コラム 国際交流 2013.01.04
謹賀新年。年初に当たり、世界、そして日本は"今年を良い年に出来るのか否か"と考えている。人間は小さな物を観るために顕微鏡を、また遠くの物を観るために望遠鏡を発明した。しかし、将来を観るための"水晶球" は未だ"神話" の中だ。"水晶球" を欠く我々は、現実的な対策として優れた"洞察力" を必要としているのではないだろうか。敬愛するシュンペーター先生も「ここで成功はすべて"洞察" に懸っている(Hier kommt für den Erfolg alles auf „Blick" an.)」と語り、またフロイト先生も"優れた知性を持つ人達の洞察力の欠如(die Einsichtslosigkeit, die sich bei den den besten Köpfen zeigt)"が、第一次世界大戦勃発への道程で国家間に横たわる不信を増大させ、西洋の没落(der Untergang des Abendlandes)を招来した一因だと語っている。
"洞察力" はアジアの平和と繁栄を維持・拡大するためにも必要だ。昨年10月に開催された東京ディフェンス・フォーラム (TDF)では"海上のマナー(good seamanship)" 等が議論されたが、残念なことに中国の代表は急遽参加を見合わせた。そして今、昨年6月に北京で開かれた専門家会議(中日东北亚安全论坛)で、中国海軍(PLAN)元副参謀長の周伯荣少将が言及された蘇東坡の詩「西林の壁に題す」を思い出している--大意は、「名峰廬山は、横から見ると尾根続きの嶺と映り、側(そば)から見ると孤峰と映り...真の姿は捉え難い」。確かに、漢詩の世界では玄妙さは賞讃されよう。が、中国の対外戦略が計り難く、しかも直接的かつ真摯な対話の機会が少ないが故に、日米両国をはじめとする関係国は不安を募らせている--この状況が続くと猜疑心から警戒的なスタンス(専門的にはdefensive realism)と軍拡の罠(security dilemma)に陥ってしまう、と懸念している。この悲しい事態を回避したい日本としては誠心誠意の精神だけでなく"洞察力" が必要だ。
こうしたなかで第一次世界大戦時に顕われた智将秋山真之の洞察力を思い出している。日本海海戦時の彼の軍功は有名だが、1916年3月に大戦視察のため訪欧した時も"いぶし銀の軍功" を残した--パリ郊外の或る軍需工場を訪れた時、片隅に在る"ルーマニア行き" と小さく記された積荷を発見する。当時、ルーマニアは中立国であったが、生まれも育ちも(そして妃の出身も)ドイツの国王カロル一世が親独派で、国論はどちら側に就くか割れていた。パリに戻った真之は、直ちに「ルーマニアは間もなく連合国側で参戦」と暗号で東京に向け打電しようとする。が、真之による判断の真偽を帝国陸軍の駐在武官は即断出来ず、松井慶四郎駐仏大使はこれを真之の"奇行" と見做し、訪仏直前の真之の訪問地、英国に駐在する珍田捨巳大使に英国での真之の"奇行"の有無を確認するまでに至った。が、同年8月17日、ルーマニアは英仏連合国側と秘密条約(「ブカレスト条約」)を結び、果たして10日後にドイツ側に宣戦布告を行うこととなった。我々は、今、真之の鋭い洞察力を彼の高い知性と勇気ある行動と同様に想起すべきではないだろうか。