コラム  国際交流  2012.01.25

現在の経済危機について(2):リーマンショック後の世界的な経済危機発生の原因

シリーズコラム『小手川大助通信』

1.
それではリーマンショックが世界経済恐慌をもたらした原因は何だったのでしょうか。この点については米国をはじめとする世界のマスコミもウオール街に対する配慮もあってか、詳細な検討は全く行われていません。まず、2002年以降の米国などの金融バブルの制度的な原因は、20世紀末の金融自由化の流れの中で、1930年代の大恐慌の教訓から銀行と証券の業務を分離してきたグラススティーガル法が、1999年2月(当時の財務長官はサマーズ)に完全に廃止されたことにあります。そして、このような新しい金融制度の下で、2000年代に入ってグリーンスパン総裁の下で連銀が長期間金融緩和を続けたために、いわゆるインベストメントバンクが余剰資金を使って実需を伴わないマネーゲームに走ったことにあります。したがって、政策面では財務省と連銀に最大の原因があります。この点については別の機会に詳しく触れることにして、今回は2008年9月のリーマンショックを引き金とした世界経済危機の発生の問題に焦点を合わせて問題点を指摘したいと思います。ここには、リーマンブラザーズの清算処理の仕方と、その後の金融機関のベイルアウト(救済措置)について、二つの大きな欧米諸国の金融行政の失敗があるのですが、ここではまず、リーマンブラザーズの処理についての問題点を説明したいと思います。

2.
2008年3月のベアスターンズの破綻以来、米国の金融機関はサブプライムローン(信用度の低い人向けの貸付)の不良債権化の問題で苦しんでいました。連銀に3月以来半年以上出向になっていたIMFの米国人職員の話を聞いたところ、連銀の担当者は半年間週末を全て返上しなければならないほどの忙しさでした。そのような環境の中で、リーマンが破綻した2008年の9月15日の直前に何が起こったかは、2010年に出版された2008年当時の財務長官ポールソンの回顧録に詳しく説明されています。リーマンについては最初バンクオブアメリカが買収できないか交渉が行われていましたが、9月12日(金)の夜に至りこの交渉は決裂し、バンクオブアメリカはメリルリンチを買収することになりました。そこで、リーマンの最大の株主であり、リーマンが破綻すると最大の損失を蒙るバークレイズグループに買収話が持ち込まれました。バークレイズ側も、最大株主であるという地位からこのようになることを予期し、相当以前からリーマンの資産査定を中立の第三者に委託するなど準備をしていました。そこで、12日に買収話が持ち込まれたとき、関係者は週末のうちには買収が決定され発表にいたるものと予期し、全世界のバークレイズの支店の幹部は週末の間、公式発表に備えて世界各地で待機していました。ところが予想に反し、いつまでたってもロンドンの本店から連絡がありません。ついに9月14日(日)の夜に至り、本件を監督する英国の金融庁からバークレイズに、「買収にあたり特別手続きを認めるわけにはいかないので、法律に定める通り、24時間以内に臨時株主総会を開いて株主の了解をとることが買収を承認する条件である」旨の最終連絡がありました。24時間以内どころか数時間以内に臨時株主総会を開催して、週明け月曜日の市場の動揺を押さえ込むことは物理的に不可能なので、これは実質的に英国政府の拒否回答でした。英国政府がバークレイズによるリーマンの買収に反対であると聞いた米国政府側ポールソン財務長官、ガイトナーニューヨーク連銀総裁は真っ青になり、すぐさま英国の金融庁総裁に電話連絡して、買収成立には株主投票を必要だとするロンドン市場の上場基準の適用除外をお願いしたのですが、「本件は金融庁で決定できる事項ではなく英国大蔵省の判断事項である」との冷たい回答があるだけでした。ポールソンは回顧録の中で、ポールソンが本件についてダーリング英国蔵相と電話で交渉した際に、ダーリング蔵相は「悪びれた気配など微塵も示さず、バークレイズによるリーマン買収はありえないと言い切った。」と書いています。(日本経済新聞出版社、「ポールソン回顧録」、有賀裕子訳、272ページ)

3.
「悪びれた気配など微塵も示さず」という部分にポールソンの気持ちが入っていて面白いのですが、冷静に見れば、米国市場において間違いを犯したリーマンを、英国の会社であり規模的にもずっと小さいバークレイズが買収し、その結果万一共連れでバークレイズが破綻する場合には結局英国の納税者の税金で対応せざるを得ないことを考えますと、合併問題に関する英国政府の最終的な判断には理解できる部分があることは否めません。したがって私は買収を承認しなかったことをもって対応が間違ったと言うつもりはありません。しかしながら、ここには大きな問題点があります。1997年に、私が担当課長として山一證券の自主廃業を行った際に、我が国政府は11月22日から24日の3連休を利用して、山一證券の全ての海外取引を週末のうちに解消した上で山一の清算をしました。なぜそうしたかというと、海外に山一破綻の影響が及び、我が国が世界経済恐慌の発生源となることを避けるためでした。この契約解消の作業は膨大なものでしたが、日銀、大蔵省、関係民間金融機関、各国政府の協力を得て3日間で完了し、金融危機は我が国だけの局地的なものにとどまり、その後の世界経済の回復とともに、我が国経済も2003年以降回復の道を辿ったわけです。これに対し、リーマンの破綻の場合はそうではありませんでした。2008年9月15日(月)にリーマンは膨大な規模の国際取引を解消することなく破綻しました。このため、その影響はAIGのロンドン支店を始め全世界に及び、第2次世界大戦前の世界恐慌に並び称される世界恐慌を発生させてしまったのです。米国と英国の政府の金融担当者(米国側ではポールソン財務長官、ガイトナーニューヨーク連銀総裁、英国側ではダーリング大蔵大臣そしてゴードン・ブラウン総理大臣)が協力して、バークレイズによるリーマンの買収の交渉がまだ続いているかのような雰囲気を市場に醸し出してリーマンを1週間でも生き延びさせ、次の週末までにリーマンの国際取引を解消した上で破綻させれば、今回のようなことにはならなかったはずなのです。

4.
もちろんリーマンブラザーズが全ての海外取引を解消したうえで清算した場合には、金融システムを守るために米国政府が米国の納税者の税金を使ってリーマンブラザーズを救済(ベイルアウト)するか、リーマンを破綻させても米国の他の金融機関に対する影響を食い止めるために、多額の公的資金の注入が必要だったものと考えられます。そしてその際には、このような多額の公的資金、即ち税金を使うことについて、納税者が納得できる説明をする必要があり、金融機関の経営者の経営責任や、政府監督当局の監督責任が厳しく追及されたはずなのです。リーマンショックの発生以来3年が経ちましたが、このような責任追及は米国や英国では全く行われていません。これは逮捕や起訴という形で山一證券や長銀、日債銀の経営者の責任が厳しく追及された我が国の場合とは対照的なものとなっています。私たちはこの問題点を早くから英米の政府関係者に指摘してきましたが、責任追及は全く行われませんでした。このように今回の金融恐慌の発生に責任がある人々の責任追及が全く行われていないことに、英米の納税者は深い不満を抱いていました。即ち、納税者の貴重な税金を使って銀行のベイルアウトをしたにもかかわらず、責任追及は全く行われていないどころか、銀行幹部が多額の退職金やボーナスを手にしたことについて、納税者の怨嗟の声が米国中で聞こえていました。この点については米国のマスコミもウオールストリートを気にしてほとんど報道しませんでしたが、2010年の中間選挙の取材を米国各地でしていた日本の新聞社の米国特派員には、このような納税者の不満が強く聞こえていました。我が国で報道されたような健康保険制度の改革などではなく、民主党が中間選挙で敗れた最大の原因は実はここにあったのです。

5.
以上の経験から、私は、金融システムの崩壊を防ぐために最も効果的な手段は、「一定規模以上の国際的な取引をしている金融機関の清算を行わざるを得ない場合には、国際取引を全て解消した上で清算する」という国際取極を結ぶことだと思います。こうすれば、今回のようにある特定の金融機関の清算をきっかけとして、世界的な金融危機が発生するという事態を阻止できます。もちろん、そうすれば、当該金融機関が本店を置いている国は、自らの納税者の負担で清算を行わなければならないことになります。英国やスイスなど自らの国力に見合わない大きな金融部門を持っている国、即ち「金融立国」に自国の経済の発展を依存している国は、この提案に反対することが予想されます。しかしながら、バーゼル規制を始め、金融の規制については規制当局と金融機関側のいたちごっこが続いており、規制の目的が達成されていません。これはある意味で当然で、規制の裏側をつくのは、金融機関の存在理由の重要な一つのポイントというようにも考えられるからです。したがって、規制当局にとって重要なことは、完璧な規制はないという前提の下に、毎日の監督において、問題が生じないように緊張感を持って行政を行っていくことなのです。上記のように「金融機関の清算を行わざるを得ない場合には、国際取引を全て解消した上で清算する」というルールがあれば、監督当局は清算の場合の納税者の批判を恐れて、日頃から真剣に金融機関に対する監督を行うことを期待することができるのです。