イベント開催報告 エネルギー・環境
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5月10日(金)、キヤノングローバル戦略研究所(CIGS)は「中東産油国の脱炭素と地政学の変化」と題する公開セミナーを日本工業倶楽部において開催した。政府、企業、研究所、大学等から聴衆約50名が参集した。
このセミナーは、CIGSの「脱炭素と中東エネルギー地政学研究会」(以下「研究会」)のこれまでの研究成果を報告しつつ、脱炭素が進む中、中東における地政学の変化について問題提起を行うことを目的としたものである。在京UAE大使館の代理大使の基調講演と研究会の成果報告後のパネルディスカッションでは、研究会メンバーである出川展恒NHK解説主幹と保坂修司日本エネルギー経済研究所・中東研究センター長がパネリストを、田中伸男研究会座長がモデレーターを務めた。
昨年から続くイスラエルのガザ侵攻やイランとイスラエルとの緊張の高まり等を背景として、本セミナーは時宜を得た開催となった。特に、現在ガザ紛争がより一層緊迫化しつつあり、メディアの報道等世界の注目が改めて中東に集まっていることが実感された。フロアからも多く意見が寄せられ、本セミナーに対する聴講者のフィードバックにも関心の高さがうかがえ、評価も非常に好意的であった。本稿では、質疑応答も含めた本セミナーの議論を踏まえて考察したことなどについて記述したい。
パネリストの出川解説主幹による発表にあったように、ガザ紛争が中東全域に拡大する危機が続いている。イランとイスラエル間で双方の本土への攻撃や、親イランのイスラムシーア派組織ヒズボラの幹部が、イスラエルの空爆で殺害されるなど危険な状況が続いている。そのため、セミナーの議論は脱炭素というより地政学の議論に集中したが、このことはこの地域には民族、宗教、宗派など様々な対立軸が存在すること、またこれまでの歴史が示しているように、この不安定な地域での紛争等が域外に広がって、国際紛争の震源地とも成り得ることを改めて確認する機会になった。
さらに、脱炭素の時代ということで、ともすれば見過ごされがちであるが世界の化石燃料の需要は依然継続しており、ネット・ゼロへ移行する時期にあっても化石燃料はエネルギー供給の安定に重要な役割を果たしている。米国はシェール革命により原油や天然ガスの供給でほぼ自立を達成した。しかしその一方で、日本や東アジアは中東に化石燃料の供給を大きく依存している。またウクライナ侵攻後、脱ロシアを進める欧州も急速に化石燃料の中東依存を高めているなど、世界の中東産油・産ガス国へのエネルギー依存度は益々高まっている。つまり中東のエネルギー供給基地としての重要性は、以前にも増して高まっている。
保坂中東研究センター長が述べたように、地球温暖化・気候変動は湾岸地域を含む中東地域にも非常に大きな影響を与えている。中東地域は夏には50℃を超えることも少なくない。温暖化対策が滞れば、一部地域では60℃を超え、しかも多湿のため、人間が住める状況ではなくなる恐れもある。夏の時期のメッカ巡礼はもともと非常に厳しいものであるが、このままでは巡礼の儀式そのものを変更せざるをえなくなる。さらに、湾岸を含む中東地域は気象の変化による被害に脆弱であると言われている。この一例として、この地域では一般的に道路の排水設備が十分に整っていないことから、少し雨量が増えるとすぐに道路が冠水する危険性が高い。したがって、大規模な洪水やサイクロンの巨大化が起きた場合、その被害は計り知れないものになる。また島国や沿岸の小国では海面水位の上昇で国土が縮小する危険もある。
このように甚大な被害を与えうる地球温暖化・気候変動を原因とする大規模な自然災害は、中東地域の温暖化対策、温室効果ガス削減を目標とした脱炭素政策を後押しする大きな要因に成り得る。湾岸の産油国では支配層の世代交代が進む中、2016年にはサウジが化石燃料に依存する財政・経済構造からの脱却を目指す国家ビジョン「ビジョン2030」を発表したが、ここに脱炭素という目標も加えて、その活動を本格化しようとしている。
湾岸産油国であるサウジアラビアやUAEが行っている脱炭素政策は進んできている。この2か国はクリーンエネルギーの推進で中東諸国をリードする存在であるが、UAE代理大使によれば、UAEでは2050年ネットゼロを目指して、持続可能な都市開発事業Masdar Cityを構築し、4,800トンの二酸化炭素を再生可能エネルギーの利用により削減することに成功した。サウジアラビアは2021年にSaudi Green Initiativeと呼ばれる再生可能エネルギーへの転換などを通して脱炭素を目指すプロジェクトを立ち上げている。また持続可能な発展を目指す未来都市NEOMを建設中であるが、将来的には豊富な再生可能エネルギー資源を生かし、世界最大規模のグリーン水素の生産を目指している。
しかし、その一方、この2か国を始め産油国や産ガス国における脱炭素政策が、実質どこまで成功するのか懐疑的な人々もいる。長年に亘り化石燃料の輸出に国家財政を頼ってきた国が、どこまでその構造を改革して経済の多角化を成し遂げられるのか、これは誰にとっても未知数ではある。しかし、地球温暖化による気候変動がもたらす自然災害を軽減していくためには、自らが率先して脱炭素を推進し、他の国々をリードしていく以外に方法がないこともまた事実である。したがって、こうした湾岸産油国、産ガス国の再生可能エネルギーへの取り組みが今後一層強化される可能性もある。
最後に日本と中東関係であるが、このセミナーでも明らかになったように、日本のビジネス界のみならず一般の人々の中東への関心も低下しつつあり、同時に中東諸国においても日本への関心が停滞傾向にある。しかしながら、日本は依然として中東湾岸地域に石油輸入の90%以上を依存していることを忘れてはならない。出川主幹が述べたように、中東の人々の日本に対する意識の変化は、
ガザ紛争開始から7カ月を経た現在、この紛争は中東全体を不安定な状況に巻き込むリスクを抱えている。この紛争からイスラエルとイランの間で緊張が高まり、中東情勢は依然予断を許さない状況にある。その一方、エネルギー政策の分野では、現在の中東地域で見られる地政学的なリスクの高まりが、脱炭素にどのような影響を及ぼすのか、いましばらく慎重な観察と分析が必要である。また、先述のとおり、中東地域は地球温暖化・気候変動による大規模な自然災害に大きな影響を受けている。脱炭素が世界的に加速する中、湾岸産油国、産ガス国では化石燃料に依存する国家体制からの脱却を目指し、経済の多角化を目標に掲げた国家ビジョンなど様々な脱炭素政策を掲げている。脱炭素を推進することが、温室効果ガス排出を削減し、結果的には大規模な自然災害を回避することに繋がる。こうした国々の脱炭素に向けた取り組みが今後益々強化されることが期待される。
一方で、日本と中東との関係については、ガザ紛争に対して日本が明確な態度を示さないことに対する失望感が中東諸国にあるように思われる。ガザ紛争のような、中東が抱える本質的な問題に対して日本は何ができるのか、これまで構築してきた中東との関係をさらに発展させるためには何をすればよいのかといった課題について、改めて広く議論を行うことが重要である。
さらに今後はこれまで以上に中東地域への関心や興味をより広く共有し、議論を深めていくことが求められている。それにはまず中東地域で何が起こっているのか、世界はどのように反応しているのかについて、報道を充実させていくことも重要だ。その上で、中東専門家や専門機関、関連企業とも協力をして、より広い層、例えば若者や女性も含めて幅広い国民グループで議論を行っていくといった取り組みも、日本ならではの中東政策を検討する土台になるのではないだろうか。