メディア掲載  グローバルエコノミー  2026.08.31

金利上昇と日本経済(下)物価、安定目標へ定着の兆し

日本経済新聞【経済教室】(2026年8月6日)に掲載

経済理論 金融政策

<ポイント>

  • 利上げは物価などを安定軌道に戻す役割
  • 金融政策は民間予測と整合的なのが理想
  • 日本企業では21年以降に価格転嫁が進展


日銀は6月、政策金利を1%に引き上げることを決定した。こうした金利上昇は、経済にどのような効果をもたらすのだろうか。

教科書的なマクロ経済モデルによれば、金利の上昇は実体経済の活動を低下させる。家計に消費よりも貯蓄を促し、企業には資金の借入費用を高め、設備投資を抑える。実体経済活動が鈍化すると、賃金上昇圧力も弱まり、企業の生産費用が引き下がる。

生産費用の低下は企業の販売価格の押し下げに寄与し、物価上昇率の低下につながる。経済活動がファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)を上回り、物価上昇率が目標の年率2%を超えるような好況期には、利上げが経済・物価を安定軌道に戻す役割を果たす。

金利上昇の効果や波及経路は、これだけにとどまらない。例えば為替レートが円高方向に修正されれば、輸出入や海外直接投資に影響する。政策金利(短期金利)の上昇が長期金利にも波及すれば、長期的な視点で行動する生損保や、大規模投資を計画する民間企業の行動、政府の財政政策にも影響がおよぶ。

金融政策の効果を考慮するうえでは、それが民間にとってサプライズなのか、あらかじめ予測され、市場に織り込まれていたものなのかを区別することが重要である。これまでの議論では、利上げは予測されないサプライズと考えていた。

しかし実際には今回の利上げを含め、過去の政策変更は多くが民間によってある程度予測されていた。

金融政策にサプライズがないとすれば、金利上昇の経済効果は利上げ決定の前から顕在化している。家計や企業は、先に述べたような政策効果を見越して、すでに行動していると考えられるからだ。そして、そのような民間の想定と、実際の金融政策との間に大きなずれが生じない状態が、社会的に望ましいといえる。

その理由は、私たちの情報収集・処理能力に限界があるならば、金融政策に関心を払うより、家族や衣食住など日々の生活や、各産業の需要動向・競争環境など経済活動に直結する事柄に注意を振り向けた方が望ましいためである。

逆に、金融政策にサプライズがあるような状態になると、金融政策が今後どうなっていくのかという臆測に無駄な労力を使ってしまう。人々が金融政策に関する情報を不必要に追いかける状態より、自らにとってより重要な判断に時間を使える方が有益であろう。

金融政策運営の大きな方向性にサプライズがないとしても、金利変更の大きさやタイミングには不確実性が伴う。これは、経済・物価に関わるファンダメンタルズにそもそも大きな不確実性があるためである。

例えば、国際政治情勢の不安定化に伴う国際商品市況の乱高下、人工知能(AI)関連産業の展開、政府の財政政策などは、大きな不確実性要因であろう。

金融市場が大きく自由化されたいま、当局は(大規模な長期国債の買い入れはあるものの)民間への直接的な介入を最小限にし、できるだけ市場の効率性を損なわない形での金融政策運営を心がけてきた。

しかし、補助金などで政府の介入が大きくなり市場の効率性が失われると、望ましい状態を達成するための金融政策が複雑化する。金融政策に対する予測可能性も低くなり、本来の機能を十分に果たせなくなることには留意が必要である。

金融政策の先行きをみる上で、物価上昇率が目標の年率2%に定着するかどうかは重要である。この問いに答えるため、筆者らの研究を2つ紹介したい。

キヤノングローバル戦略研究所の渡辺広太氏、早稲田大学の片山宗親准教授、慶応義塾大学の廣瀬康生教授との共同研究では、輸入財価格の高騰などコストの変化が、どのように企業の販売価格に転嫁され、マクロ的な物価の変化につながるのかを検討した。

図は、日米の企業物価指数の前年同月比について、その変動要因ごとに寄与度分解したものである。「輸入価格」「賃金」「マークアップ」という3つの変動要因の寄与度を集計した。

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pマークアップとは、利益と原価の比率のことで、輸入価格などのコストが上昇した際の価格転嫁の度合いを表す。生産効率の改善によるコスト吸収も、ここではマークアップの減少方向の変化として捉えている。

分析の結果、日本と米国の間には、マークアップの設定に大きな違いがあることが分かった。米国では、コストショックである輸入財の価格変動とマークアップがおおむね同じ方向に動く傾向があった。これはコストが上昇すると、米国企業は販売価格に転嫁し、場合によってはコスト上昇分以上に値上げする傾向があることを示唆する。

対照的に日本では、輸入財の価格変動とマークアップの動きが逆方向であった。これはコストが上昇したとき、日本企業は生産性向上などの企業努力によって販売価格への転嫁を抑えてきたことを示唆する。

こうした結果は、どうして日本のインフレ率が他国と比べて低いのかという問いに、一つの答えを提供する。生産構造や産業構造の違いというより、企業の価格転嫁の姿勢に違いがあるため、ということになる。

ただし、2021年以降の世界的なインフレ局面に着目すると、日本でも輸入財が物価を押し上げる中でマークアップがそれを相殺しておらず、価格転嫁が進んだ可能性を示唆する。

これは生産効率の改善が限界を迎えたためなのか、企業が値上げをしても需要は大きく減らないと判断したためなのか、今回の分析からは分からない。だが、最近の物価上昇率の持続的上昇に一定の影響を与えている可能性はある。

また財だけでなく、サービスの価格を調べることは物価上昇が持続するのか判断するうえで重要である。そこで渡辺広太氏との共同研究で、約1000店舗からなる外食のPOS(販売時点情報管理)スキャナーデータを使って外食産業の物価変動を分析した。

消費者物価指数と同様に最近の大きな価格上昇が確認されたが、同じ店舗では最も売れる商品と比べて、2~20番手前後までの商品の価格上昇率が相対的に大きい傾向が確認された。

さらに顧客グループごとの消費金額でみた物価指数を新たに構築したところ、通常の品目単位で集計した物価指数と比べて価格上昇率が大きく、提供される内容量低下などで注文数が増加し、支出額が増加している可能性が示唆された。

消費者物価指数は基本的に最も人気の品目しか調査対象にせず、また内容量変更を捕捉するのも難しい。これらの結果は、実際の価格上昇が消費者物価指数の示す水準以上に進んでいる可能性を示している。

基調的な物価上昇率は長年のゼロ近辺からプラスに転化し、年率2%に定着していく兆しがうかがわれる。日銀は物価上昇を過熱させず、デフレにも戻らないようにするため、情勢をみながら慎重に利上げを進めていくと考えられる。