メディア掲載  国際交流  2011.06.22

日本経済の復興の行方が、今後の日中関係を決める

日経ビジネスオンライン に掲載(2011年5月31日付)
 4月中旬から下旬にかけて北京と上海を訪問した。その間、中国の友人に会うと必ず家族や親戚の安否を尋ねられ、震災へのお見舞いの言葉を贈られた。日本のことを親身に心配し、復興を応援してくれる中国の友人の温かい心に触れた。
 中国に駐在する多くの日本人も私と同じ気持ちを抱いているが、それを伝える報道は少ない。以下では震災後の中国人の日本に対する見方の変化を紹介しながら、今後の日中関係について考えて見たい。


震災前の日中関係:尖閣沖での漁船衝突事件を契機に悪化
 2010年9月に尖閣諸島で漁船衝突事件が発生し、日中関係は一気に悪化した。その影響で日中双方において、反中・反日感情を持つ人が国民の7~8割に達した。
 その後、反中・嫌中感情を抱く日本人の比率は8割前後のまま推移した。一方、中国では、日本への旅行や安心・安全な日本食への根強い人気などが手伝って対日感情が徐々に改善に向かっていた。ただし、その改善テンポは遅く、過激な意見を持つ人が投稿する割合が高いネット上の書き込みでは、震災直前も8割が反日的な内容だったと言われる。
 そうした状況において東日本大震災が発生し、中国人の対日感情は一変した。


震災直後:被災民のモラールの高さに驚き、日本に対する見方が劇的に変化
 中国のメディアは震災直後から1週間もの間、異例の扱いで今回の震災を大きく取り上げた。24時間いつテレビを見ても、CCTV(中国中央電子台:日本のNHKに相当)を中心に、どこかの番組で日本の震災を報道しているという状態だった。このため、ほとんどの中国人が震災直後の日本の状況をよく知っている。
 被災者の感情に配慮して日本では報じられなかった生々しい映像も、中国のテレビは報じている。このため彼らは、日本人以上に大震災後の悲惨な状況を目の当たりにした。そんな中国人の友人が、日本および日本人に対して感じたことを語ってくれた。その気持ちが集約された代表的なものを紹介する。
 「これほど凄まじい自然災害に普通の中国人が直面すれば、恐ろしさのあまり精神的に混乱していただろう。社会秩序を保つことは極めて難しかったはずだ。 それにもかかわらず日本人は我慢強く精神的・肉体的な苦痛を堪え忍び、冷静に秩序を保っていた。略奪、救援物資の奪い合いなども見られなかった。どこでも整然と並んで少ない物資を分け合う姿に、日本人の人間性やモラールの高さを感じた」
 「これまで日本人をよく知らなかった中国人は、震災報道を見て、日本人はこんな立派な国民だったのかと驚いた。また、中国人を差別することなく、日本人と同じように扱い、自分が犠牲になっても中国人留学生の命を助けてくれた日本人がいたことに感動した中国人は多い」
 震災直後の日本政府首脳の姿勢や天皇皇后両陛下の行動に対する評価も高かった。政府首脳は、被災地で演説するなど派手なパフォーマンスを行うことなく、実務的対応に徹した。両陛下はご高齢にもかかわらず被災地を訪問し、床にひざまずいて被災者に優しく言葉をかけられた。
 この結果、中国人の対日感情に劇的な変化が生じた。震災直前まで、中国のインターネット上の日本関連の書き込みは8割が反日あるいは嫌日的内容だった。しかし、これが一変し、9割が親日的あるいは日本を評価する内容に変わった。
 こうした状況下でも一部の中国人は「因果応報だ」などと日本人の不幸を喜ぶ内容の投稿を行った。これに対してその他の中国人から「そんなことを考えるお前は人でなしだ」「そんなことを考える人間がいるなんて同じ国民として恥ずかしい」と厳しい非難が集中したと聞く。


その後:日本政府と東京電力に対する評価は急落
 しかし、福島第1原発の事故発生と、その後の政府及び東京電力の対応の問題点が報道されるにつれて、日本政府及び東京電力に対する不満が急速に高まった。中国人が特に問題視したのは、1)放射能汚染水を事前に通告するなく海洋投棄したこと、そして2)日本の放射性物質が、微量ではあるが、首都北京の放射線量を増加させたことだ。放射能汚染を恐れた北京市民は、北京周辺で栽培された地場のホウレン草などを食べなくなった。
 北京のみならず沿海部では、中国への放射能汚染の影響を過剰に心配する人たちが急増した。それでも日本人に対する高い評価はマイナスの影響を受けていない。多くの中国人が「日本人は立派だが、日本政府と東京電力は評価できない」と感じている。


放射能汚染への過剰反応
 北京の野菜への影響や沿海部での放射能汚染に対する過剰な反応は、中国のメディア報道が招いた一種の風評被害と言える。しかし、日本のメディアも同じことをやってきた。中国だけを批判することはできない。
 例えば、尖閣諸島での漁船衝突事件後に起きた中国でのデモを、日本のメディアは実態以上に深刻に描いた。このため、平穏な北京、上海への出張まで取りやめた企業が多かったことは記憶に新しい。また、毒入り餃子事件は中国の一企業に対して悪意を抱く犯人が引き起こした事件だったにもかかわらず、これを中国製の食品すべての安全に関わる問題であるかのように報じた。日本人の中国食品に対する不安感を煽った。
 今回、北京で生じた消費者の過剰反応は、ちょうどその裏返しの現象であると言える。


日本経済の復興の行方が、今後の日中関係に影響する
 中国でビジネスを展開する日本企業にとって、東日本大震災は今のところそれほど深刻な影響を及ぼしていない。日本からの対中投資も引き続き高水準で推移している。
 現時点で見られる影響は、新鮮な魚介類を扱う日本料理店で客足が遠のいていることだ。上海や深圳の中国人向け高級日本料理店への影響が最も深刻だ。ただし、日本人向け高級店、中国国産魚介類しか扱っていない中級店への影響はそれほどではない。
 また、中国人の日本旅行や日本への出張はキャンセルが相次ぎ、日本のホテルなどに影響が出ている。部品メーカーの被災によるサプライチェーン断絶の影響は5月中旬ごろに被害の全貌が明らかになるとみられる。部品供給の停止により日本企業の中国工場が大幅な稼働率引き下げを余儀なくされることになれば、経費削減のために余剰従業員のレイオフを考えざるを得なくなる。そうなると、これまでは日本人を同情していた中国人の気持ちが徐々に怒りに変化していくことが懸念されている。
 以上のように、日中関係は国民感情面で大幅に好転している。一方、日本企業の中国ビジネス、あるいは日本経済の復興そのものが今後どのような推移をたどるかは予測が難しい。それが日中関係に及ぼす影響は未知数である。
 ある親日派の中国人は、「万一、日本経済の復興がうまく進まず、日本経済が長期停滞局面に入り、日本が二流国へと転落するようなことになれば、今回の震災で日本人を高く評価している中国人がやがて日本を見下すようになる」と心配している。その意味でも日本経済の順調な復興が今後の良好な日中関係構築にとって極めて重要なカギとなる。
 日中両国政府は日中間の戦略的互恵関係の強化を重視している。「互恵」と言う以上、日本が、中国の恩恵を一方的に受けるのではなく、日本からも中国に対して恩恵を与えることが前提である。それには日本経済の早期立て直しが不可欠である。
 今後、日本経済が本格的に回復するまでの数年間は経済復興が最重要課題である。それには何よりも、目前の電力供給制約を解消し、生産を回復させることを最優先すべきだ。さもなければ日本は、大不況と財政破綻という第2の大津波に襲われる。景気悪化を招く増税を極力避けて、個人の医療費負担増、年金支給開 始年齢の引き上げなどにより経済活性化策に必要な財源を捻出するべきである。従来の福祉重視の発想を抜本的に改め、経済復興に向けて国民の総力を結集しなければこの国難を克服することはできない。
 日本経済を再起することができなければ戦略的互恵関係は画餅である。今の日本政府の対応からは国難――財政破綻リスクの下で震災復興を成し遂げなければならない――に対する危機感が伝わってこない。この点に不安を感じる。


今後の震災復興と日中協調発展に向けて
 日本人が旅行や出張で中国を訪問して中国人と直接接した時に反日感情を感じた人はほとんどいない。同様に、中国人が日本を訪問して個人的に接触した日本 人から反中感情を感じたケースもほとんどない。反中感情、反日感情は一部のメディアや評論家による誇張された報道や論評によって煽られたものが多い。個人レベルの日中交流の現場ではほとんど意識されていないのが実情である。
 最近中国に出張する日本人ビジネスマンが急増し、自分の目で中国を見て理解する人がどんどん増えている。日本のメディアがこれまでのような偏った報道を続ければ、早晩、日本のメディア自身が信頼を失うことになる。
 日中両国民間の相互理解を促進していく上でメディアが果たす役割は大きい。今回の震災後、多くの中国人が日本のことを心から心配して電話、メールを通じて真心のこもった言葉を贈ってくれた。義援金、救援物資など様々な支援の手をさしのべてくれた。中国人のそうした温かい心に触れた日本人は感動し大きな元 気をもらった。そうした事実を日本のメディアが公平に伝えることが大切である。
 大震災からの復興は、日本国民の総力を結集した長期の大事業になる。それを中国の多くの友人たちが応援してくれていることを日本人が理解し、これまでの 感情的な摩擦を乗り越えて両国民が協力していくことが、日本の復興にとって極めて重要である。今回の大震災を通じた日中間の心の融和と実務的な協力が、日本の震災復興と日中両国の協調発展にとって大きな推進力となることを望みたい。