コラム  国際交流  2011.07.01

「ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第26号(2011年6月)

小誌は大量の資料を網羅的かつ詳細に報告するものではない。ハーバードにいる一研究者である筆者が接した情報や文献を①マクロ経済、②資源・エネルギー、環境、③外交・安全保障の分野に関し整理したものである。紙面や時間の制約に加えて筆者の限られた能力という問題は有るが、小誌が少しでも役立つことを心から願っている。

 東日本大震災が起こる前まで、注意深く日米関係を追っている人々の間では、"Japan dissing (日本切捨て)"という言葉が一種の"buzzword (流行語)"となっていた。すなわち"Japan bashing (日本叩き)"の時代は終わり、また"Japan passing (日本軽視)"の時が過ぎて、一部の米国知識人は、「話が噛み合わない」民主党政権下の日本との関係を切り捨てたい気持ちに駆られていたのである(Michael Auslin, "Japan Dissing," Wall Street Journal Asia, April 22, 2010 (http://www.aei.org/article/101953)を参照)。
 こうした時こそ、我々日本人は「知的反論の好機到来!」と喜ぶ心構えで臨み、そして「そうかも知れません。しかしながら...」を「枕詞」にして、知的水準の高い対話を積極的にすべきである。日米中の3国関係は、大震災と原発事故により、また中国の政治経済的台頭により、新たな関係を模索する時代を迎えつつある。しかも国内の政治的混乱と原発事故による危機収束に忙殺される日本を横目に見ながら、我が国の重要なパートナーである米中両国は、2国間対話を日々洗練・深化させている(下の2参照)。かくして日本は、「知的情報発信」の洗練に努め、米中両国との直接的で双方向の対話を推進・強化する時を迎えている。・・・


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「ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第26号(2011年6月)