メディア掲載  外交・安全保障  2025.05.15

ユダヤ系は炭坑のカナリア?

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(202558日付)に掲載

米州

今週の原稿は米国ニューヨーク市内のホテルで書き始めた。今年も米国ユダヤ人委員会(AJC)の年次総会に招かれたからだ。たまたま日程がトランプ政権発足100日目と重なったこともあり、ユダヤ系米国人が懸念を深める米国社会の変貌ぶりを直接体感できたことは大きな収穫だった。日本からの出席者は恐らく筆者1人だけ。でも、読者の中には「なぜAJCなのか」といぶかる向きもおられるだろう。

◆危険・不安定の兆候

「われわれは炭坑のカナリアなのだ」と友人たちは笑う。カナリアは炭坑で発生する有毒ガスを人より先に察知する。転じて、カナリアは市場や社会で迫りくる危険を察知する者を指す比喩表現となった。

確かに、今回の議論はガザでの人質解放、欧米での反ユダヤ主義など差別の拡大に関する話題が多かった。古代ユダヤ国家崩壊後、流民となった彼らは「差別・迫害」には特に敏感なのである。

◆AJCの重要性

AJCとの付き合いはかれこれ35年になる。日本ではあまり知られていないが、世界のユダヤコミュニティーの中では有力団体の一つ。1991年当時、在ワシントン日本大使館で中東担当官だった筆者が着任後最初に訪問したのもAJCだった。幸い友人に恵まれ、今も頻繁に連絡を取っている。米国の社会動向や対中東政策を追う「定点観測」には最適の団体なのだが、そのユダヤ系社会が今、深刻な内憂外患に直面している。

◆内憂…反ユダヤ主義

今回は200310月のハマス奇襲攻撃・人質奪取から約1年半というタイミングだった。3日間の議論を聞いて米国内のユダヤ系コミュニティーを取り巻く環境が今や激変していることを悟った。具体的には、

  • 最近米国内で「反ユダヤ主義」的襲撃事件が激増し、
  • ユダヤ系米国人の危機感が高まっているが、
  • 彼らが支援するイスラエルがガザ戦争を続けることで、
  • ユダヤ系社会のイスラエルに対する見方も微妙に変化しつつあることが実感できた。


今彼らが感じている危機感は、恐らく「ホロコースト」以来のものと言っても決して大げさではないだろう。

◆外患…イラン核兵器問題

議論の中で最も意見が割れたのはイランの核開発問題だった。米国はイスラエルの対イラン攻撃を支持するか、支援するのか、いや直接参加するのかといった機微な問題について激論が交わされた。トランプ政権の対イラン外交にいてユダヤ系識者の意見は収斂していないようだ。

そもそも軍事作戦の効果について筆者は懐疑的だ。イスラエルのイラン核施設攻撃など米軍の全面支援または共同行動がなければ実行不能。地下深くの核施設を効果的に破壊するには米軍のバンカーバスター爆弾とそれを運搬できるB2ステルス爆撃機が不可欠だからだ。しかも、仮に攻撃が成功しても、イラン核兵器開発計画は破壊できない。最大でも数年程度遅らせる効果しか見込めない。

◆まだ低いアジアへの関心

残念なこともあった。米国ユダヤ系社会がイスラエルや中東・欧州に関心を持つのは当然としても、中国の脅威に関する議論はほとんど聞かれなかったからだ。

それでも彼らコミュニティーの「団結力」「求心力」を過小評価すべきではない。ユダヤ系米国人が米国内の「炭坑のカナリア」であれば、彼らの次に差別・迫害に直面するのは間違いなくアジア系、ヒスパニック系などの少数派だからだ。その中には日系米国人や在米日本人が含まれることを決して忘れてはならない。