厚生年金の支給開始年齢を68~70歳へ引き上げようとする年金改革議論は、大きな波紋を呼んだ。結局、引き上げ案の国会提出は当分行なわれないことになったが、日本の年金制度に対して、改めて国民の不安を募らせるきっかけとなった。しかし、年金制度はただでさえ複雑であり、一般国民には「どんな仕組みになっているのか」「どこに問題があるのか」がわかりづらい。年金をはじめ、社会保障制度全般に精通するキヤノングローバル戦略研究所の松山幸弘・研究主幹に、現在の年金制度が抱える課題と目指すべき改革の方向性について詳しく聞いた。2004年の年金制度改正で掲げられた「100年安心年金」は、果たして本当に実現できるのか。
2004年の年金制度改正の評価
長所と残された課題とは何か
――厚生年金の支給開始年齢を68~70歳へ引き上げる年金改革議論は、大きな波紋を呼んだ。結局、引き上げ案の国会提出は当分行なわれないことになったが、日本の年金制度に対して、改めて国民の不安を募らせるきっかけとなった。そこで疑問視されているのが、「100年安心」と宣伝された2004年の年金制度改正だ。この改正の評価できる長所と制度欠陥を深刻化させた短所は、結局何だったのか。
長所は、将来の保険料負担の上限を決め、財源の範囲内で給付する仕組みにしたことである。厚生年金の保険料率を毎年徐々に引き上げ、最終的には18.3%まで引き上げて固定するとした。これは、公的年金制度を存続させる方法としては、一番確実だ。
年金財源にキャップを被せるわけであるから、今後年金をもらう人が増えていけば、今現役世代の人々が将来もらえる給付額も減っていく。しかし、年金財源を担う現役世代の利益を守るためには、まず負担増加に歯止めをかけることが必要だ。
一方短所は、国民が将来もらう年金給付額について、「所得代替率」(そのときの現役世代の平均所得に対する年金給付額の割合)が50%を下回らないよう、50.2%という下限を設けてしまったことだ。小泉政権が年金受給世代に対して配慮したことによる。これが、そもそも無理だった。
私は当時、厚生労働省が使用していると思われる年金基礎データを基に計算したが、実現可能な所得代替率は約42%という結果を得ていた。04年の年金改革の後、デフレ経済の下で名目年金給付額を据え置き、年金払い過ぎの状態を続けた結果、年金改革前より年金財政が傷んでいる。年金財源枯渇の時期が早まったと言える。
――なぜ、そのような方向で制度改正をやったのだろうか。
政治家が年金の仕組みをよく理解していなかったことが、最大の原因だ。法律をつくるのは政治家であり、役人には決定権がない。だから、政治家が唱えた「所得代替率50%維持」を前提に置き、逆算して前提条件を決めざるを得なかったのだろう。
今のように、政治家が票田となる高齢者に過剰な優遇を続けていれば、財源がなくなって当たり前。そのしわ寄せは、全て現在50歳以下の現役世代に回ってくる。
年金基金は4.1%の高利回りを
本当に実現できるのだろうか
――財源と言えば、04年時に想定された年金基金の運用利回りは3.2%、09年の財政検証時にも4.1%とされた。現在の経済状況下では、考えられない高利回りだ。この数字も「数合わせ」なのだろうか。
毎年の積立金残高、支給総額、受給者数、標準報酬額などの年金基礎データは、意図的な操作が難しいので、経済成長率、賃金上昇率、物価、運用利回りの予想などをいじって、辻褄を合わせるしかなかったのだろう。厚生労働省が年金財政将来見通しで使用した年金基礎データの明細があれば、経済前提条件の矛盾はエクセルで容易に検証できる。
「明らかにおかしい」ということは、当然、年金官僚たちも感じていただろう。しかし、大臣から言われた数字を達成するためには、経済前提条件を操作するしかない。官僚のせいというよりも、政治家のせいであることは明らかだ。
――実際のところ、年金基金はこれほどの高利回り運用をできるものだろうか。
私は以前、年金ファンドのポートフォリオマネジャーをやっていた。その経験から言えることは、100兆円を超える公的年金のような巨額ファンドは、リスクを積極的に取りに行くアクティブ運用は無理だということだ。米国の公的年金のように国債で運用し、長期金利水準を運用利回り目標にすることが、最も現実的だ。
政治家の中には、「国内外の株式に投資して、もっとハイリターンを追求すればいいじゃないか」と言う者が多い。だが、それは必ず失敗する。なぜなら、政治的に逆張り投資ができないからだ。資産運用は、株・債券価格が安いときに買って高いときに売ることで勝てる。
しかし、政治家や一般国民は、価格下落局面で買うことや、価格上昇局面で売ることを理解できない。その批判を避けるため、公的年金の運用は、価格下落局面で売り、価格上昇局面で買う、という順張り投資になりがち。
そして、巨額ファンドであるが故に、自分が買おうとすると相場が上がって高値掴みになり、売るときも相場を自ら下げる。この取引コストが運用利回り全体に与えるマイナス効果は、非常に大きい。
このような運用の実態と、長期金利が2%を下回っていることを考えれば、4%という利回りがいかに非現実的な数字かがわかるはずだ。
保険料率を上げても増えない収入
一方で、所得代替率はむしろ上昇
――04年の法改正以降、こうした課題を抱えた年金制度に本格的にメスが入れられなかった結果、足もとではどのような危機が訪れているのか。
デフレ経済が長引き、現役世代の賃金水準が下がっているため、保険料率を上げているにもかかわらず、財源となる保険料収入総額が増えない状況が続いている。一方、デフレ下で所得代替率は、改正時に想定していたよりもむしろ上昇し、今では60%を越えている。
結果的に、04年の改正時以上に年金財政が悪化しているのが現状だ。積立金が枯渇して資金繰りがつかなくなったら、年金制度は続けられなくなる。「2033年にも積立金は枯渇する」と分析する専門家もいる。
――年金を存続させるためには、どうしたらいいのだろうか。民主党は以前から「年金改革」を口にしているが、一向に動きが見えてこない。
一口に「年金改革」と言っても、年金制度そのものに関わる議論と、支給開始年齢引き上げのような年金財源に関わる議論は、分けて考えたほうが適切だし、わかりやすい。
財源議論に関して言えば、高齢者の年金給付額をカットせずして、改革などあり得ない。公的年金制度を維持する仕組みとしては、04年改正で導入した保険料率の上限を設定し年金財源にキャップを被せる仕組みが一番よい。その上で、年金給付額のカットを即時実施することは必須要件だ。
政治家が言っている年金改革は、簡単にはできない。どんな制度改正をするにも、必ず移行コストがかかるからだ。すでに年金を受給している人たちに払い続ける分と、新制度に移行するためのコストは、保険料の増加という形で、現役世代に降りかかる。現役世代は、負担が二重になるわけだ。そんな状況で、制度改革などできるのだろうか。
年金受給者の所得代替率を28%も
引き下げないと、改革などあり得ない?
――では、高齢者の給付額をどれくらいカットすればいいのだろうか。
今回厚労省は、支給開始年齢を68~70歳にしたいと言った。そこから逆算できる。
現在の日本人の平均寿命は、男女合わせて83歳なので、年金の支給は65歳から83歳まで行なわれることになり、平均支給年数は18年と考えられる。一方、70歳からの支給を仮定すれば、支給開始は5年間遅くなり、支給期間も13年と短くなる。この支給開始年齢の差を現在の支給期間で割ると、出てくる数字は28%だ。
2010年度における所得代替率は62.3%だから、ここから28%引き下げると45%。「所得代替率を45%にすれば、公的年金制度を何とか存続できる」と、厚生労働省は試算しているのではないだろうか。
支給開始年齢を引き上げると共に
給付額もカットする「合わせ技」
――所得代替率が50%を大幅に下回ることなど、現在の高齢者が認めるだろうか。民主党政権は、難しい舵取りを迫られることになる。何かうまい「落としどころ」はないだろうか。
もちろん、政治的に非常に困難だろう。しかし忘れてはいけないのは、支給開始年齢を引き上げるのも、同じくらい大変だということだ。それらは結局、表裏一体の関係にあるのだから。このままでは、今年金をもらっている世代や近々もらう世代と、現役世代との間の「格差」は埋まらない。
よって、支給開始年齢を引き上げると共に、年金給付額もカットするという「合わせ技」が必要となる。給付カットをせずに支給開始年齢だけを引き上げることは、現役世代に全ての負担を背負わせることになり、世代間の不公平を拡大させるだけだ。
「合わせ技」を行なうためには、野田首相の決意と誠意ある説明が必要だ。ここまで危機が迫ると、さすがに国民も聞く耳を持つのではないか。民主党は今なら、04年年金改革の失敗を自公政権に責任転嫁する話法が使えるが、このままでは次回の総選挙のときに全責任を負わされることになる。
今回、小宮山厚労相は、支給開始年齢の引き上げ議論を棚上げしてしまったが、これは問題を先送りしただけに過ぎない。
――民主党が唱えるように、年金の仕組みそのものを変えてしまえば、財源問題を解決する道筋はつかないだろうか。
民主党は、最低保証年金と所得比例年金の組み合わせを提案している。しかし、民主党の言う所得比例年金は、所得比例と呼ぶことができるものではない。低所得者層の年金を嵩上げするために、高所得者層にたくさん負担させて、穴埋めするだけではないか。
社会全体の富を再分配する上で、高所得者層に我慢してもらうことは、政策的に悪くはない。ただ、それは結局、所得比例年金ではなくなってしまい、嘘になる。
むしろ理想的なのは、基礎年金を公的制度で運営し、それ以外を民間の年金にすること。それなら、国も財務リスクを負わなくて済む。
だから米国では、公的年金の割合が低く、そのぶん確定給付型や確定拠出型といった民間の年金を充実させている。国民も、経済動向や投資する金融商品の価値に敏感になり、選挙における争点もそこに重きが置かれている。
日本もそうなれば、政治家はもっと経済を勉強するようになるだろう。少なくとも、「国債のことはわからない」と公言するような首相は出てこなくなる。
「クリンチ作戦」を使う公務員
共済年金と厚生年金をすぐ統合せよ
――そもそも、このような事態を招いた政治家や官僚の責任をどう問うべきか。
国会議員は、自分たちの年金をお手盛りで改正して、実質的な被害は少ない。これでは国民は納得しない。何をしなくてはいけないかは、もう明らかだ。
国会議員の年金廃止法案審議に際し、自民党が唱えて実現した案は4%~20%削減、それに対して民主党案は30~50%削減だった。当然、民主党は自分たちが主張していたことは、ちゃんとやるべきである。
それに加えて、国家公務員共済と地方公務員共済を、すぐに厚生年金と合体させるべきだ。国家公務員・地方公務員共済と厚生年金とを比較すると、保険料率は公務員の方が安いのに、給付額は公務員のほうが大きい。
共済年金と厚生年金の統合一元化は、すでに政治決定されている。にもかかわらず統合されていないのは、公務員側がボクシングでいう「クリンチ作戦」をとっているからだ。つまり、積立金が厚生年金より余裕があるうちに、厚生年金より大きな年金給付を支払い続け、年金財政が厚生年金より悪くなった時点で、厚生年金に抱きつく狙いだ。
少なくとも今合体させて、公務員の年金優遇をカットすれば、そのぶん財源が捻出できる。そこまでやって、国民はやっと犠牲を払おうという気になる。年金給付額のカットと支給年齢引き上げの「合わせ技」も、現実味を帯びてくるはずだ。
税と社会保障の一体改革では
医療・介護保険の財源確保を重視
――政府が検討を進めている「税と社会保障の一体改革」の行方は、年金議論にどう関わってくるだろうか。
税と社会保障の一体改革で議論されている増税については、年金財源を確保する目的もあるが、主な目的は医療・介護保険の財源確保のほうだ。
この改革は経済成長につなげなくてはいけないが、年金は直接経済成長につながらない。その意味でも、今後政府は、社会保障制度全体の財源を、年金から医療・介護へと移行していくべきだろう。
たとえば、医薬品、医療機器などを含む日本の医療産業の貿易収支は、今や1兆3000億円の赤字。日本が医療分野で競争力を取り戻すためには、海外のように国際ブランド競争ができる「メガ非営利医療事業体」を、国・公立病院を核に創る必要がある。医薬品、医療機器の開発のためには、臨床に強い大規模な医療事業体が不可欠なのだ。
また、今後医療需要が飛躍的に伸びるであろうアジア諸国に向けて、日本の医療保険制度、医療提供体制、医科大学、在宅ケア施設、人材育成体制などをセットにして輸出していく方法もある。これらの試みには追加財源があまり必要なく、医療提供体制を組み替えることでチャレンジ可能になる。
したがって、税と社会保障の一体改革で年金改革を考えるときも、財源をいかに成長産業である医療や介護にもっていくかを念頭に置くことが、重要なポイントとなる。