コラム  2021.06.07

インフレ懸念、あるいは渇望

堀井 昭成

金融市場でアメリカのインフレ予想が盛り上がってきた。直接の原因は、その巨額な財政支出だ。アメリカ経済の推定需給ギャップがGDP5%に満たないところに、GDP 9%相当の財政支出が本年初に決まった。さらに今後8年間でGDP10%に相当するインフラ関連支出計画がすでに政権から発表され、また続いて同規模の計画が追加された。

『コロナ禍の向こうに(続)』を本コラムで記した半年前に、アメリカ経済の基礎的条件はインフレ方向を示していた。財政支出について、ポピュリズムを背景に拡大すると予想したが、実際の規模は予想をはるかに上回る。そこに政策当局の熱気すら感じる。

イェレン財務長官は、現在進行中の景気回復はK字型であり、そのKの右下の足が上向くような拡大を目指すと発言している。このKとは、単にコロナ禍の経済動向のみならず、前政権を通して一層顕著になった経済格差を意識したものだ。つまり、これまで経済成長から置き去りにされてきた層の所得を引き上げることを目指すというのだ。

金融政策を担うFed の幹部何人もが、包摂回復inclusive recovery、つまり「落ちこぼれのない回復」を目指すと言い、Fed全体としても、インフレが2%を上回るのを実際に見届けるまでは金利を据置く、との金融政策方針を決定している。

確かにアメリカでの経済格差は大きい。私が初めてアメリカで生活した1970年代末も格差は目立ったが、その後も趨勢的に拡大し、この1年コロナによってさらに拡がった。そして、その格差を背景にアメリカ社会は今や分断するに至ったとすらいわれている。

「欧州や日本が自然発生したのとは異なり、アメリカは故意に作られてきた。America has been created by design whereas Europe and Japan were born by nature. 」今から30年前、アメリカの日本たたきが華やかなりし頃来日した米大学の政治学教授(独生まれ)が私に教えてくれた。「だから、意図が弱まると国の存続基盤が危うくなる」とも。

そのためか、アメリカは体制の危機とみるや、大胆に政策を動員してきた。1979年ボルカー金融引締め、1982年ラ米債務危機、1985年プラザ合意、1997年アジア通貨危機、2008年世界金融危機など、私自身、現地であるいは関係者として目の当たりにしてきた。

最大の問題に全力で立ち向かうため、付随する将来のリスクには目をつぶることもある。現在の財政金融政策に即していえば、落ちこぼれのない経済拡大を成し遂げるには、幅広い賃金インフレが必要となろう。そこまで拡張政策をとって、インフレが2%強で収まるのか?仮に高インフレとなった場合、事後的に対処しようとすると、本格金融引締め → 高インフレ・高金利の併存 → スタグフレーションとなろう。そしてインフレ期の社会では、鬱が支配するデフレ期と異なり、人は躁になりがち、良し悪しは別にして。

「そんなことは分かっているけど、将来のリスクに囚われて動かなければ、アメリカの分断という国の基礎を揺るがす問題を解決できない。将来の問題は将来対処する。」アメリカの政策当局者がそう考えているのなら、経済と社会のパラダイムシフトは遠からず現実化するかもしれない。


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