メディア掲載  外交・安全保障  2024.12.04

壊れゆく中国社会

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(20241128日付)に掲載

中国

拝啓 中国各地方公安庁長殿

日夜中国各地方の治安維持に尽力されている皆さま、毎日のお勤め誠にご苦労さまです。皆さまの努力があるからこそ、中国社会は長年安定を維持できたのですからね。

それにしても最近中国各地で無差別殺傷事件が頻発していることには心を痛めています。私が北京市朝陽区に住んだ20年前は、公安庁と共産党社区党支部の連携が円滑だったためか、こんな悲惨な事件は起きませんでした。私の記憶にある安全で安定した中国社会は一体どこに行ってしまったのでしょう。

今年江蘇省では4月に日本人男性が、6月には日本人親子がそれぞれ刃物で襲われ負傷し、9月には深圳市で日本人男児が亡くなる悲劇が起きました。日本では「再び反日事件か」と大騒ぎになりましたが、実はこれも氷山の一角に過ぎません。6月には吉林省で米国人学者が負傷し、その後も中国各地で中国人を狙った殺傷事件が続発しているのですから。

従来この種の事件はテロ犯罪でした。人工知能(AI)技術で犯人グループを炙り出せました。ところが最近の事件は、広東省と湖南省での自動車暴走殺傷や江蘇省の専門学校での殺傷事件など、さまざまな背景を持つノーマークの中国人による無差別犯罪です。いくら公安庁でも、これを未然に防ぐことは以前より難しいでしょう。

特に私が同情を禁じ得ないのは党中央からの「指示」でした。報道によれば「リスク管理を強化し、極端な事件の発生を厳しく防ぐ」という「重要指示」だそうですが、「リスク管理」を厳しくするだけではこうした事件は減りません。

さらに、この指示を受けた地方政府は「所得や社会的地位・人望の低い人」、「人付き合いや、社会と触れ合い不満を口にする機会の少ない人」、投資、職業、希望、恋人などを失った「8つの失敗者」に対する調査・報告を求めると決めたそうです。これって本当なのですか。

治安のプロである皆さんなら、無差別犯罪の原因が「管理の甘さ」ではなく、「経済の失速」であることぐらいご承知でしょう。テロリストとは異なり、今回監視対象となった人々はそもそも特定が難しいし、経済状況がさらに悪化すれば、その数も等比級数的に増大するでしょう。そんな状況で治安管理だけを強化しても逆効果になるだけですよね。

既に申し上げた通り、問題の本質は経済です。ゼロコロナ政策に基づく「ロックダウン」実施以降、一般大衆に対する監視は一層厳格になりました。他方、コロナが明けても中国経済V字回復は実現せず、不動産バブルがはじけ、デフレが始まり、若年失業率も高止まり。これでは中国経済の失速は不可避でしょう。さらに深刻なのは中国社会にセーフティーネットが十分整備されていないことです。

あれだけ自信満々だった中国の産業人が自信を失っただけでなく、多くの一般大衆も言いようもない閉塞感を抱き始めています。されば、治安当局の努力だけでこの問題を解決できるはずはありません。

問題は想像以上に深刻でしょう。ネット上では「報復社会(社会に報復する)」といった物騒なコピーが現れては削除されているそうですね。

党中央はガス抜きしつつ、管理強化で乗り切るつもりでしょう。でも、いま中国に求められるのは「監視」ではなく、政治・経済的不平等感など中国社会の諸矛盾を少しでも解消し、一般大衆に希望を与えるべく、従来の経済政策を大幅に見直すことでしょう。それまでは、当分皆さまの負担は減りそうもありませんね。ご自愛ください。

敬具