コラム  国際交流  2013.06.14

「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第50号(2013年6月)

小誌は大量の資料を網羅的かつ詳細に報告するものではない-筆者が接した情報や文献を①マクロ経済、②資源・エネルギー、環境、③外交・安全保障の分野に関し整理したものである。紙面や時間の制約に加えて筆者の限られた能力という問題は有るが、小誌が少しでも役立つことを心から願っている。

 4月8日、サッチャー元英国首相逝去の報道に接した時、直前の欧州出張時に友人達と"the iron lady"について語り合っていたので感慨深いものがあった。友人の多くは彼女の政策に対し批判的だが、巧みな演説については誰もが認めている--曰く、政治家の"最大の武器"は言葉であると。これに関し筆者は彼女が英国の危機を表現する際、バニヤンの『天路歴程(The Pilgrim's Progress)』の中の"Slough of Despond"を借り、総選挙に敗北した保守党の党首に就任した1975年と総選挙直前の1987年に、英国民の心に訴えたことを述べた。そして日本の"英語の達人"のひとり、幣原喜重郎総理が、敗戦直後の昭和天皇「人間宣言」英訳の際、「我国民は動(やや)もすれば焦躁に流れ、失意の淵に沈淪(チンリン)せんとするの傾きあり(Our people are liable to grow restless and to fall into the Slough of Despond)」と、バニヤンの表現を(サッチャー女史よりも前に)引用したことを紹介した次第だ。繰り返すが、"言葉の慎重な選択"は発言の内容・時機と同様に極めて重要だ。

 4月19日の夜、東京で、福島原発事故調査委員会(国会事故調)の黒川清委員長を囲み、学術雑誌Scienceの編集発行でも知られる米国科学振興協会(AAAS)から"Scientific Freedom and Responsibility Award"を受賞されたことを祝う会が開かれた。各国の駐日大使をはじめ、吉川弘之元東大総長や藤﨑一郎前駐米大使のスピーチも魅力的であったが、圧巻は黒川先生の英語でのスピーチであった。隣の米国の友人が「ジュン、日本人はスピーチが下手だと言われるが、彼は例外だね」と囁いたのですぐさま反論した--「中身の有る内容を真剣に伝えようと欲する人は、国籍にかかわらず、話題と内容、そして言葉の選択に慎重だ。随分昔の話だが日露戦争の際、金子堅太郎がハーバード大学で行った講演は、Boston Herald紙が"A Japanese Public Speaker"と題し社説を掲載するほど評価された。また旅順港閉塞の際、八代六郎提督が部下に対して語った言葉は、"提督が古代ギリシャかローマの長老であったなら、欧州の高校生は全員暗唱させられたに違いない"と伝えられた。そして最近では、野中郁次郎先生がご著書『戦略の本質』の中で"戦略は「言葉(レトリック)」である"と述べられた」、と。すると米国の別の友人が、筆者の発言に異見を投げかけてきた--「ジュン、でもやはり例外じゃないか? Madame Chiang Kai-shek(宋美齢)が1943年に米国議会で行った流麗な演説は、日本に対する米国の敵愾心を一層煽った。他方、真珠湾攻撃直前の松岡外相や野村大使の英語は、不信感と反感を招いただけだ」、と。確かに昭和の日本人の対外的発言は、例外--幣原首相に加え、吉田茂首相や斎藤博大使等--を除き問題が多い。これに関し北岡伸一東大名誉教授はご著書『清沢洌』の中でロンドン海軍軍縮会議の際の対外広報態勢をジャーナリストの清澤洌が嘆いたことを記されている。かくして平成の日本人のひとりとして、「微力であっても黒川先生の後に続かなくては!!」と自らを叱咤激励している。


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