本稿は早くも今年最後の原稿となる。読者各位の長年のご愛読に心から感謝申し上げる。長年といえば、実は過去40年間疑問に思ってきたことがある。それは「日本は長年イランとの伝統的な友好関係を築いてきた」という外務省の公式見解だ。こんなことを書き始めたきっかけは、やはりシリアの政権崩壊だった。
イスラム武装勢力が首都ダマスカスに入城する2日前、シリア駐留のイラン革命防衛隊将官、兵士や一部大使館員はひそかに国外避難を開始したという。イランとアサド・シリア政権の関係はイラン革命直後から続く「伝統的友好関係」で、イランは長年シリアに多額の経済・軍事支援を供与してきた。そのイランがアサド政権を「かくもあっさり」見捨てるとは正直思わなかった。
これで思い出したのが、1967年の第3次中東戦争直前の在エジプトソ連大使館員・家族の国外退避だ。当時戦争勃発を予測したソ連は自国民の安全を優先したのである。ニュースを聞いたエジプト人がソ連に不信感を持ったことは想像に難くない。
今回のシリア政変と同様、中東のパワーバランスを激変させたのが79年のイラン・イスラム革命である。当然イラクはホメイニ政権誕生に危機感を抱き、翌年フセイン政権はイランを攻撃する。
このイラン・イラク戦争は8年続き、イスラム革命は生き残った。その後もイランはシリアだけでなく、パレスチナ、レバノン、イラク、イエメンなどで親イラン代理勢力を育成・支援し続けた。全てはイスラム革命を守るためだが、周辺諸国にとっては地域最大の安定攪乱要因に他ならない。アラブ諸国にとっては、イスラエルよりもイランの方がはるかに危険な存在となりつつある。これこそ最近アラブ首長国連邦(UAE)などが対イスラエル関係正常化に踏み切った主な理由である。
イラン最高指導者はシリア政変を「米国人とシオニストらによる共同計画の産物」と呼ぶ一方、「シリアのある隣国も役割を果たした」と述べ、政権崩壊の責任が米国・イスラエル・トルコにあると示唆した。しかし、イラン国内では政府の失策を批判する声が噴出しつつあるらしい。
現地からの報道によれば、イラン国内のメディアやSNSなどでは「巨額の資金が投入され、多くのイラン人の血が流れたが、戦略的失敗によりイランはシリアだけでなく地域大国としての地位も失った」などとする声が出ているようだ。
これで直ちにイランの体制が動揺するとは思わないが、多くのイラン国民が現政権の伝統的外交政策に疑念を持っていることは明らかだろう。
「伝統的友好関係」とは「長年にわたる政治・経済・文化など多方面での交流や協力によって培われた、特に緊密で良好な関係」を意味する。されば、伝統的友好国シリアを見捨て、地域の不安定要因となり、多くの国民がその外交政策に疑問を持つ今のイランは本当に日本にとって「伝統的友好国」なのだろうか。
日本の政策が間違っているとは言わない。イスラム革命以降も日本はイランとの2国間関係を拡大してきたが、これはあくまで日本の国益を冷徹に計算した見事な「外交戦術」である。だが、2019年の安倍晋三首相のイラン訪問は日本の首相として41年ぶり、同年のロウハニ大統領訪日もイラン大統領として19年ぶりと聞いた。この程度の首脳往来しかないならば「伝統的友好関係」といった実態と異なる表現など、そろそろ変更してはどうだろうか。