メディア掲載 グローバルエコノミー 2025.06.05
このままでは「期間限定の特売セール」になるだけ
PRESIDENT Online(2025年5月25日)に掲載
小泉進次郎農林水産大臣のもとでコメ価格は下がるのか。キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹は「備蓄米を5キロ2000円で放出しても、コメ全体の価格には影響はない。本当に値段を下げたいなら減反廃止と輸入関税の削減に取り組まないといけない」という――。
小泉進次郎農林水産大臣が就任早々活発に活動している。「備蓄米を5キログラム2000円で無制限に放出するのだ」と主張している。加えて、石破茂首相は「コメの値段全体を5キログラム3000円台」に、閣外の河野太郎氏は「輸入による米価引き下げ」を主張している。三者とも、減反を廃止してコメの増産に転換すべきだという点では一致している。コメ改革の“小石河”連合である。
これは単にコメの値段を下げることに留まらない。高米価で零細兼業農家を温存し、そのサラリーマン収入や農地転用利益をウォールストリートで運用することで、JA農協は発展した。減反・高米価政策はJA農協、自民党農林族、農水省の農政トライアングルの核心的政策である。これは農政トライアングルに挑戦状をたたきつけたも同然だ。というより、その本丸を襲撃する行為に打って出たと言ったほうが正確だろう。
ただし、コメの値段をどうするかという点で、表面に現れた石破首相と小泉農水大臣の発言はまったく異なる。石破首相の発言は、「JA農協が卸売業者に販売している玄米60キログラム当たり2万7000円の価格とこれに対応する精米5キログラム当たり4200円の価格を下げよう」とするものだ。これに対して小泉農水大臣が言っているのは「備蓄米を安く消費者に届ける」というだけのものだ。
備蓄米を一般競争入札で高く落札した業者に販売するのではなく随意契約で安く販売すべきだというのは、小野寺自民党政調会長の発言から端を発したものだ。同氏は、「1万2000円で仕入れた備蓄米を2万2000円でJA農協に販売して利益を得ているのは国であり、しかも落札価格が高いから備蓄米も安く販売できない」と主張した。
しかし、この主張は法律的にも経済学的にも問題がある。
まず、一般競争入札ではAからZまで応札者がいたとして最も高い価格をビッドしたMに販売する。国も高い価格での販売で利益を得る。
これに対して、随意契約の場合は、はじめから国が対象業者Rを指定する。小泉農水大臣は業者の一つとして楽天に販売することを検討しているようだ。しかし、どのように合理性を説明しても、業者の選定に行政による恣意性が介在する。だから一般競争入札が原則で、随意契約は一般競争入札によることができない場合に採用される例外的措置なのである。
しかも、これまで2回、一般競争入札によって備蓄米が放出されている。随意契約によらざるをえないという説明はかなり難しい。
次に、経済学的には意味がない。
まず、落札価格が高くなったのは、米価が玄米60キログラム当たり2万7000円と高かったからである。落札価格が高いから米価が高いままになっているのではない。因果関係をはき違えてはならない。
市場価格が2万7000円のとき、1万円で政府から売却を受けた業者は、その業者のマージンが1000円として1万1000円で別の業者に販売するだろうか? そんなことはしない。2万7000円で販売して1万7000円の利益を得る。
しかし、小泉農水大臣は玄米60キログラム当たり1万円で政府が販売すれば、精米5キログラム2000円で消費者に提供できると話している。これは農水省が5キログラム2000円で販売するようにという条件を付けて小売業者に売却すれば実現できないことはない。
しかし、これは公正なのだろうか? たまたま立ち寄ったスーパーで備蓄米を購入した人が幸運にも2000円を払い、それ以外の人は引き続き4200円を支払う。備蓄米を購入した人は、2200円の利益を得ることになる。つまり、随意契約によって5キログラム2000円で備蓄米を販売することは、一般競争入札で国が利益を得たことに代わり、運よく備蓄米を購入した人が利益を得ることになるだけなのだ。国が利益を受けたほうが、社会保障費への充当など広く国民全体のために利用することができる。
小泉農水大臣は備蓄米を2000円で販売すれば、生産者が反対すると考えたのだろう。5月24日北海道で農家やJA北海道中央会と会談した。しかし、特段の反対はなかった。当たり前だろう。かれらは備蓄米を2000円で売っても、4200円の精米価格の水準、60キログラム当たり2万7000円の玄米価格は影響を受けない、下がらないと思っているからだ。立憲民主党の野田氏が5月24日、「生産者をどうするかという視点を忘れてはいけない」と発言したのは、完全なピンボケである。
つまり、小泉農水大臣の「備蓄米5キログラム2000円」という提案では、「コメの値段全体を5キログラム3000円台に下げる」という石破首相の主張は実現できないのだ。
小泉農水大臣は、NHKのニュース番組で、3、4年前に60キロあたり1万1000~2000円で購入した備蓄米を1万円で売り渡すことを、「倉庫にある間の分、減価償却される」と説明したことがネットで批判されている。
建物や機械などの固定資産について使われる減価償却という用語をコメについて使用することは適当ではなかった。
小泉農水大臣には、受けを狙うあまり、深く考えないで発言しているのではないかという危うさがある。揚げ足取りにならないか心配である。
父親の小泉純一郎氏は奇人と呼ばれた。しかし、郵政民営化という奇抜な政策は、思い付きで提案したのではない。私は純一郎氏を若いころからおもしろい政治家として自民党本部で観察していたが、郵政民営化は大蔵省(現財務省)と二人三脚で長年温めてきた政策だった。奇抜に見えるフレーズにも周到な理論的な裏付けがあった。大衆にアピールする点では、小泉農水大臣は純一郎氏に匹敵する力を持っている。純一郎氏の思慮深さや用意周到さを見習ってもらえば、大成できる可能性がある。
コメの値段の水準は市場全体の需要と供給で決定される。備蓄米をいくら安く売ろうが、全体の供給量が増えない限り、コメの値段は下がらない。
もちろん備蓄米の放出は市場全体の供給量を増やすという目的がある。問題は、それが達成できるかどうかである。
JA農協は今年の秋に農家に支払う仮渡金(概算金)をすでに玄米60キログラム当たり2万3000円前後で提示している。これにJA農協の諸経費を足すと卸売業者への販売価格(米価、相対価格と言われる)は2万7000円になる。これは現在の史上最高値の米価の水準である。これより現実の米価が下がるとJA農協は農家に低下分の返納を要求することになるが、そうなると農家は次の年からJA農協に出荷しなくなる。したがって、JA農協は、今年産が供給・販売される来年秋まで2万7000円の米価を維持する必要がある。
備蓄米の放出で供給量が増えると、この米価は維持できない。しかし、JA農協は通常卸売業者への販売していた量を備蓄米の放出量に見合う分だけ減少させればよい。そうすれば、備蓄米が放出されても供給量は増えず、2万7000円の米価は維持できる。
このような中でコメの値段を下げることは、JA農協、それの支持を受ける農林族議員と真っ向から対決することを意味する。
消費者が購入するコメの値段を3000円に下げるためには、卸売業者が購入する米価2万7000円を2万円に下げる必要がある。備蓄米を安く売っただけではJA農協は痛くも痒くも感じないが、石破政権が米価を下げるような政策を打ちだせば、JA農協と全面対決になる。
すでに、石破首相をけん制するかのように、選挙でJA農協の組織票をあてにする自民党農林族議員はJA農協の代弁を始めている。農林族のドンとなっている森山裕幹事長は、5月24日、「生産者がいてはじめてコメができることを忘れてはいけない」「米価は安ければいいというものではない」とし、農家が再生産できる価格で売買されることが重要だとの考えを強調した。
コメの値段を下げる方法は二つある。
国内産のコメ供給を増やして米価を下げようとするなら、減反を廃止して生産量を増やせばよい。米価低下で影響を受ける主業農家には、EUが行っている直接支払いを政府から交付すればよい。これによって零細な兼業農家が退出し、主業農家の規模が拡大するので、米価はさらに下がる。
しかし、既に今年産のコメの作付けは終わっている。来年の秋まで待たなければならない。
今年、コメの値段を下げるために供給を増やすなら、輸入の増加しかない。これが河野太郎氏の主張である。
過去に私は何度も主張しているが、そのための一つの方法は、ミニマムアクセス米77万トンのうち主食用米10万トンの輸入枠を30万トンなどと拡大することである。ただし、備蓄米と同様、輸入量の拡大分だけJA農協が市場への供給量を制限してしまえば、米価は下がらない。
より確実な米価引き下げ方法は、1キログラム当たり341円の関税を削減することである。消費者が購入する「精米価格5キロ3000円」に相当する「卸売業者がJA農協から仕入れる玄米価格を60キログラム2万円」とすると、これは精米では「キログラム370円」になる。卸売業者が購入するカリフォルニアからの輸入精米価格150円に220円の関税をかければ同じ値段になる。つまり、関税を220円まで35%削減すればよい。その価格で輸入が行われることにより国内の価格もその水準まで低下する。精米価格をさらに低下させようとすると、もっと関税を下げればよい。
恒久的に関税を削減するとすれば、JA農協や自民党農林族議員は強硬に反対するだろう。
したがって、この措置は来年9月までの暫定的な措置だとすればよい。輸入自体に反対するかもしれないが、平成のコメ騒動の時は260万トンものコメを輸入して危機を凌いだ。あのときJA農協や自民党農林族議員は反対したのだろうか?
小泉農水大臣は恵まれている。小泉純一郎氏は、無風状態から郵政民営化の風を自分で起こした。今回は、コメの値段高騰で大多数の国民は農政トライアングルが実施してきたコメ政策、減反・高米価政策に怒りを感じている。起こさなくても風が吹いてくれている。改革に絶好のチャンスが到来した。
もちろん、コメの値段の引き下げ自体にJA農協は反対するだろう。JA農協が組織する農業票を失うのではないかと地方の自民党議員は怯えるかもしれないが、2%の支持を失っても98%の国民はコメ政策の改革を支持する。小泉純一郎氏的に、JA農協対国民全体という構図にすればよい。戦後最強の圧力団体JA農協といえども勝ち目はない。
小泉農水大臣は大衆へのアピールを意識した変な発言は控えて、地道に改革を実現しようとすべきだ。小石河連合で風に乗るのだ。時はあなたの味方だ(“Time is on your side”)。