大震災直後に比べて、ようやく外国から筆者の友人が日本を訪れるようになった。そして7月には、ハーバード大学から、ロバート・スティヴンス教授やディル・ジョルゲンソン教授をはじめ研究者が多数訪日した。彼らは日本のきめ細かい節電努力に賞賛を惜しまない一方、電力供給の将来に対し不安を隠さなかった。なぜなら電力供給には、短期的調整と長期的調整、双方両睨みで供給能力を決定してゆく必要があるからだ。
当然のこととして再生可能エネルギーは極めて大切だ。が、これは中長期的視点から議論されるべきで、電力不足という現下の危機に対し即効性という点からは疑問視せざるを得ない。また原子力に関する一般市民感覚が、3月の事故以前とは正反対の形で不安感・不信感に急変し、結果的に電力不足が経済社会にとって厳しい制約条件となったのは周知の通りだ。
或るエネルギー安全保障の専門家は、米国の偉大な戦略家マハンの言葉に触れた。「危険度を測るに際しては、冷静な想像力が必要であり、それは過信と杞憂とを同時に排したものでなければならない」、と。確かに今の日本は、過信と杞憂を排し冷静な想像力で、安全であるとともに安定した電力供給を実現しなくてはならない。電力供給が安定しなければ、厳しい国際競争に加え円高環境の下、日本企業は生産拠点の海外移転を更に推し進めてゆかざるを得ない。またこの事態が深刻化すれば、日本経済復興の道程は一段と険しくなる。こうした理由から日本は優秀な人材と健全な経営基盤を擁する電力供給会社を必要としている。そして筆者は今、IAEAや米国原子力エネルギー協会(NEI)の資料を眺め、グローバル時代の競争力と地球環境問題いう視点から日本の電力会社の将来像を内外の友人達と議論している。
勿論、現在日本に蔓延する「冷静さを失った想像力」と「杞憂」に理由がないわけではない。原子力事故に関する限り、リーダーの言動が国民感情を一層悪いものにしたことは否定できないし、この事故が悲劇であることに間違いない。が、リーダーの言動次第で、人々の心の痛みは和らぎもするし逆に痛みが増すこともある。時代を遡れば、大恐慌の最悪期に米国が直面していた1933年春、フランクリン・ルーズヴェルトは3月4日の大統領就任演説で「唯一我々が恐れることは恐怖そのもの。それは名状し難く根拠無き、そして許されざる恐怖です」と述べ、就任後の「最初の百日」に新しい具体策を次々に実施した。同大統領が危機に臨んで採った言動全てが正解でないにしろ、彼の態度は今でも参考になる。
そして今、明るさを落とした東京のレストランで、米国の友人が教えてくれた名ゴルファー、ボビー・ジョーンズの言葉を思い返している。「ゴルフでは、良いプレイをしたときよりも、悪いプレイをしたときの態度が大切です」。程度の軽重はあっても我々は災禍から逃れられない。大切なことは、ジョーンズが語った如く「禍の後に、いかなる態度で臨むか」なのだ。こうした理由から日本の原子力事故にしても、また中国の高速鉄道脱線事故にしても、事故後にリーダーが真摯な態度で臨み、不安と不信とを払拭する言動に専念していたならば、事故に対する我々の態度も大きく違っていたと筆者は考えている。
この米国の友人は、楽しい会食の後で筆者に次のように語ってくれた。「日本の新幹線の安全性は神話ではなく事実だ。日本の電力会社も安全かつ強力に必ず復活するよ」、と。
【2011年8月10日 電気新聞「グローバルアイ」に掲載】