備蓄米が放出された。コメの価格は下がるのか。キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹は「本来なら政府備蓄米で21万トン供給されるのであれば、価格は5キロで2100~2200円程度に安くなる。だが、農水省が備蓄米を売り渡すのは農協だ。農協がコメを売り控えると価格は下がらない」という――。
昨年夏、令和のコメ騒動が起きてから、3月10日やっと農水省が備蓄米を放出した。
これによってどれくらいコメの値段が下がるのか、マスメディアの人たちからさかんに質問を受ける。当面の価格の動きとして私は次のようにコメントしている。
農水省が備蓄米を売り渡すのは農協等の集荷業者である。価格低下を嫌がる農協が放出される備蓄米と同量のコメを売り控えると市場での供給量は増えず米価は下がらない。仮に21万トンと同量の供給増加があれば、現在60キログラム(一俵)あたり2万6000円の生産者米価(農協と卸間の相対価格)は半分の1万3000円に、小売価格は5キロ2100~2200円に低下。つまり、コメの値段は0~50%の範囲内で低下する。
もし農水省がその存在を主張する投機目的で買い占められている“消えたコメ”が価格低下を恐れて慌てて売り出されると、生産者米価は今の3割の水準(7500円)に暴落し、小売価格は5キロ1200円程度に低下する(以上は、流通マージンも生産者米価と同率で低下すると仮定した)。
なお、今年10月以降はおもしろい展開が予想されるので後ほど詳しく解説する。
これらを説明する前に、農水省は備蓄米放出にどのように対応してきたのか、昨年夏からの同省の思惑とその虚偽の説明にマスコミがどうして騙されたのかを説明しよう。
次の式を示そう。
4+6=10 あるいは a+b=X
マスコミを含め、ほとんどの国民が、この式を左から右に読む。左辺の原因があったから右辺の結果があると考えるのである。しかし、政策については、はじめから右辺の10やXという結論が役所によって設定されていることが多い。
役所自身の都合や特定の既得権者などの利益のために、あらかじめ結論Xが設定され、それを導くためにaやbという理由や原因が探し出され国民に説明されるのだ。つまり最初に右辺の結果があって、それを導くために左辺が恣意的に作られるのである。
もちろん多くの人は役所の意図や動機に気付くことはない。
まさか役所が裏でそんな意思決定をしているとは思わない。純粋にaやbという理由があるからXという政策が作られたのだと考えてしまう。産業や政策に疎いマスコミの記者も役所の説明に簡単に騙されてしまう。いい加減な記事や報道をしても、役所が言っているのだからと言えば免責される。今回誰も存在すら確認していないのに、農水省が主張する“消えたコメ”の存在を無批判に報道した。突っ込んだ質問をしたり批判的な分析記事を書いたりすると、あとで取材に協力してもらえなくなると恐れるのかもしれない。
では、備蓄米の放出について農水省がどのように考え行動したのか推理しよう。右辺から左辺を見るのだ。
本当に国民や消費者の利益を考えるなら、多くの人がコメ不足や価格高騰に苦しんでいる(左辺の原因)のだから、昨夏段階で農水省は備蓄米放出という政策(右辺の結論)を出すべきだった。
しかし、農水省の思考は逆である。備蓄米を放出すると米価は下がる。そうなると高米価で兼業農家を温存させてその兼業(サラリーマン)収入等を預金として運用して巨額の利益を出しているJA農協は困る(これについては、後日、別稿で詳しく解説したい)。
したがって、大阪府知事等から要請されても備蓄米放出は行わないという政策決定をした。その前提として、「コメは不足していない、卸売業者がため込んでいるからスーパーの店頭からコメがなくなった」という説明を農水省は強弁した。不足していないのだから、備蓄米を放出しないという理屈だ。官邸から強要されてしぶしぶ備蓄米放出に応じた今も、「コメはある、不足していない、どこかの業者が投機目的で売り惜しんでいるだけだ」というスタンスを貫いている。いったんウソをつくと、つき続けるしかなくなるのだ。
しかし、コメは不足している。
23年産米が減反と猛暑等で40万トン強不足した。それを端境期の昨年8~9月に24年産米を先食いしたので、24年産米が供給される昨年10月から今年の9月までの供給量は端から40万トン不足していた。コメの値段は需要と供給で決まる。農水省の主張に反して生産者米価が昨年7月の1万6000円から今年1月に2万6000円に上がったのは、供給が減ったためという単純な経済原則からである。
コメは不足していないという(右辺の結論)をサポートするために農水省は苦しい説明を続けている。上の供給不足の主張に対して、農水省は次のように反論している。
「昨年8月、南海トラフ地震の臨時情報の発表を受け、一時的にコメの需要が急増し、それに対する供給が追い付かない状況が発生しました。しかし9月以降は需要が落ち着き、12月末時点での小売事業者の販売数量は前年比100%(±0)となっています。これは、一時的な需要増がその後の需要減によって相殺されたことを示しており、現時点では先食いによる供給不足の状況にはなっていません」(3月11日付弁護士JPニュースより)
元農水省職員として悲しくなるほどの間違いである。
第一に、南海トラフ地震に備えた買い占めが8月に起きたというが、それなら8月に民間の卸売業者等から家庭への在庫のシフトが生じ、8月の民間の商業在庫量は大幅に減少しているはずである。
しかし、民間在庫の減少量は対前年同月比で24年7月40万トン、8月39万トン、9月50万トンである。8月に減少幅が増大しているのではない。そもそも仮に、需給に影響に影響を及ぼすような買い占めが起きる(例えば20万トン)として、コメの主産県である富山県や長野県の生産量を上回るような量(東京ドームの敷地で6メートルの高さ)を消費者が家庭で保管したとは想定しがたい。
第二に、それ以前の23年10月から民間の在庫量は前年同月比で23年10月23万トン、24年2月36万トン、5月40万トン、と減少していた。これは明らかに23年産米が猛暑によって影響を受けていたことを示している。猛暑で被害粒が発生して一等米比率が低下し玄米から精米にする際の歩留まりが減少、結果的に消費者への供給量が減少したのだ。こんなことは23年9月の出来秋の等級調査の際にわかっていたことだ。しかし、農水省は供給の減少を認めようとしない。しかも、24年10月から25年1月まで、民間の在庫量は前年同月比で43万~44万トン減少し、回復していない。これは40万~45万トン程度の先食いが行われたことを示している。
なお、時が経っても前年同月比で同量が不足していることは、コメ不足がどんどん深刻化していることを意味する。10月時点の今後1年間の消費量550万トンに対する40万トンと1月時点の残り10カ月370万トンに対する40万トンでは、後者の不足の方が深刻である。だからコメの値段がどんどん値上がりしたのだ。
第三に、先食いというのは、需要が変化しない(12月末時点での小売事業者の販売数量が同じ)状況の下でも供給が足りないから翌年度に食べるべき量を先に食べるという現象である。終戦後も1945年産米が大不作だったので翌年産米を先食いして飢えを凌いだ。農水省は年間の小売事業者の販売数量は前年と同じなので、南海トラフ地震に備えた8月の一時的な需要増がその後の需要減によって相殺されたと主張しているが、これは需要が変化しないことを述べているに過ぎない。供給が減少していることへの反論になっていない。
最後に、決定的なのは、農水省が昨年8月からの米価の上昇を説明できていないことである。供給も不足していないし、需要も変化していないのに、なぜ米価が上がるのだろうか?
農水省は根拠もなく誰かが投機目的で隠しているという主張をしているが、通常年で起きたことのない現象がなぜ今年起こっているのだろうか。何もないところで価格を吊り上げて売り抜こうとすれば、その業者はJA全農のように市場に影響を及ぼすほどの大量の在庫を持つ独占的な存在でなければならない。大きなウソである。
投機目的で隠しているという主張について、同省はこれまで把握してこなかった小規模事業者の在庫を調査し、近く公表するとしている。おそらく消えたと主張する21万トンに近い数字を公表するか、10万トンしか把握できなかったとしても他に調査できない雑多な業者がいるので21万トンほどのコメが“あるのに消えているはずだ”と主張するのだろう。
しかし、農水省は次の三点を立証する責任がある。
第一に、その小規模業者が前年に比べ、在庫量を増やしていることを証明しなければならない。そのためには、昨年の在庫量も調査しなければならないし、昨年も同じ在庫量を持っているのであれば、今年に入って隠した(消した)ことにはならない。
第二に、その在庫量の増加は21万トンでは足りない。農水省は24年産米の生産=供給量は18万トン増えたとしている。他方で、農水省がこれまで把握してきた一定規模以上の農協や卸売業者等の民間在庫量は前年同月比で今年1月44万トン減少している。つまり、同省は62万トン(18万トン+44万トン)のコメをこれら小規模流通業者が新たに隠していることを挙証しなければならない。
なお、農水省が農協の集荷減少分の21万トン(今は修正されて23万トン)だけについて消えたと言っているのは、備蓄米の売却先を農協とすることで、農協を救済したいためと米価の低下を好まない農協に市場への供給量を増やさせないという目的からと思われる。
最後に、これら小規模流通業者が“投機目的”で(つまり売り惜しんで)在庫を抱えていることを証明しなければならない。投機目的だということは農水大臣が繰り返し主張してきたことである。
おそらく、これらを証明することは不可能だろう。大臣などの幹部がついたウソを取り繕うために夜を徹して不必要な作業をさせられるのは、末端の職員である。そうしないために大臣は、早くコメが不足していることを認めることだ。
なお、需要については、昨夏、インバウンド消費のほか、コメがパンに比べ安くなったとか、南海トラフ地震への恐怖から備蓄のため買いに走っているとかの説明がされた。ただし、毎月300万人の旅行者が日本に7日間滞在して日本人並みにコメを食べたとしても、消費量の0.5%増にすぎず、せいぜい3万トン程度と思われる。
そもそも農水省は需要量、消費量を直接的に把握しているのではなく、次の式から推計しているに過ぎない。
生産量+前期末在庫-消費量=当期末在庫
変形すると
消費量=生産量+前期末在庫-当期末在庫
となる。
この式では生産量が増加すれば、その分消費量も増加する。すなわち、23年産の猛暑の影響を十分考慮しないで生産量を大きく見積もれば、消費量を大きく推計してしまう。農水省としては、生産はコントロールできるが需要はできない。需給見通しが間違ったときに、需要が変化したと主張すれば、それ以上責任を追及されない。
多くの論者が見落としている点がある。
24年産米の供給年度は昨年10月から今年の9月である。現時点の3月はちょうど中間である。その時期に21万トンを放出することは、年間で調整すると42万トンを放出することと同じ効果を持つ。
これを踏まえて冒頭で説明した今後のコメ価格の予想を詳しく解説していこう。この部分は技術的なので読み飛ばしてもらって差し支えない。
コメの主食用生産のうち農家の自家消費と先食い分の40万トンを除いた500万トンを年間供給量、この時の価格を60キログラム当たり2万5000円とし、価格弾性値(価格が1%変化することによって需要量が何%変化するかという値)-0.13(先行研究から現在の需要に最も合致すると思われる数値)の需要曲線を想定する。これの下で、供給量が42万トン(21万トンを年換算)、84万トン(農水省が隠していると主張するコメも供給される)増加した場合の価格を算定した。 備蓄米の放出分がそのまま市場の供給増加につながったとした場合には、生産者米価は60キログラム当たり1万3443円(▲46%)、農水省が隠していると主張するコメも米価低下を恐れて慌てて供給されると7571円(▲70%)になる。今の5キログラム当たり4000円の小売価格は、それぞれ2150円、1211円となる。 農協が市場への供給量を全く増やさないという対応をした場合には、価格は変化しない。このため、今回の放出でコメの値段は0~46%の低下、消えたコメが業者から放出されるときには0~70%低下する。 |
もちろん、以上は一定の前提を置いた理論的な試算値に過ぎない。ただし、方向性は変わらないだろう。備蓄米の放出で供給量が増えれば米価は下がる。だから農水省はコメ不足を認めようとしなかったのだ。
おもしろいのは、今年10月以降のコメの値段である。
24年産の集荷競争で負けた農協は、25年産に高い概算金(後に実際の売買代金で調整される仮渡金)を提示するだろう。既に、JA全農にいがたは農家への概算金を2万3000円とした。通常年の1万7000円と比べると大幅な上昇である。しかも、これより下げない最低価格保証だと言う。
これで生産者は主食用のコメの作付けを大幅に増やす。農水省は4万ヘクタール、コメに換算すると22万トンの生産増を見込んでいる。これは農水省が買い戻そうとする備蓄米の放出量21万トンとほぼ同じである。つまり同省は25年産の供給量の増加を相殺しようとしているのだ。米価維持のためである。しかし、これは米価低落を回避するため生産を抑制的に指導したいとする数値である。農家はこれ以上に生産を増やすだろう。
コメは容易に生産量を増加できる。
現在、主食用以外の輸出用、加工用(あられ・せんべい)、米粉用、家畜飼料用のコメを主食用のコメの転作作物として、主食用として想定する米価1万5000円とこれら用途向けの価格との差を転作(減反)補助金として交付している。これが22万ヘクタールほどある。用途(若干は品種も)を変更するだけなので、簡単に主食用に転換できる。
減反(転作)の経済的な条件は次の式が成立することである。
主食用米価≦転作作物価格(他用途米、麦、大豆)+減反(転作)補助金
現在、この主食用米価として60キログラム当たり1万5000円を想定しており、2万6000円(今年1月の生産者米価)では減反補助金を大幅に増額しない限り、この条件が成立しない。このため、農林水産省等は生産を抑制しようと指導しているが、生産の増加は避けられない。現在のところ29県で増産意向である。他用途米22万ヘクタール全てが主食用に転換されると、121万トンの生産増加になる。ここまでには至らないとしても、米価の大幅な低下は避けられない。
なお、現在日本米を海外で購入する方が国内より安くなっていると報道されるのは、1万5000円から5000円の減反(転作)補助金を差し引いた価格の1万円(60キログラム当たり)で輸出しているからである。国内の2万6000円の半額以下のダンピング輸出である。また、消費者は2万6000円払っているのに、家畜は1500円でコメを食べている。
ここで困るのはJA農協である。
高額の概算金を農家に支払っている。米価が下がったからといって農家からその分取り戻すと、これ以降農家は農協に出荷しなくなる。過去にそのような例は多くある。このためJA全農にいがたは概算金は最低価格保証だとした。農協は米価を下げない方法を考えざるをえない。手段は在庫調節である。つまり市場へのコメ供給を抑え、余剰分を自身で抱えるのである。しかし、これには巨額の金利倉敷料がかかる。農水省による備蓄米21万トンの回収では足りない。
でも心配しなくてもよい。JA農協の最大の経営資産は政治力である。永田町の自民党本部にかけ参じて農林族議員にJA過剰在庫の政府備蓄米としての買い上げをお願いするのだ。
農水省が恐れなければならないことがある。
農家に集荷に新たに参入したと言われる業者のかなりは、温度管理ができ虫やネズミを侵入させないようなコメの保管施設を持っていないと思われる。もし、彼らが扱ったコメが消費者に健康被害を生じさせたら、コメのトレーサビリティ法(「米穀等の取引等に係る情報の記録及び産地情報の伝達に関する法律」)を活用して問題となったコメの流通経路を突き止め、問題となったコメと同じロットのコメを全て流通過程から引き上げなければならない。
トレーサビリティは、このための手段である。
同法では生産者から流通業者まで全ての関係者が取引やコメの搬出搬入した場所を記帳し保管しなければならない。同法は果たして適切に運用されているのだろうか? コメが消えたと主張する農水省がこの法律を適用できるのだろうか?
今回は農水省のウソと今後の展開について予想を述べた。読者の皆さんには、これらを踏まえて今後のマスコミ報道に注目してほしい。