本稿は、Journal of Mathematical Economics50周年記念号から、資産価格バブルに関する執筆依頼を受け、まとめた論文である。特に、合理的資産価格バブルに焦点を当て、これまでの発展について整理した。合理的バブルのマクロ経済学は、経済主体の合理性(整合的な行動を取る)、市場均衡を考えた上で、均衡において資産価格がファンダメンタルズ価値よりも高くなるメカニズム、その経済学的直観、マクロ経済学的含意を明らかにする文献である。
合理的バブル理論は、ノーベル経済学賞受賞者でもあるPaul Samuelsonによる革命的な論文によって誕生した。1958年にJournal of Political Economyに掲載されたSamuelson "An exact consumption-loan model of interest with or without the social contrivance of money"という論文である。合理的バブルのマクロ経済学は、これまで、純粋バブル、すなわち、配当がゼロの資産(貨幣や仮想通貨)を分析対象としてきた。純粋バブル理論は貨幣経済を描写するには大変優れた理論であるが、他方で、この理論を現実的な株価バブル、土地バブル、住宅バブルに適応することは、理論適応の現実妥当性含め問題があり、様々な批判にさらされてきた。例えば、(i) 現実の経済において、貨幣以外で配当ゼロ資産を探すのは難しい。純粋バブルを実物資産バブルとして読み替えるのは非現実的な上に、配当ゼロ資産のためそもそも実証分析、定量分析に繋がらない。(ii) 金融の分野では、価格ー配当比率を使った膨大な実証分析やバブル検知に関する文献があるが、配当ゼロ資産を考えていては、そもそもこういった文献に繋げることもできない。言い換えると、異なる文献同士を繋ぐ橋架けができず、発展が見込めない。(iii) 主流のマクロ経済理論は均衡一意へのこだわりが強いが、配当ゼロ資産の場合は、モデル依存することなく、連続無限の純粋バブル均衡が存在していることが知られている。これまでは連続無限均衡のうち一点を恣意的に選んで分析してきたが、その一点は起こり得ない一点であり、そこに着目した分析、モデル予測には頑健性がない。他にも様々あるが、端的に言うと、純粋バブル理論を現実的な実物資産バブルに読み替えるのは土台無理があり、応用に使えないと批判されてきた。
当然、純粋バブル理論を使わざるを得なかったのには理由がある。実は、主流のマクロ経済理論の枠組みで、株式、土地、住宅と言った配当を生み出す実物資産にバブルが生じることを理論的に証明するのは極めて難しいということが知られているからである。このことは、資産価格バブルを証明する上で、配当が厳密にゼロなのか、それとも正なのかで不連続性が存在することを意味する。これはバブル不可能性定理と呼ばれ、1997年にEconometricaに掲載されたSantos and Woodford“Rational Asset Pricing Bubbles”の論文がこの定理を証明した。したがって、既存のマクロ金融理論では、株価、地価、住宅価格と言った資産価格はファンダメンタルズ価値と常に等しい。実物資産バブルを考える理論的枠組それ自体がそもそもなかったと言ってもよいだろう。こうした状況が、資産価格はファンダメンタルズ価値に等しいはずだという、主流のマクロ経済学界で広く浸透している固定観念を生み出したのかもしれない。事実、理論的枠組みがない以上、真面目な研究者であるほど、そう考えざるを得ないだろう。ところが、つい最近、この状況が大きく変わり、実物資産バブルを分析する扉がついに開いてきた。
こういった文献の流れを踏まえて、本稿ではまず、純粋バブル理論がどのように発展してきたのかを整理する。次に、実物資産バブルに関する最近の発展を紹介する。本論文を通じて、純粋バブルと実物資産バブルでは、得られる経済学的知見、含意が劇的に変わるというメッセージを伝えたい。また、実物資産バブルが生じるメカニズムを理解することは、同時に、既存のマクロ金融理論において、なぜ資産価格はファンダメンタルズ価値と常に等しく決まり、バブルが生じないのか(このことはSantos-Woodfordのバブル不可能定理と整合的にモデル構築されていることを意味する)、どの仮定が決定的に効いているのか、こうした点が明確になることを意味する。こうした点も本論文を通じて伝えたい。
なお、合理的バブルの文献は、経済主体の合理性と市場均衡を重視しているが、経済主体の非合理性を否定しているわけではない。合理性に注目する理由は、人々が合理的で整合的な行動を取ったとしても、資産価格バブルが生じうる、あるいは必然的に生じる。このことを証明すれば、非合理的な経済主体がいれば、より容易にバブルが生じることを示唆するからである。