メディア掲載  外交・安全保障  2026.06.26

「誤解覚書」への8つの疑問

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2026年6月25日付)に掲載

米州 中東 外交安全保障

先週、米イラン停戦「MOU」が署名されたが、実態は「了解覚書」どころか「誤解覚書」ではないかと思う。かくも稚拙な米外交を見たのは初めてだが、今回は筆者が抱く疑問について書こう。

(1)イランの非核化は可能か

  • 今次戦争は最高指導者の暗殺で始まった。体制崩壊の危機にひんしたイランは逆に、核兵器取得に向け本気で動く可能性が高い。核を持たず崩壊したイラク・フセイン政権と核武装で生き残った北朝鮮を見ればそれも当然だろう。

  • イランが核兵器を配備した瞬間から米国は攻撃を躊躇するはず。さればイスラエルは核兵器を完成させる前のイランをたたきに行くのではないか。

(2)ホルムズ海峡は開くか

  • 過去40年間、筆者はイランによる「海峡封鎖はない」と言い続けてきた。仮に実行すればイスラム共和制が崩壊するとイランは恐れていたからだ。だが今回その前提は最高指導者暗殺で崩れた。海峡封鎖は「予想以上に容易」とも知ったイランが核兵器に匹敵する「抑止力」を放棄するはずはない。

  • 通航料やサービス料を取れなくても、イランはいつでも海峡を封鎖できる。今後イランの海峡「実質支配」が既成事実化していく恐れはある。

(3)戦闘は終わるのか

  • イランが核兵器とホルムズ海峡を「獲得」すれば、中東湾岸地域の戦略的パワーバランスはイラン側に傾く。それを回避すべく、いずれ米国とイスラエルは動くだろう。筆者は今回のMOUが逆に、次の戦争を「不可避」なものとする可能性を危惧する。

(4)イランの見返りは何か

  • MOUによれば、米国は「最低3千億ドル(約48兆円)規模のイラン復興・経済開発計画を策定」するという。さらに、凍結資産の解除、輸出制限の免除などにより、イランは相当程度の財政的余裕を得ることになる。

  • 無論、これらは全て最終合意成立が条件だろうが、それでも米側が一層譲歩する恐れは消えない


(5)2015年合意超えるか

  • トランプ氏にはオバマ政権時代のイラン核合意(JCPOA)を事実上破棄した前科がある。だが、仮に今回の交渉が最終決着しても、その結果は前回合意JCPOAに程遠いのではないか。

  • 前回合意には、ウラン濃縮度3.67%、核物質300キロといったさまざまな物理的制約があった。だが、交渉で優位に立つ今のイランがJCPOAよりも厳しい合意など受け入れるとは到底思えない。

(6)国内批判に耐えられるか

  • 今回のMOUに対する米国内の批判は予想以上に厳しいものだ。トランプ支持者の一部にすら厳しい声がある。米国は「譲歩し過ぎ」という本質的批判に対し、トランプ政権は十分反論できていないのではないか。

(7)国際市場は安心するか

  • 仮にホルムズ海峡が即時かつ完全に開かれても、世界のエネルギー市場が正常化するには少なくとも半年以上かかるといわれる。まして、イランがホルムズ海峡を「いつでも封鎖できる」となれば、経営判断の基本である予測可能性は大幅に失われ、湾岸アラブ産油諸国とその産品の商品「価値」は不可逆的に低下するかもしれない。

(8)イスラエル反発と米撤退

  • リストはまだまだ続く。イスラエルはレバノンのヒズボラによる攻撃があれば自衛権を必ず行使するだろう。米国は1990年代から湾岸に駐留してきた米軍部隊を撤退させる気はないはずだ。これでMOUが60日後に「最終合意」に昇華できるだろうか。今後も「素人外交」の米国と「後出しジャンケンの名人」イランとの「化かし合い」は当分続くと見る。