石破茂内閣発足から約9カ月がたった先週、日本の某通信社の東京発英語記事は「米国のイラン核施設攻撃で石破外交はジレンマに陥った」と報じた。いかにも日本人の政治部記者が書きそうな陳腐な内容だが、過去1年弱の日本外交に関する今の筆者の見立てはこれとはやや異なる。
過去2カ月半、石破首相は何と20人以上もの各国要人と首脳会談等を行っている。具体的には4月15日のトルクメニスタンを皮切りに、オランダ、ルクセンブルク、5月はチリ、ギニアビサウ、ラトビア、ブルガリア、パラグアイ、オーストリア、ハンガリー、アイスランド、モンテネグロ、ラオス、タンザニア、クウェート、ベトナム、バングラデシュ、カンボジア、6月も11日にフィンランド、19日はドイツといった具合。しかも全てが東京での対面会談というから驚く。
これほど短期間に多くの世界各国首脳と日本で首脳級会談が行われるのは珍しい。理由は多くが大阪・関西万博の賓客訪日だったからだが、数が多ければよいわけではない。在京各国大使館の評判もすこぶる良い。「相手国の歴史に精通する石破首相の話に感銘を受けた」「胸襟を開いた非常に深い議論ができて首脳も満足していた」という話も聞いた。必ずしも大ニュースにはならないが、各地域の重要な国々との首脳レベルの地道な対話は続いているのである。
某通信社の記事は「国際法と対米配慮」に揺れる日本を揶揄したが、これも実態はそれほど単純な話ではない。
国際法は重要だが完全な法体系ではない。しかも、国連安全保障理事会が機能しない今、戦争関連国際法は新しい課題に直面している。これが中東で湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争の現場を見た筆者の率直な印象である。最近は国際紛争のテロ化・非正規化が著しく、従来の「自衛権」理論等だけでは律せないグレーゾーンが拡大しているのだ。
イスラエルの対イラン攻撃以来、当初は迷走するかに見えた日本政府の立場も、最近はようやく落ち着いてきた。米軍によるイラン核施設爆撃後の外相談話は、イスラエルに対するような「強い非難」に言及せず、「今回の米国の対応は事態の早期沈静化を求めつつイランの核兵器保有を阻止するという決意を示したものと承知」とのみ述べている。
おおむね常識的な内容に収斂しており、この間の関係者の真摯な議論と多大な努力には深甚なる敬意を表したい。とは言うものの、まだまだ課題は残っている。例えば、
このままでは将来日本が今回と同様の「グレーな危機」に直面した際、より柔軟に対応できない恐れがあることを筆者は強く危惧する。
結論を急ごう。正直なところ、昨年10月に石破政権が発足した際、一抹の不安を覚えたことは否定しない。筆者は親石破でも反石破でもないが、客観的に見れば、今の石破外交は従来の基本政策を維持・継続していると思う。トランプ米政権に対しても今のところは、カナダのごとき「けんか腰」や欧州のような「卑屈」にもならず、コレクト(適切)に対応している。この点は認めてよいと思う。しかし、「全て政治はローカル」、結果が全てだ。この続きは参院選後に書くとしよう。