の1932年、第63回(臨時)帝国議会(俗称"救農"議会)で、(一夕会系の)軍部や在郷軍人会に圧倒されるまでは彼等に対し孤軍奮闘したのである。ところがこの是清の"胆識"が仇(あだ)となり、世界情勢と経済理論に暗い軍人達から恨みを買い、周知の通り二・二六事件で彼等に暗殺されたのである。

 さて新年に当たり天皇陛下が「ご感想」を述べられ、その中で「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。...この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なこと」と仰せられた。筆者も一国民として、冷静かつ謙虚に、歴史をより正確に学び直したいと思っている。


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「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第71号(2015年3月)