政府備蓄米の放出に向けた初回入札(15万トン分)が10~12日に実施されている。入札は2回に分けて行われることになっており、今後の入札と合わせて21万トンが市場に放出される予定だ。
21万トンの備蓄米放出について、江藤拓農林水産大臣が2月14日の会見で〈流通が滞って、スタックしている状況を何としても改善したいという強い決意の数字と受け止めていただきたい〉と話したように、農水省は昨年から続く市場のコメ不足と価格高騰の主な要因を、卸売業者などによる在庫の抱え込みとみている。
ところが、元農水官僚で現在はキヤノングローバル戦略研究所の研究主幹を務める山下一仁氏は「問題の根幹は流通の滞留ではなく、そもそもコメの供給量が足りていないところにある」と異議を唱える。
農水省は今年1月、「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」(以下、食糧法)に基づき定められる「米穀の需給及び価格の安定に関する基本指針」を見直し、「主食用米の円滑な流通に支障が生じる場合であって、農林水産大臣が必要と認めるとき」にも備蓄米を放出できるよう制度を改めた。
食糧法3条2項が備蓄米について「米穀の生産量の減少によりその供給が不足する事態に備え、必要な数量の米穀を在庫として保有する」と定めており、法律上、流通の滞留を理由に放出することができなかったからだ。
2024年産米の収穫量が前年比+18万トンだったことから、農水省は昨年から一貫して「コメは足りている」との姿勢を維持している。しかし山下氏は、次のように述べる。
「単純に“需給が2024年からスタートした”と考えれば、たしかに数字上は足りていることになるのかもしれません。しかし、猛暑による2023年産米の収穫量減少などの影響を受けて、昨年7月時点で民間在庫は前年同月より40万トン少なくなっている状態でした(農水省「民間在庫の推移(速報)」参照)。
農水省は南海トラフによる需要増をコメ騒動の原因に挙げていますが、コメの在庫量は2023年10月から大幅に減少しています。そして、昨年は端境期にあたる8~9月を2023年産米でまかなえなかったことから、本来なら10月から1年かけて消費する2024年産米を先食いしてしまっています」
昨夏、スーパーなどの店頭からコメが“消えた”際、農水省は「新米(2024年産米)が供給されればコメ不足は解消される」と説明していた。これについて、山下氏は次のように指摘する。
「私が当時から主張した通り、そうはならなかった。実際に、農水省が公表している民間在庫の推移を参照すると、2024年10月~25年1月の民間在庫は前年同月比でそれぞれ44万トン、43万トン、44万トン、44万トン減少しており、いまだに先食い分が埋められていません。供給が不足したから価格が上昇したという、単純な経済原理です。
農水省は備蓄米を放出することで米価が下がること嫌がり、いまだにコメの供給不足をかたくなに認めていません。東京ドームの敷地に6メートルも積み上がる量に値する『21万トンのコメ』を、誰かが投機目的で隠しているというのです」
弁護士JPニュース編集部が農水省へ、先食いによる供給不足について見解を求めたところ、次の回答が得られた。
「昨年8月、南海トラフ地震の臨時情報発表を受け、一時的にコメの需要が急増し、それに対する供給が追い付かない状況が発生しました。しかし9月以降は需要が落ち着き、12月末時点での小売事業者の販売数量は前年比100%(±0)となっています。
これは、一時的な需要増がその後の需要減によって相殺されたことを示しており、現時点では先食いによる供給不足の状況にはなっていません」
山下氏は、放出される備蓄米についても言及する。
「農水省は官邸に言われてようやく備蓄米放出を決定しましたが、放出先を消費者に近い卸売業者ではなく、JA(農業協同組合)などの集荷業者にしました。コメの価格低下を嫌がるJAが、放出される備蓄米と同量のコメを売り控えると、市場での供給量は増えず米価は下がりません。
逆に、農水省が主張するように“消えたコメ”が価格低下を恐れて慌てて売り出されると、生産者米価は今の3割の水準に暴落、小売価格は5キロ1200円程度に低下します。
制度の見直しについても農水省の説明は誤りです。基本方針(告示)という下位法で上位法の食糧法(法律)を修正することはできません」
市場のコメ不足と価格高騰について、農水省が「流通の滞留」を主因とする根拠には、メディアでもさかんに報道された「消えた21万トンのコメ」の存在がある。ちなみにコメ21万トンとは、茶わん32億杯分に相当する量だ。
日本にはかつて食糧管理制度があり、政府が一元的にコメの管理を行っていたが、1995年に同制度が廃止されて以降、農家は自由にコメを販売できるようになった。農水省は食糧法に基づき、毎月コメの流通を調査しているが、当時の名残から、その対象はJAなど一部の大手事業者に限られている。
前述のように、コメの収穫量は前年比で18万トン増加しているが、これら調査対象の事業者が集荷したコメの量が前年比で21万トン減少していたことから「21万トンのコメが消えた」と言われるようになった。
「自由化によって、中小事業者の参入や農家から小売店への直売など、多様な流通ルートが出てきました。食糧管理制度時代に95%ほどだったJAの集荷率は、今や50%ほどにまで下がっています。従来のようにJAなど一部の大手事業者で集荷量が減少したことだけをもって『21万トンが消えた』とは、本来、断定できないはずです。
そもそもさまざまな業者が参入することと、それらの業者が売り控えようとしてコメを隠していることとは別の問題です」(山下氏)
農水省はコメ流通の全体像を把握するため、これまで調査の対象外だった小規模な事業者にも範囲を広げ、在庫状況の調査に乗り出した。その進捗について、弁護士JPニュース編集部の取材に「調査は2月下旬に終了しており、取りまとめ次第、内容を公表する方針(時期は未定)」であると明らかにしている。
なお、山下氏は“消えたコメ”の行方について、「米トレーサビリティ法(米穀等の取引等に係る情報の記録及び産地情報の伝達に関する法律)があるのだから追跡できないはずがない」と言う。
同法は、2008年に発覚した事故米不正転売事件(汚染米事件)をきっかけに制定されたもの。同事件では、工業用として売却された事故米穀(有害物質が検出されたコメ)が不正に食用転用されたことから、コメやその加工品に問題が生じた場合に流通ルートを迅速に特定できるよう、生産から提供に至る各段階において、事業者が取引記録を作成・保存することが、法によって義務付けられた。
米トレーサビリティ法のイメージ(農水省サイト「米トレーサビリティ法の概要」より)
「農水省が米トレーサビリティ法の運用をきちんと行っているのであれば、どこにどんな在庫があるのかは容易に把握できるはずです。しかし今回の問題に関して、農水省はこれまで同法についてまったく触れていない。そこには、コメの供給不足を絶対に認めたくない農水省の思惑が透けて見えます」(山下氏)
農水省はなぜ、市場のコメ不足と価格高騰の要因を「コメの供給不足」ではなく、あくまで「流通の滞留」とすることにこだわるのか。山下氏は、コメを取り巻く政治的な癒着に触れる。
「そもそも農水省が備蓄米の放出に消極的だったのは、それによって米価が下落することについて、予算を確保してくれる自民党農林族議員(同省とつながりが深い議員)への配慮があったから。彼ら族議員の背後には、選挙で票をまとめてくれるJAがいます。そしてJAは、族議員によって確保された農水省予算を使って、コメの高価格を維持するために“減反政策”を行う。
同政策を2018年に廃止したというのは“フェイクニュース”で、コメから転作する農家に対する補助金の支払い、コメ農家への減産の指導など、政策の基本に一切変更はありません。本当に減反を廃止するなら米価は暴落します」
山下氏はこの癒着を「農政トライアングル」と呼び、国民生活を脅かすコメ不足と価格高騰を「ひとえに政策の失敗」と批判する。
「本来、農水省は国民のためにあるべき機関なのに、一部の既得権益によって適切な判断ができないなど言語道断です。流通の滞留を主因として卸売業者を“悪者”にしているのも、農林族議員やJAへの忖度からではないでしょうか」
さらには、新聞やテレビなどのマスコミにも苦言を呈する。
「今回、同省があくまでコメの供給不足を認めないことから、新聞やテレビもそれについてほとんど追及せず、公式発表される『流通の滞留』ばかりをさかんに報道しています。中小の業者が富山県や長野県の生産量よりも多い21万トンのコメを隠せるはずがありません。コメの供給が不足しているだけです。これでは国民も、背景にある根深い問題に関心を持ちづらいでしょう。
減反は食料安全保障と相いれない政策です。まずはこうした実態があることが広く知られ、多くの国民の目が向くことが、食料危機の際にコメの供給が確保されることにつながるのではないかと思います」