農水省はコメ輸出を今の8倍近くの35万トンまで増やすと提案した。農地集積等により米の生産コストを削減するとともに、国内でコメが不足したら輸出米を国内供給に回すという。農水省は昨年来コメ不足と米価高騰を招いたことを批判されたし、石破首相は自民党総裁選挙の際コメ生産を拡大し輸出を増やすと発言した。これに対する一応の答えのようだ。
しかし、これは減反を廃止し米価を下げて輸出を拡大し、輸入が途絶する食糧危機の際に輸出していたコメを国内に仕向けるという私の提案とは全く異なる。減反を廃止すると、高米価で兼業農家を温存させその兼業収入等を預金として運用して利益を得ているJA農協の経営基礎を揺るがすからだ。
農水省の提案は減反を維持して輸出を拡大しようというものである。
減反は、単なるコメ減らしではなく、麦や大豆などの作物へ転作することで食料自給率を高めるのだと主張された。しかし、麦や大豆へ転作するための新しい機械や技術を取得できない兼業農家は、転作補助金をもらうため、麦等の種まきをするだけで収穫しない“捨て作り”という対応をした。転作作物に困った農水省はコメをコメの転作作物とするという奇手を考えた。減反政策により主食用の価格を意図的に高く維持する一方、高い主食用米と低い他用途米の価格差を転作(減反)補助金として補てんすることで、他の用途向けの米の需要を作り出し転作作物としたのだ。
最初は米菓用のコメを転作作物とし、コメ需要の減少で減反面積を拡大せざるを得なくなった農水省は、転作作物となるコメの用途を次々に増やしていった。2007年に米価が低下し農政が混乱した際には、ほぼただ同然のエサ用まで多額の補助金を出して転作作物とした。最後に手掛けたのが輸出用である。しかし、こうして同じ品質のコメに用途別に多くの価格がつけられている「一物多価」の状況が発生するので、2008年の汚染米事件(これ自体は輸入米から発生)のように、安く仕入れたコメを主食用に転売する不正が起きる。
農水省は、膨大な財政負担となっているため財務省から縮小を要請されているエサ用の量を少なくすることで、輸出用米の財源をねん出しようとしているのだろう。
減反(転作)の経済的な条件は次の式が成立することである。
主食用米価≦転作作物価格(他用途米、麦、大豆)+減反(転作)補助金
米価が60キロ当たり2万6千円と史上最高値まで上昇している。江藤農水相はこれが適正な価格だと主張している。基本法見直しの適正な価格形成論は農産物価格を上げることだ。今の減反補助金は主食用米価として1万5千円を想定しており、2万6千円なら、減反補助金を大幅に増額しない限り、この条件が成立しない。さらに、米価引き上げで生産量が増えるので要生産調整(減反)面積(数量)も増大する。エサ用の減反補助金から財源を回したとしても、輸出についての補助金単価も量も拡大する。減反補助金削減という財務省の目論見は甘い。
これはWTOで禁止されている輸出補助金である。その増加は輸出国であるアメリカを刺激する。既にトランプ氏はコメの関税は700%であるとして、コメ政策を問題視している。WTO(世界貿易機関)では他の分野での対抗措置(クロス・リタリエイションという)が認められている。トランプ氏は日本の自動車に高関税をかけることができる。
今回の米価上昇でコメ農家はやっと一息つけるとか農家は自給10円だとかという報道が行われている。しかし、何十年も前から1ヘクタール未満の零細な兼業農家の所得はマイナスだった。確かに、これらの農家の農業収支は今回の米価高騰でプラスになった。しかし、これまで町で高いコメを買うよりも自分でコメを作った方が安上がりなので、赤字でもコメを作り続けてきただけだ。減反・高米価政策は本来市場から退出すべき農家を温存してきた。それは、かれらの兼業収入等を預金として活用したいJA農協という組織の繁栄のためだった。米価上昇で零細農家は滞留し続ける。
これほど米価が上がり国民を苦しめているのに、自民党から共産党まで米価を下げるべきだと主張する政党はいない。水田を票田として大切にする政治家や政党は多いが、こども食堂やフードバンクを利用している人のことを考える政治家はいない。
私の農水省の最初の先輩は柳田國男である。農民を貧困から救うために彼は活動した。しかし、米価を上げて農家所得を増やすことは貧しい国民消費者を苦しめるので、柳田が断固として拒否したことだった。彼の影響を受けた後輩で「貧乏物語」の筆者として有名な河上肇は、「一国の農産物価格を人為的に高騰せしめ、之によりて農民の衰頽を防がんとするが如きは、最も不健全なる思想」と主張した。適正な価格形成論はまさに「最も不健全なる思想」だ。農民を救うために柳田は規模拡大、生産性向上を主張する。価格を上げなくてもコストを下げれば所得は増加するからだ。柳田の頭の中には常に国民全体のための“経世済民”があった。残念ながら、今の農水省の頭には農政トライアングルの既得権者の利益しかない。
アメリカやEUは農家の所得を保護するために、かなり前から高い価格ではなく政府からの直接支払いに転換している。日本の農業保護は欧米に比べて高いうえ、その7~8割が直接支払いではなく高い価格によるものだ。しかも、小麦や牛肉のように、国産の高い価格を維持するために、輸入品にも関税をかけて消費者に高い食品を買わせている。国産の保護を価格から直接支払いに置き換えることで、輸入品への関税は不要となる。農業の保護は同じで、消費者は安く食料を購入できる。しかし、消費税について逆進性を主張する政党があっても、農政の逆進性はどの党も問題視しない。
日本では価格支持にも金がかかる。国民は財政負担をすれば安く医療サービスを受けられる。ところが、減反は毎年3500億円の財政負担をして農家に補助金を払って生産を減少させ、消費者に高い米を買わせるというものである。財政負担をして消費者負担を高めているのだ。減反を止めて輸出していれば、輸出量を減少することで、昨夏以降のような混乱は起きない。輸入食料途絶という食糧危機の際には輸出していた米を食べればよい。輸出は無償の備蓄となる。これで毎年500億円使っている政府の備蓄米の負担が要らなくなる。輸出が行われれば、国内価格は輸出価格よりも下がらない。輸出価格は最低支持価格の役目を果たす。
サラリーマン農家に直接支払いは必要ない。主業農家にのみ価格低下分を直接支払いすれば、1500億円の支出で済む。国民は米価が下がったうえ、納税者として差し引き2500億円の負担を軽減される。減反廃止による米価低下と直接支払いで零細農家が退出し農地が主業農家に集積すれば、そのコストが下がり収益が上昇するので、これに農地を貸して地代収入を得る元零細兼業農家も利益を得る。
今ではカルフォルニア米との価格差はほとんどなくなり、日本米の方が安くなる時も生じている。減反を廃止すれば価格はさらに低下し、輸出競争力は増す。国内の消費以上に生産して輸出すれば、その作物の食料自給率は100%を超える。さらに、水田二毛作を復活し麦生産を増やせば、食料自給率は70%以上に上がる。最も効果的な食料安全保障政策は、減反廃止によるコメの増産・輸出である。
消費者は減反廃止で米価が下がるうえ、上記の構造改革でさらに米価が下がるという利益を受ける。減反廃止による米価低下で日本米の方がカリフォルニア米よりも安くなれば、キログラム当たり341円という関税は撤廃できる。1000万トンのコメを輸出すれば、これだけで小麦、大豆、トウモロコシ等の輸入に払っている1兆5千億円の輸入代金を上回る2兆円を稼ぐことができる。穀物の貿易収支は黒字化する。
今回米価が上昇して国民の関心がコメ農政に向かっている時こそ、減反廃止の千載一遇の機会だった。石破総理は「天の与うるを取らざれば反って其の咎めを受く」だろう。