コラム 国際交流 2014.01.15
謹賀新年。世界の平和と繁栄を祈願すると共に、諸兄姉に少しでも参考になる海外情報を提供出来ればと願っている。先月、欧州での会合に出席し、欧米亜出身の友人・知人と議論を楽しんだ--主な内容は、①今年が第一次世界大戦(the Great War)勃発百年目である事、②オラドゥール=シュル=グラヌ事件(le Massacre d'Oradour-sur-Glane)に対する独仏両国大統領の対応、③第一次大戦後の軍縮における日米英間の確執と各国軍部内の不満、④将来、必然的に到来する中国の軍縮・合理化に対する解放軍(PLA)の対応(1920~30年代の軍縮に対する日本帝国陸海軍の態度と対比しつつ...)、そして⑤アベノミックスの成否であった。
全世界が平和と繁栄を望んだとしても、現実の国際政治はそれを簡単には許さない。特に情報通信技術の進展により国民感情の振幅が増幅された"Public diplomacyの時代"には極めて難しい。フランスの代表的知識人アンドレ・モロアはこれに関し次のように語った--「問題は、まことに逆説的だが諸国民の大多数が熱望している平和を、各国政府が面目を失ったという印象を与えることなしに諸国民に受諾させることだ(Le problème, vraiment paradoxal, est de faire accepter par les peuples une paix que, dans leur grande majorité, ils désirent ardemment, sans leur donner l'impression que leur gougernement a perdu la face.)」。この難問を解くには、英国の歴史家ハロルド・ニコルソンが、名著Diplomacyの中で強調したこと--①国民が知的関心を持つことが合法的に許される"外交政策"と②合法的に秘密が許された当局による"外交交渉"との賢明な峻別--が不可欠となる。モロアも、前述の言葉に続けて「これは交渉が絶対的な秘密裏に進められるのでなければ、行われ得ない (Cela ne peut se faire que si la négotiation est entournée d'un secret absolu.)」と語っている。
アジアの平和と繁栄を如何に維持・発展させるか、これこそ我々に課された課題である。PLAの理論家、朱成虎少将は、論文集(『日中安全保障・防衛交流の歴史・現状・展望』(2011))の中で、日中両国が「和すれば両方が益し、争えば両方が傷つく(和则两利,斗则两伤)」関係にあり、しかも「"君の中に我があり、我の中には君がある"という互恵の局面が、既に形成されている(已经形成了"你中有我,我中有你"的互利局面)」現実を指摘した。が、中国の中では比較的日米両国を知っている朱将軍がいたとしても、日中双方が忍耐強く、かつ多層的な対話を重ねていかない限り、意図せざる"誤算"から悲劇が出現しかねない。米国の或る友人は、真珠湾攻撃直前における日本の帝国海軍の首脳--永野修身軍令部総長と山本五十六連合艦隊司令長官--が共にハーバード留学組の"知米派"にもかかわらず、"奇妙な誤算(a strange miscalculation)"を犯したことを指摘し、日中両国の指導者が同様の"誤算"に対し慎重になる態度の重要性を筆者に語った。
今月下旬、世界情勢に関して、米国NSC上級スタッフを務めたジョージ・ワシントン大学のヘンリー・ナウ教授、またハーバード大学のジェイ・ローゼンガード氏がCIGSを訪問して意見交換を行う予定だ。中国国防大学での講義経験を持つナウ氏とは、高揚する中国のナショナリズム--故李先念国家主席の娘婿、劉亜洲上将が制作指導した記録映画『音無き対決(较量无声)』や老将軍張民の労作『中国は懼れず(中国不怕)』等--に対し、日米両国が採るべき"cool-headed approaches"を議論する予定である。