コラム 国際交流 2011.09.14
東日本大震災に関しハーバード大学が開催した4月22日のシンポジウム("Japan Disaster Response and Future Assessment")で、日本でも有名なマイケル・サンデル教授は、18世紀後半に活躍した思想家--アダム・スミスやジャン=ジャック・ルソー等--が、リスボン地震(1755年)後に抱いた世界観に触れた。そして「東日本大震災後、global communityに関し如何なる意識を抱くか」という問題を聴衆に説いた。すなわち当時の欧州人が抱いた中国人に対する感情やコスモポリタニズムに対する反発と比較した場合、「グローバル時代に生きる我々が抱くglobal communityに対する帰属意識は如何なるものか」、と(詳細はスミスの『道徳感情論(The Theory of Moral Sentiments)』、またルソーの『エミール(Emile)』や『社会契約論(Du Contrat Social)』を参照)。当然のこととしてこの問題に一意解は無く、またこの種の問題は、国際対話を通じ自らを常に問い質すプロセスこそが大切なのだ。
さて"global community"と言えば、キッシンジャー氏が近著(On China, May 2011)の最終章で提案した概念(a "Pacific Community")を思い浮かべる。同書の最後の引用--カントの『永遠平和のために(Zum ewigen Frieden)』の中の言葉--を目にした時、自他共にrealistと認める同氏も、遂にidealist/liberalistの思想にも傾いたのか?、と思わず微笑んでしまった。が、その直前、キッシンジャー氏は中国人民解放軍(PLA)の「反米派」、劉明福国防大学軍隊建設研究所長の著書(《中国梦: 后美国时代的大国思维与战略定位》(2010))や英国の第1次世界大戦前の対独姿勢を規定した「クロウ・メモランダム」(1907)に触れており、著者自身が"Pacific Community"に対し楽観的でないことを表明している。
グローバル化が進展し、様々な"Pacific Community"が提案されているなかで、日本は如何なる対外戦略で臨むのか。これに関し、博学で経験豊かな戦略家キッシンジャー氏は、日本の「戦略的思考」に対し長年疑念を抱いている。嘗て同氏は「米中両国は日本に戦略を練る誘惑を過度に与えてはならない」と毛沢東主席に語ったが、筆者は今、米中に伍する「したたかな日本」の対外戦略を、慧眼な諸兄姉と冷静に討議したいと考えている(前述の書や『キッシンジャー「最高機密」会話録(Kissinger Transcripts: The Top Secret Talks with Beijing and Moscow)』を参照)。・・・