コラム 国際交流 2013.11.01
10月に中韓両国を訪れた際、嘗てハーバードで会食を重ね、国際関係に関し胸襟を開き議論した旧友を中心に意見交換を行った。彼等と「Tea Party (茶党/티파티)は、1773年に重税反対で大英帝国を揺るがし、米国の独立を果たしたが、2013年には、自国の社会保障問題を通じ世界全体を不安に陥れている」として、世界の政治経済情勢に関し語り合った。嘗てほどの輝きは無いものの、超大国米国の東海岸には、今でも世界中からthe Best and Brightestが集まって来る。そのお蔭で、米国をはじめ世界中の人々と知り合う機会に恵まれた。米国で知り合った諸外国の友人は在米経験を持つが故に、殆どの場合"知米派"となるものの、必ずしも単純な"親米派・拝米派"になる訳でも、また夜郎自大的な"侮米派・排米派"になる訳でもない。ただ、彼等は母国と超大国米国との彼我の異同を直接目にし、世界政治を冷徹に観察・判断しようとする。
中国の友人は「テレビの報道を通じて議会内の乱闘騒ぎを見る限り、台湾や韓国の民主制はくだらなく映り、それに比べ米国民主主義は優れていると思っていた。が、それは間違いだったよ」と筆者に語った。これに対し筆者は、「嘗て米国を訪れた日本のサムライ(久米邦武)も、衆愚政治の危険性を指摘した--法を公同に决(ケッ)す。其(その)體面(タイメン)は實に公平を極めたるに似たり。然れども上下院の選士みな、最上の才俊を盈(みつ)ることは到底得べからず、卓見遠識は、必ず庸人の耳目に感ぜず。故に異論沸起の後に...、上策は廢して、下策に歸するを常とす--と(岩倉使節団の『米歐回覽實記』)。またハイエク先生も名著The Road to Serfdomの中で一章を設け、"何故最悪の人が指導者になるのか(Why the Worst Get on Top)"と民主主義の脆弱性を、更には、ヴェーバー先生も"(優れた)指導者無き民主主義(führerlose Demokratie)"の危険性を指摘している」と答えた。
ヴォルテールは「"共和制が王制よりも好ましいものかどうか?"が、いつも問題となる。この議論は常に"いずれにせよ人を治めるということ自体が非常に難しい"、ということで意見が一致して終るのだ(On demande tous les jours si un gouvernement républicain est preferable à celui d'un roi? La dispute finit toujours par convenir qu'il est fort difficile de gouverner les hommes.)」と語るが、21世紀の善政とは如何なるものか。筆者は中国の友人に、「君の国の『孝経』に、"天子に争臣七人有り、無道といえどもその天下を失わず。諸侯に争臣五人有り、無道といえどもその国を失わず(天子有爭臣七人、雖無道不失其天下。諸侯有爭臣五人、雖無道不失其國)"とある。機密事項が極めて重要な外交の"交渉過程"を除いて、内政も外交も、優れた複数の意見を冷静に戦わせ、公論として出来るだけ良質な政策論議を繰返すしか方法はないとボクは思う」と語った次第である。