イベント開催報告  エネルギー・環境

CIGS公開セミナー「中東における脱炭素とエネルギー地政学の変化」

2025年6月3日(火) 開催
会場:日本工業倶楽部会館

中東 エネルギー政策
〇登壇者 三宅 浩史 外務省中東アフリカ局 参事官
城山 英明 東京大学法学部大学院法学政治学研究科教授
上野 貴弘 電力中央研究所 上席研究員
田中 伸男 国際エネルギー機関(IEA) 元事務局長(モデレーター)
辰已 雅世子 キヤノングローバル戦略研究所 研究員
〇進 行   芳川 恒志 キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹


6月3日、「中東における脱炭素とエネルギー地政学の変化」と題する公開セミナーを、キヤノングローバル戦略研究所(CIGS)は日本工業俱楽部において開催した。本セミナーでは、CIGSの「脱炭素と中東地政学研究会」(以下「研究会」)のこれまでの研究成果を報告し、中東情勢について理解を深め、さらに第2次トランプ政権が世界の脱炭素や国際関係に与える影響について問題提起を行う等、現下のエネルギー地政学について検討することを目的とした。

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三宅外務省中東アフリカ局参事官および城山東京大学大学院法学政治学研究科教授からの基調講演と研究会の研究成果報告のあとのパネルディスカッションでは、上野中央電力研究所上席研究員と前述の城山教授がパネリストを、田中伸男研究会座長がモデレーターを務めた。ガザにおける深刻な人道危機の継続やイランとイスラエルの軍事紛争の勃発など中東情勢が大きく変化する中、パネルディスカッション後の質疑応答では、聴講者の中東情勢に対する高い関心が示された。本稿では本セミナーで行われた講演や議論内容を踏まえて考察したことを中心に記述する。

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1.
脱炭素の地政学的なインプリケーション

まず、脱炭素、特に再生可能エネルギーが地政学に与える影響について述べる。城山教授が指摘されたように、太陽光や風力などによる再生可能エネルギーによる発電は、今後も順調に増加していくことが予想されている。一方IEAは化石燃料の需要は2030年代にはピークに達すると予測しており、世界は再生可能エネルギーが拡大して「電気の時代」に移行する。再生可能エネルギーの場合太陽光や風力など地域の自然条件に左右されることに加え、もともと不安定な電源であることから「安定供給」が重要な課題となる。そのため、隣国、もしくは地域内での電力供給における協力体制の構築や送電線など電力を運ぶ設備に関しての国家間や企業間の調整が求められる。

また重要な課題は希少鉱物の偏在性と供給の安定性である。再生可能エネルギーには希少鉱物が欠かせないため、その安定供給は今後の鍵になる。しかし希少鉱物は石油と同様偏在性が高く、特に中国など一部の国がその供給をほぼ独占しているものが多い。日本としては自国における希少鉱物の採掘を進めることはもとより、技術開発に一層力を入れると同時にリサイクルなどを駆使して、中国など一部の国への依存を減らしていくことが喫緊の課題になる。

その一方、忘れてはならないのは、このように脱炭素が進む中でも化石燃料の需要は依然継続していくことである。それはネット・ゼロへ移行する時期にあっても化石燃料はエネルギー供給の安定に重要な役割を果たしているからである。そしてシェール革命により原油・天然ガスの生産量で世界第1位になった米国が化石燃料への回帰を宣言したことで、世界の地政学的な地図が少しずつ変化する兆しも見せている。ここからは、こうした米国の動きが世界の脱炭素に与える影響や中東地域の地政学的な変化について考察する。

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2. 米国の化石燃料への回帰とその影響

1.気候変動政策の多様性

米国の第2次トランプ政権は発足してすぐにパリ協定からの再離脱と化石燃料への回帰を宣言した。上野上席研究員が述べたように第2次トランプ政権の政策は基本的に第1次の時から一貫しており、「(石油を)掘って掘って掘りまくれ」というスローガンに要約されている。つまり脱炭素からは距離を置き、豊富な化石燃料の輸出に注力して収益の増加を目指す一方、自国のエネルギー価格の低下を目指す意図がある。

米国の化石燃料への回帰は、国際社会全体におけるネットゼロへの動きに対して影響を与える可能性がある。世界では今、気候変動対策として温室効果ガスの排出を制限し気温上昇を1.5℃に抑えるという先進国主導のやり方に、各国のそれぞれの事情に則った形で気候変動対策を採用するべきという流れが、特に新興国・途上国の主張として生まれている (Yergin 2025)20254月に開催された新興国や発展途上国で構成するBRICSの環境相会合の共同声明では、BRICS構成国にとって化石燃料が依然として重要なエネルギー源であることを認めつつ、脱炭素の重要性も謳った形になった(BRICS Brasil 2025)。つまり各国の事情に沿った脱炭素への道のりという多様性の視点を盛り込んだのである。

2.中東情勢

米国が化石燃料重視の政策に舵を切り、米国の利害と湾岸産油国、特にサウジアラビアやUAEとの利害が重なる部分が多くなった。城山教授が指摘したように、この共通の利害関係は今後も強化され継続されていくだろう。その意味で重要なのが、三宅参事官が述べた5月中旬に行われた米国トランプ大統領の湾岸3か国(サウジアラビア、カタール、UAE)への歴訪である。トランプ大統領が就任後最初の訪問先として湾岸地域を選んだのは、中東における米国の影響力やプレゼンスをアピールするとともに、湾岸産油国と米国の関係を再強化する狙いがあったと言われる。そしてその内実は、サウジアラビアとの6,000億ドルの対米支出・投資にコミットする戦略的経済パートナーシップ文書に署名するなど、各国との大型の経済協力、投資関係を結ぶものであり、米国の利益を前面に押し出した訪問になった。

その一方米国を迎える湾岸諸国は、非石油産業の育成と産業多角化による経済構造の改革を目指している。そのための戦略として、投資を呼び込むための安定した地域情勢を維持する必要があり、サウジアラビアの「ゼロ・コンフリクト」政策等、対立よりは協調路線を維持して同地域の地政学的なリスクを抑える政策を積極的に推進している。

3.湾岸産油国の地政学的な重要性

今回のトランプ大統領の湾岸3か国の歴訪は、イランの弱体化により新しい構図ができつつある中東情勢を読み解く上で重要な訪問でもあったと言える。20254月から始まったイランと米国の核交渉は、イスラエルのイラン本土への爆撃とそれに続く米国のイランの核施設への攻撃によって一時中断されている。現在、イスラエル、米国、イランの3か国間での停戦合意がなされてそれが順守されているが、今後この状況がどのように展開するのかは現時点では定かではない。湾岸4か国(オマーン、カタール、サウジアラビア、UAE)は上述のように地域の安定を最優先にする立場にあり、自国に隣接する地域における新たな紛争の火種を消すためにイランと米国の関係が外交的に修復されることを望んでいる。現にこれらの国々はイランと米国の交渉の間に立つ調停者としての役割を担っている。その一方イスラエルは、この核交渉の成立を妨害しこの機会に米国がイランの核施設を破壊することを強調していた。ガザ紛争以前には、イスラエルとサウジアラビアの国交正常化の交渉が米国の主導で行われており、現トランプ政権もその意向を表明している。つまり湾岸諸国はイスラエルとイランの間で新しい政治的な均衡を取ろうとしており、その意味において、湾岸諸国はトランプ政権が目指すイランとの新しい核合意の達成において重要な役割を担っているとも言える。そしてイランにとっても湾岸諸国は米国との交渉を行う上での重要な支柱とも言える。その一方、今回のイランへの爆撃やガザ紛争においてイスラエルは圧倒的な軍事力、破壊力を持って中東に君臨する兆しを見せてきた。アラブ諸国はこれを警戒し、イランとの関係性を今後さらに強めていくことが予想される(Nasr, 2025)。その一方今後の展開如何では、イスラエルとサウジアラビアの国交正常化が実現する可能性もゼロではない。もしそうなったら、サウジアラビアは米国とイスラエル両方との関係を強化し、強力なミドルパワーとして浮上する機会が増える可能性がある(エヤダド 2025)。

3. 中東のエネルギー地政学

1.中東におけるエネルギー地政学の変化

湾岸産油国、特にサウジアラビアとUAEはトランプ第2次政権の登場とともに、化石燃料の供給基地としての重要性がさらに増していくことが予想される。その一方、これらの国々は2000年以降、豊富な太陽光や風力など有利な自然条件を利用して再生可能エネルギーの一大生産地としても成長を続けている。つまりこれらの国々は、化石燃料と再生可能エネルギーの両方を手にする世界でも数少ない例とも言える。今後、彼らはこの二面性をより前面に出して、トランプ第2次政権下の国際社会においてエネルギー地政学上その重要性を増していくものと予想される。

2.長期的な湾岸産油国の脱炭素政策の展望

その一方湾岸産油国は、次世代エネルギーとして注目される水素・アンモニアの製造技術の開発にも力を入れている。天然ガスから取り出す「ブルー水素」や豊富な太陽光・風力を利用した「グリーン水素」の輸出国として、これらの国々は将来的に世界市場で高い競争力を持つことが予想されている。その中でも「ブルー水素」は、CCS技術を利用して天然ガスから二酸化炭素(CO2)を分離・回収し、地中などに貯留することで抽出される。世界的に「グリーン水素」製造に注力する国が多い中、湾岸産油国が豊富な余剰天然ガスから抽出する「ブルー水素」は特に比較優位性が高い。さらに化石燃料を再生可能エネルギーに転換することを可能にするCCS技術は、今後化石燃料と脱炭素の両立を図る上で特に重要な技術として注目されている。

4. おわりに: 日本へのインプリケーション

日本にとっても湾岸産油国の水素製造は非常に重要な意味を持っている。というのも、日本は中東とアジアを繋ぐ水素・アンモニアなどのサプライチェーンを形成するための取り組みを進めているからである(資源エネルギー庁 2023)。このように脱炭素を通じて新しい産業や技術が生まれ、それらを当該地域と協力して推進または開発していくことは、日本にとっての商機であるとともに中東との外交関係にとっても非常に重要である。さらに、この地域において日本の持つ技術力が生かされ投資が推進されれば、長期的な展望として中東地域の平和と安定に寄与することにも繋がる。以前より距離ができたと懸念されている現在の日本―中東関係が、今後脱炭素を供に推進するパートナーとしてより多角的に発展していくことが期待される。

参考文献

資源エネルギー庁「CCS長期ロードマップ検討会 最終とりまとめ概要」、20239
https://www.meti.go.jp/shingikai/enecho/shigen_nenryo/carbon_management/pdf/001_07_00.pdf

ザイド・エヤダト 「グローバルサウスに代わる概念を」 日本経済新聞、202565

Azvedo, D., Baklwai, S., Chen, C. et al., “An Evolving BRICS and Shifting World Order”, Boston Consulting Group, 2024.
https://www.bcg.com/publications/2024/brics-enlargement-and-shifting-world-order

BRICS Brasil, “Ministers Approve BRICS Environment Declaration”, April 3, 2025.
https://brics.br/en/news/ministers-approve-brics-environment-declaration

Nasr, V.”The New Balance of Power in the Middle EastAmerica, Iran, and the Emerging Arabian Axis”, Foreign Affairs, June 10, 2025.

Yergin, D., Orszag, p. & Arya A. “The Troubled energy Transition: How to find a pragmatic path forward”, Foreign Affairs, Vol. 104, No. 2, 2025.