メディア掲載  グローバルエコノミー  2025.09.01

国の本としての農業の再生はできるのか?

農業は国民に食料を安く安定的に供給する責務を果たさなければならない

政策研究フォーラム「改革者」(20258月号)に掲載

農業政策

インタビュアー:清滝 仁志(駒澤大学法学部教授)


令和のコメ騒動は減反による高米価維持政策の限界を明らかにした。今こそ、農業の生産性向上という「問題の根本」に取り組まねばならない。自助の精神を持った農業こそ、国家の基礎として尊敬される。

清滝 はじめにトランプ関税交渉についてお聞きします。山下先生は「いつも交渉に勝つ参事官」と言われたそうですが、ご意見を伺わせて下さい。

山下 難しいですよね、力関係が圧倒的に違いますから。日本はアメリカの安全保障の傘の下にいるので理不尽と思っていても面と向かって非難するわけにはいかない。198090年代にかけてはアメリカに対してある程度対等にものをいう環境はあったのでしょうが、国力が落ちてさらに交渉は難しくなっています。

清滝 GATTWTOで交渉されていた時もアメリカは今のような態度だったのですか。

山下 強いです。アメリカの意見を無視して話を進めることはできません。ただ自分が関わった交渉で2回アメリカに勝ったことがあり、いずれも多国間交渉(APEC閣僚会議)でした。そこでは日本に賛同する仲間をつくることができます。共同してアメリカの主張の弱点を突いたのです(*EUの輸出補助金と遺伝子組み換え農産物表示規制をめぐる問題)。理屈に強いこと、多数派工作ができること、これが多国間交渉では強みになります。二国間交渉となると通商交渉と言いながらもどうしても安全保障の側面が出てくるので、そこまで強く言えません。

清滝 閣僚が何度も訪米して「日本だけ除外してくれ」という今の交渉の仕方はどうなのでしょうか。

山下 外から見て「日本だけ助かればよいのか」ということになります。中国を仲間に入れる必要はないと思いますが、オーストラリアとかニュージーランドとかEUとか、自由貿易で協力できる国と一緒になって交渉していく。その中でどれだけ正当性を主張していくかでしょう。共通の思いを持っている国といかに協調していくかが重要です。力の強い国が勝ってしまうと国際社会のあり方としてよくない。ルールに沿って行動する国が報われるという正論をアメリカに対して言い続けることです。長期的な視点に立って、将来的にはWTOを動かしアメリカが多国間交渉の場で孤立するような方法で連携を取っていくのです。

清滝 それは今の事務レベルでは難しいですか。

山下 難しいと思います。そういう戦略が立てられるかどうか。大きなスパンで物事を見る人材が必要です。

TPP交渉で「アメリカはすごい」と思ったことがあります。アメリカの商工会議所で私が講演した際、オバマ政権でマイケル・フロマン氏(米通商代表)と一緒にTPP戦略を練っていた人が会場にいて彼はこうコメントしました。「マスコミはTPPは中国を排除する仕組みだと思っているが、そうではない。TPPは今までWTOができなかったレベルの高い協定を結ぶ地域協定で、それが拡大するにつれていずれ中国も入らざるを得なくなる。その時に中国に対して国有企業や投資、あるいは技術移転について高いレベルの規律を課す。そういう思いでわれわれは戦略を練っている。中国を排除するのではなく、中国をさらにレベルの高い通商交渉の枠組みに組み入れるためだ」と。いくら優秀な官僚でも日本ではそういう発想はまず出てこないでしょう。「アメリカの中枢にいる人の考え方はこうなのか」と思いました。日本もスケールの大きい戦略を練れる人材をどんどん育成していくべきです。

清滝 日本では「米を一粒たりとも入れない」、「TPPで農業が崩壊する」と、そういう感情的な議論はありましたが、あれはアメリカから見てどう思われていたのでしょうか。

山下 それでアメリカがたじろぐことはなく、日本は特殊な国だと思われたのではないでしょうか。ウルグアイ・ラウンドでは一切例外を認めない包括関税化の原則に対してコメを関税化の例外とする決着の仕方をしました。そのために何らかの形で代償を出さなければならず、コメのミニマムアクセス(低関税の輸入割当枠)が増え、より多く輸入せざるを得なくなりました。

減反・価格維持・零細農維持政策

清滝 国内農業対策費として6兆円を投じたウルグアイ・ラウンド農業合意から約30年が経過しました。国際化の中で日本農業の構造を変えるということでしたが、成果はあったのでしょうか。

山下 国際交渉で譲歩をしたことで国内対策をするということでしたが、コメも乳製品も譲歩していません。関税を下げるのであれば輸入品が入ってくるので競争条件が厳しくなる。だから生産合理化のために基盤整備などをしなくてはいけないとなりますが、コメについてはそもそも関税化していません。乳製品の関税は絶対に輸入できない水準です。生産を対外競争のために合理化する必要がありませんでした。必要がないのになぜ膨大な予算を使った対策が必要なのか。当時もあまり論理的ではないと思っていました。

6兆円も使ったにも関わらず、結局、農業の合理化は進みませんでした。逆に温泉ランドなどにお金を使うというとんでもないことが起こりました。金額にこだわるあまり中身を精査しなかったのです。

農政の問題は今の農林族議員もそうですが、予算がいくら増えたかという議論ばかりでその中身を全然問わないことです。まったく意味のない100億円を積むのと、意味のある10億円を積むのとでは意味が違います。減反補助金では3500億円ものお金を使ってコメの生産を減らしています。それより減反を廃止し、どんどん生産拡大し、それで困る主業農家に対しては直接支払いにすればよいのです。そうすれば10001500億円くらいの費用ですみます。額の議論ではなく中身の議論が重要です。

清滝 「今の米価では農家は赤字だ」としきりに報道されますが、それは兼業農家のことですね。

山下 農家の7割がコメを作っていますが、農業生産額に占めるコメの割合は16%にすぎません。コメに多数の零細な兼業農家が滞留しました。これを反映して、1ヘクタール未満農家は戸数(割合)で言うと全体の52%になります。52%だけど耕している農地は全体のたった8%しかありません。片や30ヘクタール以上の農家は戸数(割合)では全体の2.4%と少数ですが、44%もの農地を耕しています。小さなコメ農家は確かに時給がマイナス450円となり赤字です。しかし米価が高いので街でコメを買うよりも赤字でも自分のところで作った方が安上がりなのです。兼業農家は農外収入生活をしています。大きな農家は時給2000円以上です。平均値は小さなところの戸数が多いのでそちらの数字がどうしても反映されてしまうため時給が10円とか100円とかいう話になってしまいます。

清滝 1999年に食料・農業・農村基本法が制定され、さらに2014年には減反廃止を決定したということで、本当に農政改革は進展したと言えるのでしょうか。

山下 全然できていません。新農業基本法制定で農業の担い手を集積して規模を拡大していくという流れはできたのですが、それはWTOなどの貿易交渉で関税が削減撤廃されるとの懸念があったからです。しかし結果としてはTPP交渉でコメや麦の高関税を維持でき、ほとんど影響のないかたちで収めることができました。またWTO交渉も進展しておらず、安心感を農業界が持ってしまった。つまり新基本法の考えから後退し、構造改革などしなくてよいのだという間違った考えを持ってしまいました。

安倍総理が自慢した減反廃止も40年間誰もやらなかったという報道はフェイクでした。その前の第一次安倍政権の時(2007年)に生産量目標数量(減反目標)の配分を止めています。ところがこの時、米価が低下し、農協は農家への概算金(実質的なコメ代金)を12000円から7000円に引き下げました。農業団体のすることかと誰もが思った事実上の集荷拒否でした。自民党の農林族議員が危機感をもって生産目標数量の廃止をすぐに撤回させました。2014年の減反廃止はこの時と同じ内容です。40年誰もしなかったどころか、自身が7年前におこなったことです。

減反は補助金によって供給量を削減して米価を高くする政策です。減反を廃止すれば生産が増えて米価が暴落することになりますが、そうではありませんでした。官邸の言うままでなく、マスコミも各方面に取材して政策の本質をみて記事にすべきでした。それが今も尾を引いています。

清滝 飼料用米(エサ米)が転作作物であり、かなりの補助金が出されています。

山下 米の生産目標数量を撤回した際に減反の補助金を拡充して2008年からエサ米をコメの転作対象としました。それまではあられ煎餅とか米粉用とかありました。主食用のコメが60キログラムあたり15000円の時にエサ米は60キログラムあたり1200円で10分の1です。この価格差に対して補助金を出したのです。

清滝 加工用のコメとか麦などと比べてもかなり高額ですね。

山下 105000円(*ha当たりの補助金)ですから。麦は35000円ですし。

清滝 エサ米は兼業農家でも作付けしやすいですね。コメからコメへの転作です。

山下 麦や大豆を作ろうとすると機械や技術が要ります。それがない農家は転作補助金をもらうために種だけ蒔くのみで収穫しない「捨てづくり」ということをしていました。でもそれではまずいだろうということで、主食用を飼料用に転作するなら食料自給率を高めることになると。加工用のあられ煎餅、米粉、輸出用米、エサ米など、同じコメなのにわざわざ新しい用途を作り出して、主食用のコメとの価格差を減反の補助金として今も国は支払っています。飼料専用で作っているコメの品種もありますが、家畜のエサに主食用と同じコメを使っています。

清滝 結局、減反廃止と言いながら、面積や補助金は増加しているということですか。

山下 減反は終わっていません。中心は補助金です。生産目標数量は後から付け足しただけの話で減反補助金がメインの政策です。それがなかったら誰が15000円の主食用コメ生産をあきらめて1200円のコメを作りますか。農家がそういうインセンティブなしにエサ米を作るはずがありません。

清滝 今話題の備蓄米は災害用のためとしていますが、これもやはり価格維持のためでしょうか。

山下 そうです。昔は回転備蓄方式と言って、100万トンを買い入れて、23年経つとコメも劣化するので市場に売り、また新しく100万トンを買い足すということをしていました。備蓄用で買うものの、3年経過したら主食用で市場に売っていました。それが2010年頃からでしょうか、毎年20万トンずつ積み増しをして、5年保管したらエサ用に処理することになりました。これではエサ米を生産しているのと同じことです。そういう意味で米価維持の政策です。今回のように備蓄米を放出して足りなくなったらどうするのかと盛んに議論している人たちがいますが、シーレーンが破壊されて小麦などが入ってこなくなれば、コメの消費量は一気に増え、100万トンなど何の役にも立ちません。もし備蓄米が底をついた場合、なぜ輸入米で補填することを考えないのか。備蓄米の意味を理解していないのではないでしょうか。

清滝 元農林官僚の柳田國男(民俗学者)が「穀価の維持策を繰り返して来ても、お蔭で楽になりましたといった者は1人もいない。医者ならばこういう場合、必ず藪医者と評せられる」と言っています。農家は米価格維持についてどう思っているのでしょうか。納税者や消費者に負担を課す一方で農家に感謝される政策はないと思います。

山下 零細兼業農家は価格維持で経営を続けられていますが、輸出用のコメを作っている農家は米価が高過ぎて輸出ができなくて困っています。農業だけで生きていく主業農家の人たちは、農地を集積して規模を拡大したいけれど零細兼業農家が残っているので、それができない。農家の中でも様々な利害があり、コメ農家と一概に括れないのです。兼業農家と主業農家を峻別して政策をおこなわないといけません。米価だけで一律に解決しようとしても無理です。

国の本なるがゆえに農業は貴し

清滝 農家は保護しなければならないという後見主義農政とそれに対応して政府に依存する農業関係者という構図に根本的問題があるのではないでしょうか。

山下 私が農林省に入省して一番ショックを受けたのが、とある農業団体から「天候が悪くて収益が落ちたのは農政の責任なので補償しろ」という陳情を受けたことです。私の実家は商売をしていたのですが、困ったから政府に何とかしてもらおうということは商工業者はやりません。でも農業関係者はそれに慣れてしまっている。間違った農本主義です。

清滝 何か問題が起きると十分な援助も指導もしない政府に責任があると考えるのですね。

山下 農政の大御所と言われた石黒忠篤(元農林次官・農相)が「国の本なるがゆえに農業を貴しとする」と言っています。国民に安く安定的に食料を供給していくからこそ農は国の本たるであって、それができない農業は一顧の価値もないとまで言い切っています。それが本当の農本主義だと思います。何か分からずにただ漠然と農業が一番偉いのだという農本主義はありえません。農業が国に貢献しているからこそ尊敬されるのであって、何もやらずに国から金だけもらうのはおかしいと思います。

同じようなことを柳田國男や石橋湛山も言っています。なぜ自分で何とかしようとさせないのか。要するに自助の精神です。自分たちで何とかしてそれを政府が補助するならよいのですが、政府が丸抱えでやってしまっては農本主義ではありません。

清滝 柳田國男は日本の伝統文化の研究でも知られますが、実は経済学の視点で農家戸数を減少させ、一農家当たりの耕地面積を拡大することなどを提唱していました。民俗学でも昔は自助努力で農村を維持してきた事例を探求しています。もっとも彼の農政思想は農林省では注目されませんでした。

山下 柳田の「まずは自助の精神でやって、政府が手取り足取りやるのはよくない」ということが当時の農林省の考えにそぐわなかったわけです。

清滝 農業部門が国家財政に受益することに特化し、組織もそれに対応したものになってしまっています。「手取り足取り」ということですが、後見主義的な補助金行政はとにかく細かくて複雑です。法律だけでは内容がわからず、数多くの要網・要領があり、補助金を受給するには交付条件・申請書類・事業実施報告の方法を理解しなければなりません。しかも毎年のように変わります。

山下 パターナリズムというか、役所は農業従事者を低く見ているのではないでしょうか。細切れで多すぎる事業はやめて、直接支払い一本にし、経営は農家が自分たちで考えて下さいというくらいの発想にしないと創意工夫は生まれません。

清滝 改革しようにも細かく規定されていると過去の事例と齟齬が出るので難航します。

山下 とにかく複雑すぎるのです。ある部署の課長をしていた時も、自分の課だけで何十本も事業があるわけです。その事業を理解するのに四苦八苦で、隣の課が何をやっているのかなんてわかりません。骨太の方針で農林水産省にある百いくつかの課を縮小してシンプルにすることを望みます。

アメリカもEUも確かに農業政策は複雑ですが、それでも農業政策は語れます。ところが日本の場合、農業政策があり過ぎて、何が日本の農業政策なのかわからなくなります。

清滝 農政担当者は煩瑣(はんさ)な制度の対応に労力を割かざるを得なくなっています。

山下 自治体も困っているわけです。農水省の各課から計画策定を求められますが、市町村になると担当者が数人しかいない中で対応しなければなりません。自治体に負担をかけることは止めた方が良いです。

2014年に米価が下がったときに『農業経営者』という月刊誌で、ある女性農業者が「弱音を吐いて誰かに助けを求めるようでは農業は人から憧れられるような職業になりません」と言っていました。素晴らしいと思いました。現代版柳田國男ですよ。柳田は「世に小慈善家なる者ありて…小民救済せざるべからず。…これ甚だしく彼らを侮辱するの語なり。…何ぞ彼等をして自ら救わしめざる」と言っています。

清滝 柳田は、保護を受ければその間に競争に耐える力を養わなければならず、無限の保護は他産業従事者の納得を得られないと言っていますが、今の日本の世論は農業支出に寛容です。

山下 農業と言ってもさまざまであり、コメ生産においてもいろいろな農家がいます。それをまとめて議論してしまう。日本人は農家を小規模で貧しくてかわいそうという昔のイメージをずっと持っています。

清滝 地方創生には農業振興が重要ですが、農地を大規模店舗などに転用し、駅前がシャッター商店街になるなど地方の衰退につながっています。農地の減少を問題視しない農業界が地域の足を引っ張っているのではないでしょうか。

山下 農地転用を厳しく規制してくれと声を上げるのは農協ではなく、地方の商工会議所です。大型店舗が出店し、客を奪うからです。農協は転用反対とは言いません。

清滝 地方の活性化と言えば、先生が構造改善局の地域振興課長の時に農業生産条件が不利な中山間地域への直接支払い制度を作られたということですが(2000年)、これは個々の農家に対して直接交付金を交付するという農政史上初の政策ですね。

山下 私が課長に就任した時、何も案がありませんでした。とにかく所得補償という概念にこだわっていて、中山間地域の所得とそれ以外の人たちの所得を比べるとか、そうは言っても野菜栽培農家もあればコメ農家もあるわけで、どこの誰の所得を取るんだという不毛な議論をしていました。その時にWTOの農業協定が使えると思い付きました。条件の不利な地域とよい地域との生産コスト差の範囲内で単価を決定する基準を用いて制度設計しました。国際協定を用いたことで財政当局や政治家・団体の要求を防ぐ盾になりました。

清滝 今回のコメ高騰問題において、減反を止めて米価が下がると主業農家が困るというような主張がありますが、その対策としても直接支払いが有効であるということですね。

山下 減反廃止によって価格が下がった分を直接支払いするのです。規模の大きな主業農家を対象にし、零細農家は農地を彼らに出して地代を受け取る。規模拡大と収穫量増加でコストダウンし、収益も増加します。地域全体がハッピーになります。なぜそれができないのでしょうか。

清滝 この主張は経済原理にもとづき、客観的ですが、農業界の間では柳田のような「孤独なる荒野の叫び」になっている感があります。

山下 減反を廃止して主業農家に限って直接支払いにすべきだと2000年に発表しました(『詳解 WTOと農政改革』)。その時著名な農業経済学者がこぞって提案に賛同してくれまして、自信になりました。あれがなかったら25年も言い続けていられません。以前はそういう研究者がいました。今は農業が守りに入り、外からの攻撃に過敏になっています。

清滝 今回の騒動が改革の契機となるとよいですね。本日はありがとうございました。

626日収録、文責「改革者」編集部)