コラム  国際交流  2012.04.03

現在の経済危機について(4):財政緊縮策の誤り

シリーズコラム『小手川大助通信』

 前回の通信において、欧米の政府が信頼できる金融検査に基づかずに公的資金を注入して金融機関を中途半端に救済したために、金融機関に対する市場の信頼が回復されなかったこと、そして金融危機の発生に責任を有する人たちの責任が追及されず納税者の間に不満が溜まったことを申し上げました。更に、金融機関、特に投資銀行(インベストメントバンク)を中途半端な形で救済したことは、世界経済の回復を図る上で、以下のような大きな問題を生じました。
 日本の経済危機の際にも体験したのですが、経済危機の際には、民間部門がリスクをとって新事業に投資をしないことから、代わりに政府がリスクをとって投資活動を行わなければなりません。民間部門のリスクテイクの縮小により、金融部門に資金が滞留して金回りが遅くなりますから、これを政府が増税や国債発行により吸い上げて、公共事業などの投資にまわし、経済全体の金回りをよくすることが望ましいわけです。もちろん、景気回復のために、中央銀行は金利を下げたり、いわゆる「量的緩和」を行って、景気を刺激しようとしますが、10年に及ぶわが国の経験からも明らかなように、民間企業は将来の景気回復について見通しがつかない間はリスクをとって投資しようとしません。このように、いくら中央銀行が流動性を供給しても、資金に対する「実需」がない場合には、過剰流動性が生じるだけで、流動性供給は景気刺激につながりません。
 金融バブルが崩壊したのちには、GNPの4つの構成要素(家計、法人、政府、純輸出)のうち家計部門と法人部門は過剰借り入れが残り、暫くの間は借入の返済によってバランスシートの縮小を図るということになります。これをそのまま放置すると、家計部門と法人部門がマイナス成長となるため、GNPもマイナス成長になってしまいます。このような時には、公共事業などの財政刺激策を通じて政府部門を拡大させて、GNPのマイナスを防ぐしかありません。このような考え方から、2009年には当時のIMF専務理事の呼びかけに応じて、我が国を含め世界の主要国が財政刺激策をとり、GNPの大幅なマイナス、そして1930年代の恐慌の再発を防ぎました。当時のIMFの試算では、各国が対GNP比2%の財政刺激策をとれば、全世界のGNPが本来の水準よりも2%引き上げられるとなっており、実際この政策は2009年には有効に機能しました。
 しかしながら、2010年には米国の景気も一時回復したかに見えたため、各国は2010年に財政刺激策を取りやめてしまいました。その当時私は、米国の回復は、以下のような理由から一時的なものであり、経済を本格的に回復させるためには2009年のような財政刺激策を継続することが必要であることを力説したのですが、誰も聞く耳を持ちませんでした。

(1) 米国の景気が回復する際にはまず中小企業から業績が回復し始め、それが大企業へ移っていくのが通例であるのに、2010年の回復は大企業のみであった。
(2) 大企業の回復の内容を精査すると、インベストメントバンクの業績が好転していたが、これは、前回の通信に述べたような「創造的企業会計」に基づき、負債サイドの証券化商品の額を縮小したことによる、もののほか、
(3) 英米が強く主張したバーゼル3によるコア資産の増強のために、インベストメントバンクに一回限りの注文が舞い込んだこと

 心配したとおり2010年に入って世界経済はまた停滞してしまいました。


投資銀行の責任
 そこで2010年初めの世界経済は以下のような状況になっていました。

(1) 景気を支えるために各国の中央銀行が供給した流動性が実需を伴った投資に回らず、多額の過剰流動性が生じている。
(2) 欧米、特に英米のインベストメントバンクが公的資金の注入、会計原則の変更及びストレステストにより、表面的には健全性を回復したように見えるものの、実質的には債務超過状態を脱していないのではないかという市場の疑いをぬぐい切れていない。短期間に実質債務超過状態を脱することは、インベストメントバンクの生き残りのために必須であり、短期間の高利潤が彼らの生き残りにとって必須となっている。
(3) 財政刺激を行った各国の財政は悪化し、特に欧州の一部の国の財政の健全性については市場が大きな疑いを持って見ている。これらの国は経常収支も赤字で推移している。

 このような経済状況を背景にして、財政が脆弱な欧州の国の国債が市場の攻撃の的になりました。攻撃の手段に使われたのはカラ売りやクレディット・デフォールト・スワップ(CDS)です。
 最初に攻撃されたのはギリシャで、ギリシャ国債の信認は短期間の間に急落したため、ギリシャ政府は国債の借換えが困難な状況となり、2010年の春にはIMFの支援を仰ぐことになりました。ギリシャの問題が出てきた理由については、別の機会に詳しく説明したいと思いますが、欧州の国債が攻撃の的になったことは、欧州経済の回復にとって、致命的な問題をひきおこしました。即ち、前述のように、景気回復のためには、政府部門がリスクをとって財政出動によって実需を創造していくことが必要なのですが、これができなくなってしまったのです。市場の攻撃に晒された欧州の国々は財政緊縮策をとらざるを得ませんでした。そしてこれは、90年代末に我が国が経験したような金融部門と産業部門との「負のスパイラル」を引き起こし、欧州経済の回復を大きく遅らせることになりました。

(注)負のスパイラルとは以下のような現象を言います。まず、不良債権問題に直面した金融機関は、不良債権の処理に伴い、資本が不足することとなるため、自らの破綻を避けるため資本の12倍強以下に資産を圧縮します。このため、我が国に見られたような「貸し渋り」や「貸し剥がし」が起こります。このような金融機関の行動は、借入人たる製造業などへの円滑な資金の供給を難しくし、非金融部門の景気が後退し、ひいては国全体の経済の後退が始まります。すると、金融機関の借り手の財務内容が悪化して金融機関は引当金を追加しなければならないばかりでなく、景気の後退に伴う不動産価格の下落により金融機関の担保価値が減少するために、金融機関は更に引当金を積まなければならなくなります。これは金融機関の更なる資本の減少を引き起こし、更に貸し剥がしが行われることになります。


今後の課題
 私はギリシャの救済策のIMFにおける議論に基づいて、2010年から「欧州の景気回復は2018年」という当時としては極めて悲観的な見通しを立てましたが、残念ながら、最近の状況からこれでも楽観的すぎるのではないかという見方が強くなってきており、欧州の状況は我が国について喧伝された「失われた10年」を上回ることになりそうです。
 このような欧州の状況を打開するためには、繰り返しになりますが、まず、欧州諸国の国債や金融システムについての信認を回復し、次に財政刺激を通じて実需の回復を目指すほかありません。 信認を回復するためには、繰り返しになりますが、時価会計に基づく信頼できる金融検査を行って主要銀行の財務状況を明るみに出し、納税者の納得するような過程をとりながら信認回復に必要な金額の資本注入を行うことがまず必要です。次に、国債に関する信認を回復するためには、市場が安心するような規模のセーフティーネットを整備する必要があり、現在の約0.5兆ユーロのESFSの規模を4倍増(2ユーロ)にすることが必要です。従来からの税財源ではこれはなかなか困難でしょうから、我が国が行ったような一定期間預金保険の料率を引き上げるか、ドイツが主張しているような銀行取引課税を導入するしかないでしょう。あるいはこの両者の合わせ技が必要かもしれません。
 銀行課税を導入すれば、投資銀行が致命的な影響を受ける可能性が高いのですが、彼らの国債に対する攻撃が欧州の信用不安の原因となって世界経済停滞の原因となっていること、そして、現在の経済危機について最大の責任を有する彼らが全くその責任を感じておらず、法外な報酬が一般庶民の怨嗟の的となっていることを考えれば、まさに身から出た錆で、致し方ないものと考えられます。実際に、銀行取引課税の提唱者は、預金保険の料率引き上げではなく新税を入れる理由として、投資銀行家を罰しないと一般納税者の気持ちがおさまらないことを挙げています。
 もちろん、もう一つの方法として、いわゆる「糖尿病」的な解決策も考えられます。これは、国債の買い手が民間で見つからない時に、欧州中央銀行が国債を買って資金繰りをつけていくという方法です。欧州中央銀行にリスクが集中して、いつの日か欧州中央銀行そのものに対する信認が失われ、欧州中銀への加盟国の資本注入が必要になるかもしれませんが、それには相当な時間がかかるだろうということから、時間を稼いで経済の回復を待つというやり方です。また、このような形で時間を稼げば、現在実質債務状況からの脱出のために必死で攻撃を仕掛けている投資銀行も矛を収めるかもしれないとの希望もあります。ただ、これは、人間の欲望というものが、合理的に制御されるという前提に立つものであり、まかり間違えば手遅れになって、必要な資本注入の規模が、欧州の国だけでは解決しえないような規模の問題になるという大変な悲劇的な結末となるというリスクもあります。勿論資本注入が必要になる際には、加盟国の中でドイツの負担が極めて大きいものとなります。
 これから暫くの間は、上記のような糖尿病の進行速度と経済の回復との間の関係を注視していくとともに、銀行取引課税や預金保険の料率を巡る動きを注視していく必要があるでしょう。