コラム  国際交流  2014.05.27

ウクライナ問題の波紋-経済制裁で一番損をしている日本-

シリーズコラム『小手川大助通信』

1.ウクライナ問題その4で、経済制裁の効果について書いた際に、ボーイングの航空機製造が、いかにロシア産のチタンに依存しているかということに触れた。この関係から、極めて注目すべきニュースが入ってきた。毎年サンクトペテルブルクで世界経済フォーラムが開催されている。通常は6月半ばなのであるが、今年はワールドカップサッカーと同時期になることを避けて、5月22日から24日に開催される。従来から参加者の大多数はロシアの政財界のほかはドイツ勢を中心とする欧州の政財界と、米国の財界、そして、アジア系(中国、韓国、シンガポール)の政財界であり、我が国からの参加だけは極めて少数である。最近入ってきた情報は、ボーイング社が、米国政府からこのフォーラムを欠席するよう強い圧力をかけられたにもかかわらず、参加を決定したというニュースである。ボーイング社の最高幹部が出席するか否かは明らかでなく、恐らく、米国政府としてもランクを下げたところで出席を受入れたのだと考えられるが、これは、「経済制裁」という言葉に過度に反応して必要以上の自粛をしてしまうという心理的な悪影響から抜け出す観点からは、極めて重要な事実だと考えられる。


2.日ロの関係については、昨年5月連休時の安倍首相の訪ロの際に、安倍総理にかってない数の日本の財界人が同行し、ロシア側との接触が始まった。ロシア側としては放っておくと中国に蹂躙されかねない極東地域の経済について、日本との関係を強化して中国への対抗勢力にしたいとの気持ちがあるものと思われる。極東地域の問題については、「ロシアで最も衰退している極東地域が、世界で最も成長の著しい東アジアに位置しているというパラドックスを解決するのが、プーチン政権にとっての主要課題」というロシア政府高官の言葉によく表されている。しかしながら、ロシアは人口で見ればドイツの2倍近くと欧州最大であり、市場としての価値は極めて高い。特に、経済インフラ建設のポテンシャルは鉄道、道路、空港とほぼ無限というくらい存在するし、従来から注目されてきたエネルギー部門や資源に加え、最近では中産階級の増加により、消費財の市場としても可能性が高まってきている。中国については、「2000年に日本と同じ生活水準の中国人は全く存在しなかったが、2010年にその数は1億人となり、2020年には7億人に増加する」という見通しの下、最近我が国のサービス産業の中国進出が目覚ましいものになっているが、実はロシアでも、中国に比べれば小さいものの同じような現象が進行している。そして、このような成長の過程で、合弁の相手としてふさわしい中小企業も急速にロシア国内で成長してきている。また、1998年にいったん破たんした国家財政も、その後の極めて保守的な財政運営の結果、外貨準備高は中国、日本、サウジに次いで世界第4位の水準となり、遂に、昨年にはこの一部を取り崩して、経済インフラ建設のための外資導入の呼び水として、ロシア側のマッチングファンドを創設したところである。


3.ふりかえってみると、我が国とロシアとの経済関係は、漁業資源や、エネルギー、資源という極めて狭い分野にこれまで限られてきており、経済交流や留学生などの人的交流の薄さが、領土交渉という観点から見ても、極めて不利な状況にあることは否めない。領土交渉という観点から見ても、これまでのような歴史や法律的な解釈の問題ではなく、経済関係を基礎にしたもっと広いマクロの観点から両者の関係を構築するべき時期に来ている。ロシアと我が国の産業構造は、中国と比較しても極めて補完的であり、我が国の企業でもこの点に早い時期に目を付けた、コマツ、味の素、トヨタといった企業は、目覚ましい成果を上げてきている。以上の観点から見れば、安倍総理の訪ロに続く日ロの経済関係の強化は当然の成り行きであった。安倍総理のソチ冬季五輪の開会式出席もこの観点から極めて時宜を得たものであった(中国も習近平主席の出席を決めている)。このような中で、米国、豪州に続いて開催された日ロの防衛分野での2バイ2の会議も日ロの交流拡大の面で極めて重要な意味を持っていた。


4.このような日ロの経済面の交流の活発化の最中に降ってわいたのがウクライナ問題である。ウクライナの政権交代の2月22日の1か月後の3月18日に東京で日ロの3大臣会合と、財界のフォーラムが予定されていた。ロシア側は経済大臣、農業大臣、環境担当大臣、日本側もこのカウンターパートの3大臣の出席が予定されていた。親日家のロシアの環境担当大臣に至っては、会議の前、17日に訪日したくらいである。ところが、この時期になって、米国から、「制裁」の話が持ち出されてきた。2008年のグルジア紛争の際にも制裁は一切行われていないにもかかわらず、オバマ政権は今回、やおら経済制裁を持ち出し、しかも単なる個人を対象にして査証発行停止や資産凍結から、より広範囲の経済制裁をちらつかせてきたのである。このような背景の中で、3月18日の会議について、日本側は3大臣の出席を急きょ取りやめた。背後に米国政府による我が国政府に対する強力な圧力があったことは想像に難くない。日本側欠席のため、ロシア側は、出発していなかった大臣については出発を取り消し、来日していた環境担当大臣は急きょ帰国するという事態になった。一方、財界人会合については約1000名の参加者を得て盛大に開催され、民間人ということから、プーチンの側近中の側近であるセーチンロスネフチ社長も参加した。


5.4月28日にはモスクワに外務大臣が訪問し、同じ日に財界人会合が予定されていた。これらの会議については、当時の状況を踏まえ、日ロ間で話し合った末、延期することになった。これに先立つオバマ訪日の際に、米国側が対ロの経済制裁について我が国に強い圧力をかけてきた(ドイツに対しても同じような強い圧力がかけられ、そのためにメルケル首相訪米後直前にウクライナで意図的な紛争の勃発が行われたことは前の通信に書いた通りである)。そして我が国は4月29日に追加制裁(23名についての査証の発行禁止)を発表した。


6.このような状況の中で、上記の通り、制裁を他国に働きかけてきた米国も、自らの企業であるボーイング社がサンクトペテルブルクの会議に出席することを阻止できなかったのである。最近の状況を見ても、ボーイング社の件に加えて留意すべきなのは、プーチン大統領に、シーメンス、ロイヤルダッチシェル、ブリティッシュペトリアムといった欧州の大企業のトップが面会していることである。また、筆者は5月初めのモスクワ訪問の際に、6月18-20日にソチで開催される国際鉄道会議に講演者として招聘された。招聘先を見ると、驚いたことに、中国などのロシアの友好国だけでなく、ドイツ、フランス、オランダ、韓国といったいわゆる西側の国の鉄道関係者の代表がずらりと名前を連ねている。事務局に問い合わせたところ、欧州諸国も予定通り出席する予定とのことであり、フォーラムを舞台にして、モスクワ周辺の新幹線鉄道網やシベリア鉄道の改善、延長計画について、各国の激しい売り込み競争が展開されることが予想される。


7.そもそも、現在のように各国の経済が相互に深く絡み合っている中で、制裁の対象国だけの負担となる「経済制裁」というものは困難であることは、以前の通信に述べたとおりであり、これまでの制裁については、これが効果を有しているかについては甚だ疑問である。ロシアを孤立させようという狙いは分かるものの、では、制裁を通じて、米国としては、最後はどのような出口に導こうというのか、戦略性が全く感じられないところに問題がある。プーチンの取り巻きを対象にしても、80%を優に超えるという史上最高の支持率を誇る大統領に対して、その取り巻きが何か意見を言うかというと、当然のことながら悲観的にならざるを得ない。


8.では、「制裁」は全く意味がないのであろうか。そうではない。中長期的にみると、制裁の存在は、我が国企業のロシアに対する新規投資を慎重にさせるという心理的な悪影響が心配される。例えば最近報道されたのは、昨年の安倍首相訪ロを契機にロシアと我が国の金融機関との間で進められてきたプロジェクトファイナンスや協調融資の話が3月以降日本側から急遽解約を通告され、そこに、米国や欧州の金融機関が代わりに入ってきているというニュースである。これについては、問題になった貸付は新規案件ではなく、従来からの貸付の更新をしなかったものということであるが、企業心理に与える影響については十分注意する必要がある。近々、ロシア大手銀行の幹部がアジアを訪問することが予定されているが、その際の訪問先も主体は香港、上海やシンガポール等で、日本は含まれない方針である。更に、また、今年6月~7月にモスクワ-カザン間のロシアの最初の高速鉄道の建設についての海外でのロードショー(宣伝活動)が計画されているが、アジア地域の訪問先は、中国、韓国、台湾、シンガポールで日本は含まれていない。このような動きについては、我が国としても、心理的影響を受けずに、前向きに対処していく必要があろう。


9.上記のように、折角の昨年以来の日ロの経済交流のうねりが、ウクライナ問題とそれに続く米国からの圧力で心理的に萎もうとしている。政府としては、最近の状況を踏まえて、意味のない経済制裁を課することは避け、欧州に倣って、我が国としてロシアとの経済関係の強化に努めるべきであると考える。鉄道を含め、我が国が世界に誇る商品をロシアに提供していくことは、一般のロシア国民の生活向上にも資するものと考えられる。