今の高水準のインフレは非常にまれな状況である。日銀はインフレ目標値を再設定すべきだ。
日本の物価は上昇し続けている。消費者物価指数(CPI、生鮮食品を除く総合)の前年同月比上昇率は6月、3.3%だった(以下、上昇率は前年同月比)。3%以上となったのは7カ月連続。6月までの40年間で、3%以上の水準がこれほど長く続いたのは1991年8月までの10カ月間と、2023年8月までの12カ月間の2回しかない。
物価の番人である日銀はCPI上昇率2%を「物価安定の目標」と定め、一時的要因を除いた「基調的インフレ率」を重視する。これは、調査品目を上昇率の高い順で並べた際、ウエートの累積が50%近くに位置する品目の価格上昇率を示す「加重中央値」や、物価の変動が激しい品目を除いた「刈り込み平均値」などからなる。6月の上昇率は、加重中央値が1.7%、刈り込み平均値が2.3%といずれもCPIより低い。
日銀が7月末日に開いた金融政策決定会合で、政策金利(無担保コールレート)を0.5%に維持すると決まった。1月に0.25%から0.5%に引き上げた後、据え置きが続く。日銀の植田和男総裁は会合後の記者会見で、加重中央値の上昇率が2%未満であることに言及した。日銀は物価目標未達という認識を持っているといえる。
ただ、CPI上昇率は6月までの39カ月連続、刈り込み平均値の上昇率は同6カ月連続で2%を超えた(図)。日銀が「物価上昇率目標は達成された」と判断する日は遠くないだろう。トランプ関税など不確実性はあるが、日銀はいずれ政策金利を引き上げると予想できる。実際、植田総裁は6月の参院財政金融委員会で、利上げ継続という趣旨の答弁をした。

CPI増減率の推移
(注)CPIは消費者物価指数。いずれも前年同月比の増減率
(出所)総務省統計局、日銀調査統計局のデータより筆者作成
そもそもCPI上昇率の目標は、中央銀行が金融政策の透明化などを目的として定めるものである。米連邦準備制度理事会(FRB)、英イングランド銀行、欧州中央銀行など主要中銀の多くは、日銀と同じく2%を目標値とする。一方、ブラジルの中銀が3%とするなど、新興国の一部はより高く設定する。
物価安定が使命であるにもかかわらず、中銀が定める目標値は0%でなく、正の値とするのが通例だ。その理由の一つはデフレーションの回避である。0%とした場合、目標を達成する過程で人々の購買意欲を削ぎ、実体経済に悪影響を与えるデフレを引き起こすおそれがあるからだ。
もう一つの理由は、CPIの「上方バイアス(偏向)」である。ある品物が値上がりした場合、人々は別の品物を買うことが多いから、値上がりした品物が物価水準に与える影響は下がる。ただ、CPIは各品物の購入量が変化しないと仮定して算出するため、真の物価水準より高くなってしまう。慶応義塾大学の白塚重典教授(金融論、日本経済論)は日銀職員だった98年に出版した『物価の経済分析』(東京大学出版会)で、このバイアスを0.9%程度と推計した。バイアスを考慮すれば、CPI上昇率の目標は正の値となるのである。
中銀にとり、上昇率が目標値を超えれば政策金利を上げるのは当然の判断である。ただ日本で懸念されるのは、短期金利の引き上げにより、長期金利に上昇圧力がかかることだ。8月初旬現在、10年物国債の利回りが約1.5%に達するなど、長期金利は上昇傾向にある。背景として、7月の参院選で減税を訴える政党が躍進し、国債市場で供給増が見込まれることが挙げられる。日銀がその状況で利上げした場合、長期金利の上昇に拍車がかかるおそれがある。
長期金利の上昇は、投資の減少などさまざまな悪影響をもたらすが、政策運営の面で最大の懸念は国債の利払い費が上昇することだ。政府債務の残高が国内総生産(GDP)の2倍近くある日本で、国債金利の上昇は予算編成に困難をもたらす可能性が高い。
日銀法2条は「日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする」と記す。CPI上昇率が2%を超えたからといって、しゃくし定規に金利を上げては、経済の発展が阻害されるおそれがある。目標値を高めか、より柔軟なものに再設定してはどうだろうか。
上昇率目標を変更する際は、他国の中銀の例が参考になるだろう。カナダの中銀は日銀と同じ2%を目標とするものの、「インフレ制御目標幅」を1~3%と定めている。一方、豪州の中銀は2~3%の「柔軟なインフレ目標」を採用する。日銀は両中銀の政策目標のいずれかを採用することを検討すべきではないか。
目標を2%とする中銀は多いが、現時点で「2%が常に最適」とする確たる証拠があるわけではなく、それを上回る値が最適になると示した論文は多い。23年に米学術誌『アメリカン・エコノミック・ジャーナル・マクロエコノミクス』に載った英ユニバーシティー・カレッジ・ロンドンのクラウズ・アダム教授(金融経済学)とドイツ連邦銀行のヘニング・ウェーバー・シニアエコノミストによる論文によれば、16年の英国で最も望ましい上昇率は2.6%だった。通貨への信用の面からも、他国と大きく違う物価目標の設定や目標の破棄は問題だが、目標値の上限を1%程度高めても大きな弊害はないものと筆者は考える。
資源価格高騰などを背景として、今後もインフレが続くと予想される。その状況で上昇率が2%を超える限り、金融を引き締めるという日銀の政策姿勢は、他国では通用しても多額の政府債務を抱える日本には不適合といえる。
目標値を変更する中銀も少なくない。ニュージーランドの中銀は96年までは0~2%、その後は2回変更して02年からは1~3%に変えた。イングランド銀行も02年に変更した。日本経済の安定的な発展のため、日銀はインフレ目標値を再設定すべきである。