メディア掲載  エネルギー・環境  2026.07.21

100年の観測 過去も未来も照らす

朝日新聞『日曜に想う』(2026年7月12日)に掲載:承諾番号 26-1724

地球温暖化

午前9時が迫る。始業時の慌ただしい空気が流れる東京都武蔵野市の成蹊中学・高校で、地学科教員の田中博春さんが観測野帳を手に屋上に向かう。私も後を追う。

空を仰ぐ。雲の量は。種類は。富士山、東京タワー、筑波山――。視程目標が見えるかどうかを確かめると、観測機器が並ぶ露場に急ぐ。百葉箱を開け、雨量計を読み、記録紙を交換する。部屋に戻り、旧型の気圧計の値を野帳に書き留める。立ち止まる暇はない。汗がにじむ。

「100年続けています、と言うのはやさしい」と成蹊気象観測所長の三上岳彦さん。「でも、一日も休まずにとなると話は別でしょう」

1926年元旦に観測を始めて以来、戦争中も台風の日も大雪の日も観測を欠かさない。民間機関が、ほぼ同じ場所で、同じ時刻に、同じ方法でこれほど長く観測を続けてきた例は極めて珍しい。

不測の事態に備えて代替要員を置く。停電にも備え、ゼンマイ式の自記系を使い続ける。100年前と同じ品質のデータを、100年後へ引き継ぐためだ。

積み重ねた記録は、東京という都市の変化も映し出す。この1世紀で平均気温は約3度、最低気温は約4.7度上昇した。1963年から続く視程観測では、公害対策による大気の改善と、都市化による乾燥の進行という二つの変化も読み取れる。

気象観測は未来を見通すだけではなく、過去を読み解く物差しでもある。終戦の年は厳冬、冷夏だった。

戦争が続いていれば、より過酷な暮らしを強いられていただろう。

観測記録のない時代も、人は空を見上げ、様子を書き残してきた。肉筆で記された描写も気候を知る手掛かりとなる。人文知と自然科学が思いがけないところで結びつく。

その可能性を押し広げたのが大阪公立大学の青野靖之さんだ。公家や僧侶の日記、自社の記録を丹念に読み解き、花見の宴や満開の記述から、その年の京都でのヤマザクラの満開日を復元した。現代の観測データと照らせば、温度計のない時代の気温が推定できる。

1200年に及ぶ世界でも比類ない気候変動の記録を残し、青野さんは昨年早世した。データが途絶える――。危機感を抱いた海外の研究者の呼びかけにキヤノングローバル戦略研究所の堅田元喜さんが継承を引き受けた。「記録を未来へつなぐことが気候変動の理解には必要です」

「観測者のあるべき姿を体現した」。三上さんがそう語るのは、昨年101歳で亡くなった気象学者の増田善信さんである。

広島への原爆投下後に降った「黒い雨」は国が認めた地域より広い範囲に及んでいたのではないか。被爆者援護の範囲を左右するその事実に増田さんは向き合った。

千人を超すアンケートを集め、体験記や手記を読み込む。住民集会で記憶を確かめ合う。雨が降った地点を地図に落としていく。一つの証拠で結論を急がない。多くの地点、多くの証言、多くの記録を突き合わせて初めて全体像を描く。

「黒い雨」訴訟で、広島高裁は2021年、増田さんが復元した従来よりも広い範囲で、黒い雨が降った蓋然性を認め、原告全員を被爆者に認定した。判決は確定した。

空を仰ぐ。日記を読む。満開を記す。証言を集め、地図に落とす。そうした手作業の積み重ねが科学になり、歴史になり、正義にもなる。

(朝日新聞論説委員・沢村亙)


※本記事は朝日新聞社に許諾を得て掲載しています