コラム  国際交流  2010.07.02

今は日本の安全保障のあり方について考える好機

 5月下旬から6月初にかけて米国に出張した際に、外交・安全保障問題の専門家の方々と面談し、韓 国哨戒艦問題に対する見方を聞く機会を得た。もちろんその専門家の方々が米国全体の見方を代表するとまでは言えないかもしれないが、私自身がこの問題を考 える上で大変参考になったので、その主なポイントを整理して紹介したい。

 日本で普天間基地移設問題が広く国民の間で注目される最中、韓国の哨戒艦が北朝鮮の魚 雷攻撃によって沈没するという事件が起きた。当初普天間基地問題を5月末までに決着させるという鳩山前総理の決意がどの程度大きな意味を持っているかどう かについては評価が分かれていた。しかし、5月20日の韓国軍・民間合同調査団による調査結果発表(沈没原因は北朝鮮軍による魚雷攻撃と発表)後、北朝鮮 リスクへの対応として日米韓3国の協力体制を早期に構築する必要が高まり、状況は大きく変化した。もし普天間基地移設問題をめぐって日米関係がぎくしゃく した状態が続いていれば、今回の3国協力体制の構築に何らかの支障が生じていたと考えられる。もちろん普天間基地移設案はまだ沖縄県民が了承したわけでは ないため、最終的な解決には至っていない。しかし、少なくとも日米両国政府間で1つの解決の方向を共有するところまで合意できていたことが、北朝鮮問題を めぐる協力体制の早期構築の上で大きな支えになったと米国の専門家は評価している。

 ところで、今回北朝鮮が韓国哨戒艦を撃沈した意図はよくわかっていないと見られてい る。金正日総書記が攻撃を指示したという見方もあれば、そうではないという見方もある。とくに後者の場合には問題が深刻である。それは北朝鮮の軍事行動が 金正日総書記のコントロールすら及ばない状態に陥っていることを意味するからである。仮にそうであるとすれば、今後の北朝鮮の動きに対して、金正日総書 記、中国、そして米国を含めて誰もコントロールができない状況にあるということになる。これこそが最大のリスクである。その場合、隣国の日本もいつ攻撃の 対象になるかわからない。だからこそ日米韓3国の防衛協力体制の早期構築が必要になったと見られている。もちろんこれは1つの可能性であって確実にそうで あると断定できるものではない。ただ、そうしたリスクに対して事前に必要な備えを用意することこそが安全保障の本来の目的である。

 今回は普天間基地問題と韓国哨戒艦問題がたまたま同時発生したことから、国民の間で広 く日本の安全保障のあり方に対する問題意識が高まっている。テレビのモーニングショー等お茶の間向けの番組でも連日この問題が取り上げられた。そこで発せ られた重要な問いの1つが「有事に際して誰が日本を守るのか」という問いである。安全保障は国家として最も基本的な課題である。それについて国民が問題意 識を深めることは極めて重要である。

 沖縄に駐留している海兵隊はまさに現在、北朝鮮リスクとして認識されている周辺有事などへの対応のために配備されている。米軍では有事においてまず最初に 行動するのが海兵隊の重要な任務である。その海兵隊が沖縄に配備されていることにより日本周辺地域の有事に対する迅速な対応が可能となっており、それが抑 止力の強化にもつながっている。しかし、その一方で沖縄県民の負担軽減も重要な課題であり、それを抜きにして日本の安全保障は考えられないのも事実であ る。ではそうした課題を抜本的に解決するにはどんなアイデアがあるだろうか。

 ある米国の専門家は1つの可能性として、自衛隊に特殊部隊を作り、その部隊が海兵隊を 代替することにより、海兵隊を国外に移すというアイデアを示した。その場合、自衛隊は日本の領土防衛以外に周辺地域で生じる有事に際して米軍と一体となっ て作戦を展開することになる。もっとも現在の海兵隊が担う日本周辺以外の広範な地域への対応の全てを自衛隊が引き継ぐのではなく、日本の防衛に密接に影響 する周辺地域の有事対応に限定するというアイデアである。これにより沖縄県民の負担は大幅に軽減される上、日本自身が東アジアの平和維持に大きく貢献でき るようになる。また、周辺地域に滞在する日本国民を有事の際に直接救出できるなど、多くのメリットがある。

 しかし、その一方でそれを実現することに伴う問題も多い。第1に、憲法9条の見直しが 必要になる。第2に、周辺国が強く反対する可能性が高いほか、周辺国の軍備拡張競争を助長するリスクがある。第3に、海兵隊の機能低下および国外移転に伴 うコスト負担等を懸念して米軍自身が反対する可能性がある。

 以上のアイデアとは異なり、抑止力維持にとって現在のアジア地域における海兵隊の機能がどこまで必要なのかという観点から海兵隊の機能と配備の在り方を抜本的に見直すべきとする別の米国の学者の意見もある。

 日本において以上のようなアイデアが具体的に議論されることは少なかった。それは日本 人自身が自国の置かれている安全保障上のリスクと正面から向き合う機会が少なかったこと、また憲法9条の範囲を越える防衛戦略を公の場で議論することが政 治的に難しかったことなどが背景にあったと思われる。しかし、日本国民が有事に直面してから対応策を考えるのでは間に合わない。国民の間で日本の安全保障 問題に対する意識が高まっている今こそ、今後の日本の安全保障のあり方について様々な可能性を含めて具体的に考えるいい機会であると考えられる。