コラム  国際交流  2015.02.03

「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第70号(2015年2月)

小誌は大量の資料を網羅的かつ詳細に報告するものではない-筆者が接した情報や文献を①マクロ経済、②資源・エネルギー、環境、③外交・安全保障の分野に関し整理したものである。紙面や時間の制約に加えて筆者の限られた能力という問題は有るが、小誌が少しでも役立つことを心から願っている。

 年末に香港を訪れた際、友人と共にテレビ討論番組(时事辩论会)を視つつ日米中関係について語り合った。中国語であるが故に全てを聴き取れない筆者でも、論者達の雄弁な語り口に、快いテンポで流れるような発言を思わず信じそうになった次第だ。そこで、友人に「部分的にしか理解出来ないけれど、彼等は日米の資料を丹念かつ正確に読み、また本音で語り合える日米の知人を持っているの?」と尋ねてみた--彼の反応は、「恐らくは"No"」。

 筆者の同僚、中国問題の専門家である瀬口清之氏は、常々「メディアの偏った報道」を警告しているが、筆者はこの時、中国側の「偏った報道」の一端を垣間見た次第だ。確かに、こうした現象は何時でも何処でも指摘されている。第一次世界大戦時、偉大なフロイト先生も「偏った情報(einseitig unterrichtet)」を最初に問題視した(„Zeitgemäßes über Krieg und Tod", 1915)。日本の歴史を顧みても、優れた論者--例えば石橋湛山や清澤洌、更には馬場恒吾や河合榮治郎--の発言より単純で煽情的な論調のメディアが大勢を占めたことは記憶に新しい。

 冷静に考えれば「偏った報道」はメディアだけの責任でないことが分かる。そうした情報を鵜呑みにし、更にはそれを求める民衆の態度・資質にも責任を問うべきだ。フロイト先生も、「極めて説得力のある議論にさえ耳を貸そうとしない傾向(Unzugänglichkeit gegen die eindringlichsten Argumente)」や「容易に論破出来る議論にさえ無批判的に追随する傾向(kritiklose Leichtgläubigkeit für die anfechtbarsten Behauptungen)」という人間の思考自体に内在する「特別な後退作用(besondere Fähigkeit zur Rückbildung)」を指摘した。フロイト先生同様、ヒトラーによって故郷を追われた心理学者エーリッヒ・フロムも、人々の「意見」は、その殆どがマスコミ情報をそのまま「記憶した情報」であり、「自らが論理的に考え抜いた意見」ではないという「擬似的思考(pseudo thinking)」の問題点を指摘している(Escape from Freedom, 1941)。先に触れた瀬口氏は、中国で活動する日系企業のうち、本社が主として日本語情報を基に中国情勢を判断している場合、現地駐在員は、現地・本社間に存在する現状認識と対応策等のズレに苦しみ、更には企業自身が折角のビジネス・チャンスさえも逸している状況を指摘している(『日本人が中国を嫌いになれないこれだけの理由』 日経BP社 2014年)。

 2013年12月、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)は、メディアと情報に対するリテラシー(適切に理解・解釈・分析・記述表現する能力; Media and Information Literacy (MIL))が、グローバル化の進展に伴い大きく変化する状況を踏まえ、報告書を発表した("Global Media and Information Literacy Assessment Framework: Country Readiness and Competencies")。情報通信技術(ICT)が急速に発達するなか、正確な情報と共に、誤謬・悪意に満ちた情報も世界中に溢れるようになっている。こうした状況の下で、我々が特定分野に関する正確な判断を下すためには、①必要とされる情報を的確に収集・選別し、②その情報を優れた知識に基づき正確に理解し、その上で③適時的な判断を下し、かつ簡明な形で情報発信しなくてはならない。即ちグローバルなMILを洗練させる重要性が一段と高まったのだ。ただ、こうした正確な判断を下すには一人では殆ど不可能である。かくして情報の収集・分析・判断・発信を行う「組織」ないし「仲間・集団」の存在が不可欠となる。こうした理由から、筆者は瀬口氏をはじめ内外の友人・知人と協力して、我々のMILを高めてゆきたいと考えている。


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「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第70号(2015年2月)