コラム 国際交流 2014.02.04
周知の通り、ダヴォスの年次総会で日本の総理が初めて基調講演を行ったが、これに対する海外の友人の反応は興味深い。即ち、それは驚きであり(「本当に初めて?」)、また賛否両論の中で、"肯定"が多数派を占めている(「日本語で稀薄な内容の文章をうつむき加減で棒読みしている姿より良く、また話の内容は別にしても、スクリーンを通して話かける姿よりもずっと良い」)。
歴史に詳しい方はご存知の通り、安倍晋三総理の大伯父(=祖父の兄)は、英仏両言語に堪能で、"帝国海軍始まって以来の秀才"と呼ばれた佐藤市郎中将だ。今日でも1930年のロンドン会議に随員として参加した佐藤市郎大佐(当時)の手記はとても参考になる--難航した交渉では、若槻禮次郎首相と外務省の斎藤博情報部長(当時)の活躍が有名であるが、佐藤大佐は「流石(さすが)は首相の印綬を帯び波風荒い政界で多年苦労しただけあって首席全権若槻さん...。スチムソン(米国務長官)などは勿論、マック(英国)首相も若槻の井然たる理論と判断とにはとても及ばぬ」と記した。しかもマクドナルド英国首相や財部彪海相が主催した"Savoy"での会合の様子、また"Scott's"で山本五十六少将(当時)と牡蠣料理を吟味する姿は微笑を誘う。しかし、日本にとり不幸だったのは、佐藤中将が満洲事変後に国際連盟が派遣したリットン調査団に随員として参加した際に肺炎にかかり、その後、"国際派"として無謀・無益な日米開戦を防ぐために活躍出来なかったことだ。
国際舞台での指導者の発言は昔も今も重要だ。1922年のワシントン会議では、全権の加藤友三郎海相が世界からの賞讃を集めた--帝国海軍同様に軍縮に不満を抱く米国海軍首脳、例えば合衆国艦隊司令長官のロバート・クーンツ大将は、出席した指導者のなかで英国のアーサー・バルフォアを第一に挙げ、その次に加藤全権に触れて、"Ranking next to him (Balfour) in mental powers I would place Baron Kato, of Japan. He said little but thought much, and when he talked it was directly to the point"と記した。職業軍人出身の加藤全権にとって自らが立案した建艦計画("八八艦隊")を変更する軍縮は辛かったに違いない。そうしたなか、随員として参加した各国の海軍将校を前にして、「世界平和の為とは言いながら、お互いに飯の食い上げになる」と巧みな英語でジョークを飛ばし、"serenity of mind (光風霽月(コウフウセイゲツ))"と彼等からの賛辞を招いている。
前述の佐藤市郎中将は、鈴木貫太郎総理が練習艦隊司令官としてサンフランシスコで演説を行った際に英訳を担当した。総理はのちに「佐藤参謀の訳は、最近の新聞やなにかを読んでいる人と見えてアメリカ人のよく了解する言葉を用いた。司令官の日本語演説よりは佐藤君の英語演説の方がよほどの能弁だったと大笑いになった」と回想している。グローバル時代を迎えた今日、日本の指導者は、国内と同時に世界各国に対して自分の意志を正確かつ効果的に伝えるため、佐藤中将同様に言葉を大切にする必要がある。