メディア掲載  グローバルエコノミー  2025.11.19

あるべき農業・食料政策

【亡国農政の終わらせ方:第6回】

政策研究フォーラム「改革者」(2025年11月号)に掲載

産業政策

何が問題なのか?

2024年から25年にかけてのコメ不足と価格高騰によって、国民は減反、高米価政策の誤りに気づくようになった。これは、高額の納税者負担を行って供給を減らし消費者負担を高めるとともに、水田の多面的機能と危機時の食料供給(食料安全保障)を損なってきた。今輸入が途絶すると半年経たずに国民は餓死する。

農業所得は、農産物価格に生産量を乗じた売上額からコストを引いたものである。消費者のために農産物価格を安くしながら、生産者の所得を向上するためには、農家の規模を拡大するなど生産性を向上させてコストを下げればよい。他方で、トータルの農地面積が一定のもとで一戸当たりの規模を拡大するためには、農家戸数を減少させる必要がある。しかし、これで農業票が減少することは、農林水産省、JA農協や農林関係議員にとっては好ましくない。

マッカーサーや池田勇人は、農地改革で小地主となった小作人が保守化したことを評価した。かれらは、農村を共産主義からの防波堤にするとともに保守党の金城湯池にするという狙いから、零細農業構造を固体化するための立法を農林省に命じた。これが、株式会社の土地所有を制限している農地法である。皆が同じく小規模の農家になった農村は、一人一票主義を原理とする農協によって組織された。高米価、農地法と農協なくして自民党の長期政権はなかった。

高米価による零細兼業農家の維持で、農業収入より圧倒的に多いサラリーマン収入や農地の転用利益がJA農協の口座に預金され、JA農協(JAバンク)は日本有数のメガバンクに発展した。農業の生産額が9兆円程度なのにJAバンクの預金額は108兆円に上る。農業は衰退するのに、JA農協は異常なほどに繁栄・発展した。

1960年以降世界のコメ生産は3.5倍に拡大しているが、日本は減反補助金で4割も減少させた。戦前農林省の減反案を葬ったのは陸軍省である。減反は安全保障と相容れない。農業を振興し食料の安定供給に責任を持つべき農林水産省がコメ殺しをした。中国はコメや小麦の備蓄をそれぞれ1億トン、1億4000万トン用意しているが、日本はどちらも100万トンしか持っていない。

農政は既得権者のために

減反補助金を負担する納税者、高い食料価格を払う消費者、取扱量の減少で廃業した中小米卸売業者、零細農家滞留で規模拡大できない主業農家、輸入途絶時に食料供給を絶たれ餓死する国民、すべてが農政の犠牲者だ。利益を得たのはJA農協だけだ。JA農協という既得権益に奉仕する農林水産省は「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とする日本国憲法第一五条第二項に違反している。同省は国民に奉仕するどころか国民の生命を脅かしている。

JA農協と同じく、アメリカにもEUにも農家の利益を代弁する政治団体はある。しかし、これらの団体とJA農協が違うのは、JA農協それ自体が経済活動も行っていることだ。JA農協は農家の利益より自らの経済利益を実現するために政治活動を行った。その手段として高米価・減反政策を推進した。

農林水産省が農政トライアングルという既得権者のことしか考えていないことを表す出来事があった。令和のコメ騒動で同省はコメが不足していることをひたすら否定した。備蓄米を放出して米価が下がるとJA農協や自民党農林族議員の怒りを買うからだ。同省は流通過程で誰かがコメを隠しているなどの虚偽の主張を重ねたが、とうとうコメの不足を認めた。

同省の失政の被害者は、コメの値段が高騰して家計を圧迫されている国民・消費者である。国民生活に影響を与えるような事故や事件を起こしたなら、その関係者は記者会見を開いて国民に謝罪する。しかし、農林水産事務次官を始めとする同省幹部は自民党農林族議員に謝罪した。彼らは想定以上に米価を上昇させてしまい、国民に減反、高米価政策が問題の根本にあることを気づかせてしまったことを、農林族議員に謝ったのである。

シンプルな農政改革

減反を廃止するだけで3500億円の財政負担がなくなる。米価が下がるのでコストが高い零細な兼業農家は耕作を止めて主業農家に農地を貸しだす。主業農家に1500億円くらいの直接支払いをすれば、これは地代補助となり、農地は円滑に主業農家に集積する。規模拡大で主業農家のコストが下がると、その収益は増加し、元兼業農家である地主に払う地代も上昇する。しかし、JA農協にとっては価格低下で販売手数料収入は減少するし、零細兼業農家が農業を止めて組合員でなくなれば預金も減少するうえ政治的にも票を失う。コメ農業の構造改革は農政トライアングルを解体させるかもしれない。

都府県の平均的な農家である1ha未満の農家が農業から得ている所得は、トントンかマイナスである。ゼロの米作所得に20戸をかけようが40戸をかけようが、ゼロはゼロである。しかし、20haの農地がある集落なら、1人の農業者に全ての農地を任せて耕作してもらうと、1500万円の所得を稼いでくれる。これを地代として、みんなの農家に配分した方が、集落全体のためになる。

農地に払われる地代は、地主が農業のインフラ整備にあたる農地や水路等の維持管理を行うことへの対価である。健全な店子(担い手農家)がいるから、家賃によってビルの大家(地主)も補修や修繕ができる。このような関係を築かなければ、農村集落は衰退する。農村振興のためにも、農業の構造改革が必要なのだ。

このような農政改革は、一農家の耕作する農地が小さいうえあちこちに分散する「零細分散錯圃」という問題を解決する。これは、農地が1か所にまとまると河川の氾濫や病虫害など自然災害を受けやすいため、危険を分散するために考えられた江戸時代の知恵だった。

しかし、同じ農地面積でも、四隅の数が少ないほど、すなわち、圃場の規模が大きく、数が少ないほど(たとえば10ha×10圃場よりも1ha×1圃場)労働時間・コストは減少する。柳田國男は、複数の農家が分散している農地を交換すること(交換分合という)でまとまりのある農地にすれば、作業効率は向上すると主張した。農地改革は、そのチャンスだったのだが、GHQが一定期間内に改革を達成しろと主張したために、これに手を付ける時間がなかった。零細分散錯圃は、今日に至るまで農業の近代化を阻害している。個々の農家の所有権の主張により交換分合は、なかなか実現しなかった。しかし、減反廃止と直接支払いによって、借地により1人の農家や農業法人に農地を集積させ1集落1農場を実現すると、日本農業の宿痾ともいうべき零細分散錯圃を解決できる。