メディア掲載 国際交流 2012.02.27
先日、マサチューセッツ工科大学(MIT)のサミュエルズ教授とお目にかかった。今、同教授は東日本大震災時における政策研究のため来日されている。サミュエルズ教授は日本のハイテク産業に関する『富国強兵の遺産』や冷戦後の国際関係に関する『日本防衛の大戦略』等、新鮮な視点から詳細かつ客観的に分析した本を著した碩学だ。今回、被災地での自衛隊の目を見張る行動や協力を惜しまない米国軍に関し示唆的な話を伺うことができ大変喜んでいる。と同時に、同教授の新たな著書を通じ、日本の現状と将来を深く考察する機会を楽しみにしている。
グローバル化の進展で筆者は多くの外国人と意見交換する機会に恵まれるようになった。同時に、世界にはサミュエルズ教授のように正確に日本を理解しようと努力する人ばかりではないことも認識し始めた。現に先日、同教授と同じ米国人であっても日本に対し批判的な人から冷淡な見解を聞いたばかりだ -- ジュン、第一次世界大戦は、戦争が職業軍人だけに任せられる重大事だという考えを霧消させ、同時に国際政治が職業外交官の手に委ねておけば間違いないという考えを消し去った。それと同様に福島の原子力事故は、日本の原発を日本人だけに任せておけば良いという考えを消し去った、と。筆者は不満を感じたが感情的に反論しては不毛だと考え、微笑みながら次のように答えた次第だ -- 手厳しいご意見有難う。でも日本人はこれを教訓として真摯に反省し、再発防止策や廃炉にかかわるノウハウを蓄積し、新たな国際競争力を形成することをボクは期待している、と。
確かに日本の言動に対して正確な理解を欠いたまま嘲罵する外国人は少なくない。約2年前にタイで開催されたサステイナビリティ学の第1回アジア会議でも、冷たい意見が続出した。「日本のリーダーシップが見えない。日本は常に金儲け目的だけで行動し、世界政治に関する戦略が無い」と。好むと好まざるとにかかわらず、世界第3位の経済大国日本の言動は注目されまた期待されると同時に、「内容が無い」と世界の人々が判断すれば、ただちに無視され蔑視される。これは米国同様、大国ゆえの悩みであり責務でもある。
価値観や歴史、加えて言葉が全く異なる外国人に対して我々日本人が理解を求める時、「阿吽の呼吸」を頼りに日本国内のような気楽さで対話に臨めば、往々にして誤解を招いてしまう。嘗ての新渡戸稲造や岡倉天心と同様、外国人の価値観や言葉の特徴を注意深く観察し、相手の理解を求める努力が必要なのだ。この意味で「頭脳の国際循環から疎外される日本」に危機感を表明されている総合科学技術会議の相澤益男元東工大総長に共感を覚えている。一見、余計な努力と映るかも知れないが、あらゆる交信手段を試して、サミュエルズ教授のような知日・親日の外国人を数多く持たなければ、日本は「頭脳の国際循環」から外れてゆく。
が、最終的には筆者は楽観派だ。潜在的な日本の友人は世界に極めて多い。筆者は昨年末パリの友人からの電子メールに思わず微笑んだ -- ジュン、11月末のテレビ番組で「オカエシ」の活動を観たよ、と。大震災で壊滅した三陸海岸の牡蠣養殖の復活にフランスが「お返し」と称して協力しているらしい。遠い昔にフランスの牡蠣が危機に陥った際、日本が救ったことをフランスの人々は今も覚えていたのだ。メールを通じパリの友と共に筆者は語り合った。「国籍に関係なく大切なのはやはりお互い様の精神」と。