コラム  国際交流  2014.03.20

ウクライナ問題について

シリーズコラム『小手川大助通信』

1.筆者は2009年に、ウクライナの経済危機、それに伴う欧州への天然ガス供給停止の可能性、IMFによるウクライナ支援に、IMFの理事会メンバーとして関与することになり、これを契機にウクライナ問題について勉強する機会を得た。今回は、現在進行中のウクライナの問題を、何回かに分けて掲載する予定である。概略は以下のものを予定している。

  ① 現在進行中のウクライナの状況について事実の確認

  ② 直近のウクライナ問題の経緯に関する事実の確認

  ③ 東西冷戦終了後のウクライナ問題の経緯

上記の3つの通信の中で、関係する歴史上の経緯についても触れる予定である。


 

2.第1回として、現在進行中のウクライナの状況についての事実の確認を行うこととしたい。


 特に、我が国のマスコミが伝えてない重要事項や、伝えられていてもその内容の掘り下げが不十分と思われるものを取り上げてみたい。その前に、昨年以来のウクライナ問題の進展について重要な期日だけをまず押さえてみると以下の通り。


2004年

10月31日 大統領選挙 ユーシチェンコが15万票差で首位。

11月21日 決選投票 ヤヌコーヴィチが当選と発表。ユーシチェンコ側は選挙に不正があったとしてストライキなどの反対運動を開始。オレンジ革命と呼ばれる。

12月26日 再決選投票 ユーシチェンコ52%、ヤヌコーヴィチ44%。ヤヌコーヴィチ側は選挙に不正があったとして最高裁に提訴。野党による政府施設の封鎖が発生。

12月30日 提訴却下。


2005年

1月23日 ユーシチェンコが大統領に就任。

2010年

1月17日 大統領選挙の第1回投票 ヤヌコーヴィチが1位(35%)、ティモシェンコが2位(25%)。(ユーシチェンコは5%で5位)

2月7日 NATO監視団の見守る中、決選投票。ヤヌコーヴィチ勝利。ヤヌコーヴィチ49%、ティモシェンコ46%。

2月20日 ヤヌコーヴィチの当選確定。

2013年

11月21日 ヤヌコーヴィチ大統領がEUとの提携協定への署名を撤回することを表明。これに対する反対運動が開始(当初は平和的)。

11月30日 反対運動が暴力化。キエフ市長官邸が占拠される。


2014年

2月21日 ウクライナ政府と野党、EUの代表(独、仏、ポーランドの外相)が危機解決に関する協定に調印。

2月22日 デモの最中に警官とデモ隊29名が射殺される。その後群衆が国会を占拠。国会がヤヌコーヴィチ大統領の解任を決議。

3月2日 クリミア半島が親ロシア勢力の支配下に。


 

3.このような経緯を頭においていただいたうえで、まず事実として興味ある事項を二つ提示したい。

 第1は盗聴されて3月5日にユーチューブにリークされたキャサリン・アシュトンEU外務大臣とウルマス・パエト エストニア外務大臣の電話でのやりとりである(これは2014年3月17日現在視聴可能である)。この会話はエストニアの外務大臣がキエフ訪問から帰還した2月26日に行われたものであるが、エストニア外務大臣は22日の射撃について、市民と警官を狙撃したのはヤヌコーヴィチ政権の関係者ではなく、反対運動の側が挑発行動として起こしたものであるということをアシュトン大臣に告げている。パエト大臣は全ての証拠がこれを証明しており、特にキエフの女性の医師は大臣に対し、狙撃に使われた弾丸が同じタイプのものであるということを写真で示したということである。大臣は新政権が、何が本当に起こったのかということについて調査をしようとしていないことは極めて問題であるとしている(エストニア外務省は、本件の漏洩された会話が正確なものであることを確認している)。

 第2は盗聴され、2月6日(木)にユーチューブに掲載された(これは2014年3月17日現在視聴可能である)ヴィクトリア・ヌーランド米国国務省欧州及びユーラシア担当局長とジェフリー・ピアット駐ウクライナ米国大使の1月28日の電話連絡である。我が国マスコミでは、局長がEUの煮え切れない態度に憤慨して、「Fuck the EU」という表現を使ったことが報道された。しかしもっと重要なことは、二人の会話の内容である。この中で、局長は反対勢力の中のリーダーシップに触れて、元ボクシング世界ヘビー級チャンピオンのクリチコ氏やスボボダ(「自由」を意味する名前の極右政党)の党首チャフヌーボック氏は問題があるので、(ティモシェンコに近い)ヤチェヌーク氏にスポットが当たるようにした方がいい、クリチコ氏は政府部内に入らない方がいいといった意見を大使に対して述べている。

 また、これはニュースで我が国でも報道されているので明らかとなっているが、11月のデモの開始以降、EU各国の政府関係者がキエフを訪れて、デモ隊の中に入り、彼らを激励しているし、上記のヌーランド局長はクッキーをデモ隊に配っている。
このように、ニュースではクリミア問題を始めとしてロシア政府の最近の動きが問題にされているが、少なくとも2月22日の政権交代までは、圧倒的に欧米諸国が色々な形で反対運動に関与してきたことが見て取れる。


 

4.それでは、なぜ、政権交代後時をおかずにロシア政府がクリミアへの軍の派遣に踏み切ったか、その理由を次に考察してみることとしたい。


 この点では以下の点を考慮することが重要である。


(1) 2月21日から22日にかけて何が起こったのか。

 2月21日の合意は、上記のようなメンバーで行われたのである(ロシア代表も出席)が、米国の代表は招かれていないことから、この合意が欧州とロシアの間で行われたことが見て取れる。合意の主要な内容は以下の通りであり外交的解決を図ったものであった。

  ① 2015年に予定されていた大統領選挙を前倒しして2014年12月に行う。

  ② 2004年憲法に復帰し、大統領制から議院内閣制にシフトするべく、憲法改正を行う。

  ③ 入獄していたティモシェンコ前首相の釈放。

  ④ 暴力行為の禁止(警官側も、反対デモ側も)。


(2) この合意は12時間と持たなかった。翌朝、独立広場に集まっていた反対派に対して狙撃が始まり数多くの人が殺害された。デモ隊は銃器も含めた暴力を行使したが、警官隊は21日の合意を守って暴力行為を控えたために、議会が反対派に占拠され、上記合意を行った反対派の一人であったクリチコは同意から身を引き、ヤヌコーヴィチは逃亡した。このような議会の群衆による占拠は狙撃に端を発したものであり、そこで、狙撃を誰が行ったかが重要になるのであるが、この点についての情報を与えてくれているのが上記のエストニア外相とアシュトン外相との会話である。


(3) 混乱の中で議会はヤヌコーヴィチ大統領を罷免し、大統領代理を任命するとともに、数日後にはヌーランド局長が電話の中で一番押していたヤチェヌーク氏が選ばれた。これは、国会を大統領制の上に位置付けるものであり、大統領制を規定したウクライナの憲法に反するものである。本来ならば、憲法に規定されている詳細な手続きをとって国の根幹に関する制度の変更が行われるべきものであったが、今回はそのような手続きを経ずに行われた。憲法には大統領弾劾の手続きが決められていたが、今回の罷免の手続きはこれに反したものであった。このほかにも暴力活動や政府の建物の破壊を行ったデモ隊メンバーへの恩赦や、内務省、安全保障省、検察庁の監督者を任命するなどの越権行為を行っている。


(4) 以上にもましてロシア当局を震撼させたのは、新政府の大臣ポストにいわゆる「ネオナチ」として知られていた「スボボダ」などの極右の党の幹部が次々に任命されたことである。副首相、農業大臣、環境大臣、教育大臣、スポーツ大臣、国家安全保障及び国防会議議長がそれである。更に2月23日に新政府の代表者たちは「ウクライナ民族社会」の設立を発表した。その内容は、ロシア語を使用する者は全て、ウクライナ民族社会の正当な権利を有するメンバーという地位を剥奪され、市民権及び政治上の権利が差別されるべきであるとするものである。


(5) 極右政党の歴史などについては別の章で詳しく述べるが、今回政権の一角についた政党のスローガンのうち、特に目を引くものとして以下のものがある。
「ウクライナは至高の存在」、「ウクライナ人のためのウクライナ」、「ウクライナに栄光あれ、敵には死を」、「モスクワの連中を刺し殺せ、ロシア人を削減せよ、共産主義者を絞首刑に」


(6) 最後に、3月3日にチュルキンロシア国連大使によって明らかにされた、ヤヌコーヴィチ大統領からプーチン大統領あての3月1日付けの手紙を紹介したい。その内容は以下の通りである。

 「欧米諸国の影響の下、テロと暴力が(ウクライナにおいて)横行している。人々は、言語や政治的信条のために処刑されている。この観点から、合法性、平和、法と秩序、安定そしてウクライナの人々を守るために、ロシア連邦の軍を使うことをプーチン大統領に要請する」

 もちろん、解任されたヤヌコーヴィチ氏の手紙に意義があるかについては議論のあるところであろうが、ロシア側は、そもそもの大統領の解任が憲法に定める手続きに則らない違法なものと認識しているものと思われ、ヤヌコーヴィチ氏の要請は意義あるものと考えているのであろう。


(7) なお、米国国内の世論も伝えられている報道とは異なり、分裂している。最近のものとしては、Pew Research Centerの世論調査がワシントンポストに紹介されているが、それによると、

  ① 米国がウクライナ問題についてロシアに対し強い態度をとることに賛成 29%

  ② 米国がウクライナ問題に巻き込まれないことに賛成 56%

と、大多数の人がウクライナ問題に対する政府の関与については消極的であり、これは、昨年オバマ政権がシリア問題について軍事力の使用と議会の承認を探っていたのに対し、世論は圧倒的に軍事介入に反対だった状況に似ている。

次回からは、今回の問題に至る背景や歴史について述べることとしたい。