与野党の政治家は、こぞって農家所得の上昇を選挙公約に掲げる。農家の所得が勤労者のそれを下回った中で作られた1961年の農業基本法は、農工間の所得格差の是正を目的に掲げた。しかし、現在の食料・農業・農村基本法には、所得への言及はない。農家が豊かになったからだ。ただし、農家所得の向上は農業基本法が提案した規模拡大などの農業の生産性向上ではなく、農家がサラリーマンとなったこと(兼業化)で実現した。
現行の基本法が目的に掲げるのは、農業の多面的機能の維持増進と食料安全保障である。多面的機能とは、農業が行われることで農産物生産以外の、洪水防止、水資源の涵養、良好な景観の提供などの外部経済効果を発揮することを指す。そのほとんどは水田の機能である。水田は、メダカ、ドジョウ、トンボなどの貴重な生息場所として生物多様性にも貢献している。フナやドジョウなどは泳ぎ回ることで、土を粉砕し根付き始めた雑草を除去するとともに、土を巻き上げることで太陽光が届かないようにして雑草の光合成を妨げ、農薬の使用を制限する。
多面的機能は水田を水田として利用するときに発揮されるのだから、本来はコメ生産を拡大・振興して多面的機能を増進すべきである。しかし、コメ生産を減少することを目的とする減反の補助金は、水田を水田として使わないことに対して交付される。農政は納税者の負担によって農業の多面的機能を減少させる政策を半世紀以上も行ってきた。
医療の場合には、国民は財政負担をすることにより安い医療サービスを受けられる。減反政策は3500億円もの財政負担によってコメの供給量を減らし国民に市場価格よりも高いコメ価格を支払わせている。国民は消費者として納税者として二重の負担をしている。これは本来市場から退出しているはずの非効率的なゾンビ的農家を滞留させた。農地は農業で生計を立てている主業農家に集積しなかった。減反・高米価政策は主業農家の規模拡大を阻害し、コメ農業の効率化と安価な主食の国民への供給を阻害した。
高いコメは、フードバンクやこども食堂に依存している人々を苦しめる。しかし、これらの人たちの声が政治に届くことはない。1960年代までは、政府が米価を上げようとすると、主婦連などは家計が困るとして反対運動を行った。しかし、今の消費者団体は価格には鈍感で食品の安全性には過敏に反応する裕福な主婦の人たちの集まりになっている。
コメ価格が高騰した2025年、日本生活協同組合連合会が組合員モニター約6350人にアンケートした結果では、コメを買うときに重視する点について(複数回答)、トップは「国産米である」(77.8%)。次いで「銘柄」(40.5%)、「量」(34.3%)、「産地」(33.6%)だった。ここに「価格」はない。コメの値段が倍になっても、生協の組合員の人たちは価格に関心がない。
消費者団体が農産物の貿易自由化に反対し高い価格を払うために関税が必要だというのは、他の国の消費者団体からすれば冗談にしか聞こえないだろう。アメリカの数倍の農薬を使用しても国産の方が安全・安心なのである。また、JA農協が国消国産を主張する裏で大量のアメリカ産遺伝子組み換え農産物を輸入している事実には頬かむりする。
そればかりではない。1960年以来世界のコメ生産は3.7倍に拡大したのに、我が農政は補助金を使って4割も減らした。戦時中の配給米2合3勺を供給するためには1600万トンのコメが必要だが、備蓄米を入れても800万トンに満たない。シーレーンが破壊され輸入が途絶すると半年たたないうちに国民は餓死する。その減反を我々は税金で賄っている。自殺行為である。減反を止め、1000万トン生産して、国内で650万トン、輸出に350万トン仕向けていれば、生産が50万トン減少しても、輸出量を削減すれば国内向けの供給を減らす必要はない。つまり減反が令和のコメ不足を招いた根本原因である。
農家の利益と農業の利益は異なる。多くの農家は兼業化と農地転用で豊かになった。
食料安全保障の基盤は農地である。農地を農地として利用するからこそ、戦後の農地改革は実施された。小作人に農地を宅地に転用させて金儲けさせるためではなかった。戦後の食料難時代には農林省に開拓局が設置され、山奥まで農地を求めて開墾した。それなのに、農家は1960年以降中国地方の総面積に当たる340万ヘクタールの農地を転用と耕作放棄でなくした。条件の悪い中山間地域の農地は耕作放棄され、農業生産に適した条件の良い平場の農地は転用された。農政は、農家が豊かになるのは良いことだとして、これを真剣に規制しようとはしなかった。金融事業も営むJA農協は莫大な農地転用利益を運用して大きな利益を上げた。農家・農協栄えて農業は滅んだ。
農地のかい廃・拡張面積(累計)の差の推移
出所:農水省「作物調査」より筆者作成
農家がいなくなると食料安全保障上問題だと叫ぶ農民運動家がいるが、高度成長期以来、農家を含め農業界は、農地を潰しながらコメを減産するなど、国民に食料供給責任を果たしてこなかった。国民に食料を供給するからこそ農は国の本であり農を貴しとするのであって、それができない農業は一顧の価値もないとは、戦前農林大臣を二度も務めた農政の大御所石黒忠篤が農民に強調したことだった。関税による高価格や多くの補助を受けながら、国民への食料供給という自らの責務を果たさないで、「俺たちがいなくなると食べられなくなるぞ」と国民を脅す農民をみて、石黒は何と言うだろうか。
農政トライアングルが本当に確保したいのは、減反・高米価政策で零細なコメ兼業農家の数を確保するとともにザル法的な農地転用法制の運用によって、膨大な兼業収入や農地転用利益を預金として活用することで、金融事業を中心としたJA農協を繁栄させることである。農業の発展、それを通じた多面的機能や食料安全保障の実現という視点は、農政にはない。