先日、2人の大統領の信じ難い誤算が世界を揺るがした。東アジアで韓国大統領が戒厳令を発令したかと思えば、中東ではシリアで政権が崩壊、大統領はロシアに亡命した。3年前筆者が予想した「世界が1930年代のごとく『勢い』と『偶然』と『判断ミス』により『政治誤算』を繰り返す時代」がついに始まったのか。
それにしてもなぜいきなり戒厳令なのか。韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領は「血を吐くような心境」で野党側の動きは「内乱を画策する明らかな反国家行為」と断じたが、これを信じる韓国人は少ないだろう。野党側の動きは「反政府」行為ではあっても、決して「反国家」行為ではない。40年前ならともかく、21世紀の民主国家韓国の大統領が戒厳令発令とはおよそ尋常ではない。
また、なぜ尹大統領は発令からわずか6時間後に戒厳令を解除したのか。それは尹大統領が「軍人」ではなかったからだ。軍人なら強い意志をもって戒厳令措置を貫徹しただろう。軍隊とはそういう組織である。逆に、少しでも尹大統領に軍隊経験があれば、民主主義の下で軍の武力を用い、一般国民の日常生活を制限することの「重み」も理解できただろう。筆者は、軍歴のない尹大統領だからこそ、安易に戒厳令を発令した後、いとも簡単に解除できたのだと思っている。
そして、なぜ彼は墓穴を掘ったのか。それは尹大統領が「政治家」でもなかったからだ。尹大統領は元検事総長だから、忍耐強い政治的駆け引きの経験はほとんどないはず。政治的逆境の下で「耐え難きを耐える」権力闘争は知らないのだ。尹大統領が「独裁者」と批判されたのも当然である。
不幸なことに、その点ではシリアのバッシャール・アサド大統領も似たり寄ったり。父親ハフェズと息子バッシャールの親子2代・半世紀の統治は専門家の予想に反し、実にあっけなく終わった。
政権崩壊直前、反政府勢力は同国北部の都市ハマを制圧した。ハマといえば、1982年にシリア軍が同地に立てこもった反政府イスラム組織を包囲し、町ごと皆殺しにした悲劇の場所。当時エジプトでアラビア語研修中だった筆者には忘れられない地名だ。
父親ハフェズはシリア空軍司令官からクーデターで大統領になったが、息子バッシャールは、尹大統領と同様、軍人でも政治家でもなかった。眼科医として英国留学中だった彼は長兄の急逝で呼び戻され、2000年、父の死後に大統領に就任したからだ。
11年の「アラブの春」以降追い詰められたバッシャールを支えたのはロシアとイランだった。だが、イスラエルとの長期戦闘で親イランのヒズボラ・ハマスは弱体化、ついにイランはバッシャールを支え切れなくなったのだろう。
こうした逆境でも父親ハフェズなら、再びハマを町ごと破壊し、反政府勢力と徹底抗戦を続けただろう。ところが所詮「眼科医」の独裁者バッシャールにはそこまでやる胆力も気力もなかったようだ。
政治家は往々にして誤算する。正しい情報が上がらない独裁者ほど、戦略的判断を間違えるものだ。ほぼ同時期に、政治家や軍人としての経験・素養のない韓国とシリアの大統領がそろって失脚したのも偶然ではなかろう。残念なことに、世界にはまだ「独裁者」が数人残っている。されば、政治と軍隊を知らない次期米大統領、政治は知るものの軍人ではないロシア、中国、北朝鮮の独裁者たちが判断を誤るのは、時間の問題なのかもしれない。