政府はTPPによって何も対策を講じなければ、農林水産物の生産額が約3兆円(うち農産物は2.7兆円)減少するという試算を公表した。この試算は、私の指摘(2010年10月29日付ウェブロンザ「TPPで米農業は壊滅するのか? 農水省試算の問題」当ホームページへ掲載を参照)を考慮し、2010年10月の農林水産省の試算より改善されている。それでも、意図的に農業への影響を大きく見せかけようとしていることは否めない。以下、大きな影響を受けるとしている、コメと畜産物(牛肉、豚肉、乳製品等)について、問題点を指摘したい。
1.事実関係からみたコメ試算の問題
コメについて、前回の試算では、(1)内外価格差を大きく見せかけるため、60kgあたり13~15千円の国産米価格に対し、3,420円という極めて安い10年前の中国産米の輸入価格を取り、かつ(2)日本産米と外国産米の品質格差を考慮することなく、どこでも日本産米のようなコメが作られるという前提に立ち、国内生産のうち新潟コシヒカリなど10%のコメ以外はすべて外国産米に置き換わる結果、1兆9千7百億円の生産が減少するとした。しかし、この試算結果である生産減少額は、農家の自家消費等を含めた生産額、1兆7,950億円(2009年)、1兆5,517億円(2010年)、1兆8,497億円(2011年)を上回るものだった。
今回は、生産減少額を1兆1百億円とした。輸入米の価格について、米国産中粒種(タイ米などの長粒種と日本米の短粒種の中間の品種)の現地価格に輸送経費等を加算して7,020円と試算している。これは、世界のコメに品質の大きな差があることを理解しないで、輸入米価格を3,000円とする大学教授よりもましであるが、なぜカリフォルニアから実際に輸入しているコメの価格8,310円(2012年)を採用しないのか理解できないし、また日本市場で日本米とカリフォルニア米との価格差(品質を反映したもの)が15~30%存在していることを考慮していない。
このため、日本米と同じ品質のコメについての伊東正一九州大学教授の試算(アーカンソー州コシヒカリ10,897円、カリフォルニア州あきたこまち8,689円)を大きく下回っている。依然として、内外価格差を過大に見積もっている。そもそも、大きな内外価格差があるなら、現在我が国のコメ農家によって行われている輸出は不可能なはずである。
輸入量も、カリフォルニアの過去最大の生産量やアーカンソーでの生産拡大の見込み等から、米国や豪州の中粒種生産のうち、国内向け以外はほとんど日本に輸出されると想定し、270万トンの輸出が行われるとした。この結果、それと同じ量の国内のコメ生産3割がなくなるとしている。
しかし、気候風土から、どこでも同じコメが作られるものではない。日本でも魚沼産のコシヒカリと他県産のコシヒカリとでは、1.5~2倍ほどの価格差(品質差)がある。米国でも、自然条件等から中粒種と短粒種の合計生産量190万トンのうち短粒種は12万トンにすぎない。また、乾燥した米国では、評価を下げる破裂したコメ(同割米という)の発生が多くなる。米国も750万トンのコメ生産があるが、タイなどから生産できない高級長粒種ジャスミン米を中心に80万トンを輸入している。
農林水産省試算の中で、ベトナムで短粒種の生産が拡大するとし、さらなる影響がでるように書いているが、世界の短粒種生産のほとんどは低級米であり、米国産短粒種に匹敵するようなコメではない。高温のベトナムで日本米とそん色ないコメが作られると考えているとしたら、農林水産省には農業の専門家がいないと言われても仕方ないのではないか。
その米国でも、日本米に匹敵するようなコメは限られており、コメの国際市場の専門家である小澤健二・日本農業研究所理事は、「高級ジャポニカ米」の国際流通量は、多く見積もって70万トン、コメ貿易量全体の3%弱だとし、そのなかでも(日本米に匹敵する)「プレミアム米」の流通量はコメ貿易量全体の1%にも満たないとしている(「農業研究」第25号177頁参照)。つまり、世界で流通しているコメには、ベンツのような日本米から、アフリカ諸国が輸入しているタタモータースのような低品質米まで、さまざまな品質のコメがあり、かつ、高級米の生産・流通量は極めて限定されているのである。
農林水産省は、270万トンのコメ生産が減少するばかりか、それ以外のコメも価格が低下するとしている。海外からは270万トンの輸出が上限である。しかし、量が800万トン、価格が1万3千円で、需給が均衡しているときに、一部が輸入米に置き換わり、国内供給量自体は変化しないのに、どうして価格が低下するのだろうか。不思議である。
2.コメ試算の根本的な問題
減反政策によって、供給を減少することで高い価格を維持するという、カルテル政策が40年以上も続いている。しかし、関税が撤廃されて、海外から安い価格でコメが輸入されるようになると、このカルテル価格は維持できない。つまり、関税がなくなると、自動的に減反政策は廃止せざるを得なくなる。
「関税は独占の母」という有名な経済学の言葉があるにもかかわらず、関税を撤廃してもカルテル価格が維持できるというのは、どのような経済学なのだろうか?私の試算では、減反政策がなくなると米価は60kgあたり8千円程度になり、中国やカリフォルニアから輸入しているコメの価格9千円を下回るようになる。つまり、関税が撤廃されると、減反政策がなくなり米価が下がるので、輸入はおこなわれず、国内のコメ農業への影響は国内米価の低下だけに限定されたものとなる。逆に、減反廃止で国内生産や輸出が増えるというプラスの効果も生じる。
減反廃止によって国民負担は大きく減少する。コメの減反政策のために6千億円の財政負担をしたうえで、これによって米価を上げ消費者に4千億円の負担をさせている。合計すると、国民は、納税者、消費者として、年間1兆円も負担している。減反政策がなくなれば、国民負担は軽減され、1兆円減税したのと同じ効果が生じる。これは、今回出されたTPP効果試算には反映されていない。今回、「国益」という言葉が盛んに飛び交ったが、TPP参加をきっかけとして、このような政策をなくすことこそ国益ではないだろうか。
3.畜産物についての試算の問題
畜産物にとって最大のコストは飼料である。飼料用の輸入トウモロコシの関税はゼロだが、でんぷん用には高い関税が課されている。このため、でんぷん用途への横流れ防止策(圧ペン処理)により、飼料用トウモロコシは2割ほど割高になっている。でんぷん用途向けについても関税がなくなれば、圧ペン処理は不要となる。生産コストに占める飼料代は酪農・肉牛で5割、豚で7割程度なので、それぞれ10%、15%のコスト・ダウンにつながる。試算はこの効果を無視している。
国産牛肉には和牛のほか、乳牛のオス牛等を肥育した牛肉、その交雑種F1がある。試算では、外国産牛肉の価格は、国産牛肉の3分の1だとしているが、国産牛肉については、和牛の価格を含めた価格(1,366円)である。試算に表された数値を見ると、kgあたり、和牛等のうち肉質の高い牛肉(A)の価格は2,780円、それ以外の国産牛肉(B)1,366円、豪州・米国産(C)698円(38.5%の関税なしでは504円)となっている。試算では、高品質牛肉Aの価格は7%低下、低品質の国産牛肉Bの生産の9割が減少し、のこる1割の価格も14%低下するとしている。
しかし、これは奇妙ではないか。38.5%の関税で、B肉1,366円、C肉698円が日本市場で共存しているということは、B肉とC肉との間にこの価格差に相当する品質格差があるということである。698円のC肉の価格が504円になったからといって、B肉の生産が9割も減少するのだろうか。農林水産省はB肉の価格も504円まで低下すると想定しているようだが、単にB肉の価格が若干下がるだけか、一部の農家が退出するだけではないだろうか?さらに、トウモロコシのコスト低下を考慮すると、関税撤廃の影響は極めて限定されたものとなる。
乳製品についても、内外価格差は3倍だとしているが、実際に(独)農畜産業振興機構が今年の1月、2月に輸入した脱脂粉乳(特A規格)の内外価格差は、それぞれ26%、18%に過ぎない。
4.結論
経済の実態やロジックを無視した過大な影響試算を行うことは、農林水産省にとって国民の信用を失うことになるのではないだろうか。
輸入によって国内価格が低下したとしても、低下分を直接支払いする政策をとれば、関税撤廃によっても影響は生じない。内外価格差が縮小している状況の中では、その所要額も大きなものとはならない。