メディア掲載  グローバルエコノミー  2010.10.29

TPPで米農業は壊滅するのか?農水省試算の問題

WEBRONZA に掲載(2010年10月29日付)

 農林水産省は「環太平洋パートナーシップ協定(TPP)」TPPに参加すると、8兆5千億円の農業生産額は4兆1千億円も減少し、食料自給率は40%から14%に低下する、また洪水防止や水資源の涵養などの農業の多面的機能は3兆7千億円も減少するという試算を公表した。
 しかし、この試算は意図的に影響額を多くした作為的なものだ。 第一に、データのとり方である。生産額の減少のうちの半分の2兆円が米についての影響である。米農業は安い海外からの米によってほぼ壊滅するとしている。日本が中国から輸入した米のうち過去最低の10年前の価格を海外の米の価格として採り、内外価格差は4倍以上だとしている。しかし、次の図が示す通り、中国から輸入した米の価格は10年前の60キログラム当たり3000円から直近の2009年では1万5百円へと3.5倍にも上昇している。一方で国産の米価格は1万4千円くらい、最近では1万3千円に低下しており、日中間の米価は接近している。内外価格差は1.4倍以下である。


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 農水省はこのような低い価格を採った理由を、SBS方式で輸入される価格は輸入数量が限られているため割高となる傾向があり、中国現地価格よりも高いため、過去最低のSBS価格を採用したとしている。
 しかし、数量が限られていれば割高になるという理屈は誰にもわからないだろう。SBS方式とは輸入業者と実需者が連名で入札するもので、国内での販売価格と輸入価格の差を国庫に納入するというやり方である。その差が大きいものから輸入の権利を落札できる。ということは、落札したい業者は、国内でできる限り高い価格での売れ先を見つけ、出来る限り安い価格で輸入することにより、その差を大きくしようとする。この方式で実現された輸入価格は、日本産と品質面で競合する中国産米の最も低い輸入価格と考えるのが論理的である。そもそも、日本の消費者が食べている米は中国の街中で消費されている米と同じ品質のものではない。より高い品質の米であり、現地の米の平均価格と比較するのは不当である。また、SBS方式が割高になるというのであれば、過去のものとはいえ何故SBS方式で輸入された米価格を採用するのか理解に苦しむ。
 さらに、日本の農家の平均的なコストと輸入価格を比較しているという問題がある。肥料や農薬など米生産のために実際にかかったコストの平均値は9800円であるが、0.5ヘクタール未満の規模の小さい農家の1万5千円から15ヘクタール以上の規模の大きい農家の6500円まで大きな格差がある。関税がなくなって国内の米価が下がれば、コストの高い規模の小さい兼業農家は農業を止めるだろうが、規模の大きい農家は存続できる。農業を止めた農家から規模の大きい農家が農地を引き取れば、さらに規模は拡大してコストは下がる。
 また、1993年に不作になった日本が1~2千万トン規模の国際米市場で250万トンの米を輸入した際に国際価格が2倍になったことからわかるように、日本が現在の生産量800万トンもの米を輸入すれば短期的には国際価格は暴騰するだろうし、長期的にも国際価格の引き上げ要因となる。日本が輸入を開始し国際価格が上昇するにつれ、現在の国際価格の下よりも生産可能な農家はさらに増えるはずである。 現在の国内の米価は減反して生産量を制限することによって維持されている。減反は生産者が共同して行うカルテルである。「関税は独占(カルテル)の母」という経済学の言葉がある。カルテルによって国内で国際価格よりも高い価格を維持できるのは関税があるからである。関税がなくなれば、カルテルである減反政策は維持できなくなる。減反が維持できなくなると、国内の米価は9千5百円程度にまで低下する。そうなれば、今中国から買っている1万5百円の米よりも国産米の価格が安くなるので、関税ゼロでも国内農業に影響は生じない。むしろ価格が下がるので、消費が増え、生産量も増える。主業農家に限定して直接支払いを行い、政策的にも規模拡大を支援していけば、輸出も可能となる。
 生産拡大により多面的機能は向上する。今まで減反政策によって水田を縮小し、多面的機能を低下させてきたのは、ほかならぬ農政である。その農政が多面的機能の減少を主張するのは、自ら省みて恥ずかしくないのだろうか?
 乳製品についても、実際に日本に輸入されている乳製品は品質の高いものなのに、世界貿易の平均価格を採って、内外価格差は3倍もあるとしている。しかし、実際に輸入しているものと比べると内外価格差は1.9倍にすぎない。米以外の農産物の内外価格差を補てんするためには、3兆円もある農水省の予算から2500億円程度捻出するだけで十分である。消費者負担型農政の問題は、高い価格を消費者に負担させるので消費が減ることである。米以外の農産物について政府からの直接支払いという補助金でコストを下げていけば、国内生産を維持して多面的機能を確保したうえで、関税撤廃による安い農産物価格のメリットを消費者は受けることができる。価格が下がって消費が増えた分だけ海外からの輸入が増える。生産者も消費者も海外の生産者も得をする「三方一両得」である。貿易を自由化したうえで直接支払いによって国内生産を維持すること。これがアメリカやEUも採っている最善の政策である。
 これまで農業界が高い関税で守ってきた国内市場は、高齢化で一人の食べる量が少なくなるうえ人口も減少するので、縮小していく。自由貿易の下での農産物輸出は、人口減少時代に日本が国内農業の市場を確保する道である。人口減少により国内の食用の需要が減少する中で、平時において需要にあわせて生産を行いながら食料安全保障に不可欠な農地資源を維持しようとすると、自由貿易のもとで輸出を行わなければ食料安全保障は達成できない。農業界こそ貿易相手国の関税を撤廃し輸出をより容易にするTPPに積極的に対応すべきなのである。