コラム  国際交流  2012.08.24

最近の韓国大統領の言動に関する一考察

シリーズコラム『小手川大助通信』

 最近、韓国の李明博大統領が竹島を訪問したり、天皇陛下の訪韓条件として謝罪を要求したり、慰安婦問題に言及したり、奇妙な言動が目立っている。任期が半年を切り、支持率も2割を切った為、政者が大衆受けを狙ったという見方もあるようだ。これに呼応してか、俳優たちが韓国本土から竹島まで泳ぐ茶番もあった。筆者は、ここに至るまでの過程で、両国政府の間で両国間の色々な問題について、どのような水面下の話し合いがあったのか承知していないし、韓国側も、これは、外交面や政治面で起こった事件であるとの認識で、韓国の経済界は今回の大統領の言動には驚かされているし、韓国の国会内部でも批判の声が上がっているそうである。人生の30年間を色々な国際交渉に費やしてきた人間として、基本的には、当方は、感情的にならずに、淡々と対応していくことが必要ではないかと自分は考えている。

 筆者が一部であるかもしれないにせよ、関係しているのは、昨年10月中旬に締結された、日韓の外貨の融通額の5倍増に関する協定である。昨年9月に、世界の金融市場は、欧州の経済問題で極めて不安定化していた。韓国経済のアキレス腱は、その国内預金額が我が国に比べて極めて小さく、金融セクターの体力が非常に弱いことであり、これは、90年代終わりのアジア通貨危機の時代から変わっていない。勢い、韓国企業が、国際競争の観点から、大規模な投資を行おうとすれば、国内での資金調達には限界があるため、欧米を中心として海外からの借入に依存せざるを得ないのである。この弱点は国際金融市場に関係する者にはよく知られている。昨年秋に、欧州の金融市場に問題が生じると、欧米の金融機関の「貸し渋り」や「貸しはがし」の連想ゲームで、韓国企業への信認が急激に低下し、韓国ウォンが売り浴びせられることになった。このような事態に直面して、韓国の通貨当局は、従来とは逆にウォン買いの介入をして、通貨の価値の維持に努めたが、売りの圧力に抗しきれず、ウォンは急落し、韓国経済についての不安が広まってきた。当時の状況下で、筆者はIMFのワシントン総会時に出会った財務省の後輩に対し、全くの善意から、市場の動きを伝えて、外貨の融通額の増額等の手段により、韓国経済を救済するべきことを進言したのである。政府間で、私の進言に先立って、同じ内容の議論が行われていたか知る由もないが、結果としては、昨年10月に融通額が5倍に増額されることによって、市場の不安は静まり、韓国経済は落ち着きを取り戻した。その後、筆者が当方の政府関係者と会った際に、彼は、「韓国の財務省は増額について非常に感謝し、殆ど土下座をせんばかりであった」と言っていた。

 その後に起こってきたのが、韓国の国会議員による竹島でのコンサートの開催、そして日本大使館前の従軍慰安婦の像の設立である。韓国側でもこれらの問題は外交上の問題で、経済の問題ではないと捉えていたが、それにしても上記のような経緯に関係した者として気持ちの悪いことだったので、筆者は、事前に友人である外務省高官に通知をしたうえで、2月末にソウルを別件で訪問した機会に、以前からの友人である韓国政府の要人に対し、韓国側の不適切な対応が続けば、当方の10月の5倍増の措置を旧に復することを、個人として進言せざるを得ない、と先方に伝達した。なお、その際に、外務省高官との話の席で出た、FTAの多国間交渉について、韓国の態度が不明確なままだと、日中だけで交渉を進める可能性が高いことも付言しておいた。

 このような背景を考えた場合、今回は、どうすればいいだろうか。その際には、韓国の政治経済状況を頭に置いておく必要がある。我が国にはあまり知られていないが、韓国の経済社会構造は、極めて少数の財閥系の国際的に競争している企業と、大多数の中小企業といういびつな構造になっており、給与ベースにも大きな差がある。これが、いわば中産階級の不在という状況につながり、金融資産の規模が我が国に比べて極めて小さいという事情の原因にもなっている。政治的には、上記の大多数の低所得層が、政治について不満を持つ温床になっている。加えて、韓国においては1986年まで軍事政権下で社会主義や共産主義のイデオロギーが完全に規制されていたのであるが、86年以降の自由化により学生時代にこのようなイデオロギーの洗礼を受けた年代層が、日米を始めとする外国勢力を敵視する排外的な急進的イデオロギーを保持し、90年代後半から第3党としてキャスティングボートを握ってきたという事情がある。現在、この層は野党に組み入れられているが、依然穏然とした勢力を保っている。このような背景の中で、いかにして、日韓の関係が円滑にいくことが韓国国民にとって重要かということを、分かりやすく示すことが重要であることから、今年10月に外貨融通枠の拡大を継続せずに、昨年秋の状態に復するということが一案であると考えられる。

 また、これは、純粋に経済的な問題ではないが、上記のような俳優たちの行動を見た場合に、我が国におけるいわゆる「韓流」の扱いを考え直す必要があるかもしれない。あまり知られていないが、従前に比べれば自由化されてきたとはいえ、我が国のメディアの作品は韓国国内では日中の放送を許されていないなどの制約が韓国には存在する。実は、韓国国内のアートについての市場は極めて小さく、CDの売り上げなどを見ても、世界最大となった我が国の市場の30分の1か40分の1しかない。これが、「韓流」のメディアが我が国に大挙して流れ込んでいる根底にあるのである。少なくとも韓国との間で平等な取り扱いをするという観点から、我が国のメディアが受けているのと同じ制限を、韓国メディアの我が国国内での扱いにおいても、導入してもいいのではなかろうか。このようにして、本件を、上記と同様に、韓国の一般国民に対して、日韓の経済の結びつきの重要性を再認識してもらうきっかけにしてはどうかと考える。

 今回の竹島の問題や尖閣列島の問題を見るにつけて、長年国際交渉で苦労してきた経験から、どうしても言わずにおけないことがある。それは「交渉」というものの本質である。まず、「交渉」は、交渉を始めたいと双方が思わないと始まらない。二国間の交渉の際には特にそうである。次に、二国間交渉は、それぞれの側に、交渉妥結の結果としての利益がないと、成立しない。0勝100敗とか100勝0敗といった交渉結果は、それぞれの国内で負けた方が合意を守る動機がないので、必ず崩れ去ることになる。翻って、今回のような領土交渉を考えてみる。例えば、日韓の間に、領土問題以外に重要な問題があって、領土問題が全体の交渉の一つのカードとして使われる場合には、一方の側が、領土を犠牲にしても他の大きな問題で利益を得ようということで、合意の可能性があるかもしれない。しかしながら、他に大きな問題が存在せず、純粋に特定の土地がどちらに属するかということになると、交渉の出口を見つけることは極めて困難である。なぜならば、交渉の対象は、当該の島がどちらに属するということについては、ゼロサムゲームで、「勝つか負ける」しかないのである。沖縄のように、多数の住民がいて、外国政府の統治に色々な問題が生じる可能性がある場合はまだしも、今回問題になっているような住民のいない島の場合にはそのようなリスクは存在しない。そして、残念ながら、このような二国間の争いについて強制力を持って国際的に解決してくれる機関は存在しない。いま議論されている、国際司法裁判所にしても、関係国が承諾して初めて付議されるということは、争っている両国政府がまず同意してからでないと、第三者は介入できないということを意味している。このような「交渉」の本質を考えた場合、領土交渉は、それだけが独立の問題として出てきた場合には、記憶に新しいフォークランド紛争のように、最後は「実力行使」、即ち、戦争で解決するしか方法はないのである。当方の主張を声高く叫んでも、第三者や問題解決の権威を有する国際機関が存在しない以上、当方の言い分がいくら理屈が通って(いると思って)いても意味はないのである。このようなことを考えると、政治家が国内問題のガス抜きなどの目的として、落としどころも見えないままに、領土問題をテーブルに乗せるというのは、政治家として最低の選択であり、その政治家の統治能力のなさを証明するだけである。政治家というものは、本来理屈では解決できない問題について、最大公約数的な解決を見つけるのが役割なのであるが、出口も見えないままに民衆を煽るのは、古代ギリシャを滅亡に導いたデマゴーグ以外の何物でもない。繰り返しになるが、独立した領土問題の解決は、最後は実力行使しかないのであるから、民衆を煽っている政治家は、意図するとしないとにかかわらず、(おそらく本人が自らの血を進んで流す気はないであろうから)、民衆に血を流せと言っているに等しいのである。私たち一般国民は、このようなことを頭において、政治家の言動を注意深く見ていく必要があると思われる。