11月5日の米大統領選挙はトランプ候補「完勝」だった。娘夫婦の住むサンフランシスコや旧友の多いワシントンDCは「お通夜の晩」状態だったそうだ。彼らの疑問や焦燥感はよく分かる。ハリス候補は、
等々、友人たちの失望と怨嗟の声が聞こえてくるようだ。
古今東西、選挙は必ずしも「勝つ」必要はない。相手が「負け」ればよいのだから。ではなぜハリス敗北なのか。今年夏、彼女は千載一遇の機会を得た。バイデン撤退によりハリス候補は見事「化けた」。政治家は「時代が作る」の典型だが、選挙では二の矢、三の矢を射ないと、「化けた」政治家の「化けの皮」はいずれ剥がれてしまう。彼女は、
などと批判されたが、準備期間の短いハリス陣営に対し、トランプ陣営選挙参謀は見事だった…。とは言っても、今の筆者の関心はハリス敗北の「内政的理由」ではなく、その「世界史的意味」である。
以前、1930年代の日本と2020年代の中国の歴史は「韻を踏む」と書いた。今回も同様の分析を試みる。現時点で筆者が考える「仮説」は次の通りだ。
より詳しく説明しよう。
近代「民族国家」の誕生は1648年のウェストファリア条約がきっかけだ。欧州で30年続いたカトリックとプロテスタントの宗教戦争が終わり、領土相互尊重と内政不干渉による「民族国家」間の新秩序が始まったからだ。
国家間の争いが地球規模に拡大したのが1914年から4年続いた第一次大戦である。欧州は荒廃し、不戦条約が結ばれ、国際連盟もできたが、ドイツに巨額の賠償金が課され、設立を提唱した米国は国際連盟に加入せず、改革は中途半端に終わった。
39年の第二次大戦が45年に終わり、自国第一主義への反省から、国際社会で改革の機運が復活する。マーシャルプランや国際連合設立で国際主義は定着していった。
ところがソ連崩壊後はIT化・グローバル化が急速に進み、格差と移民の拡大で庶民の不満と憤怒は極左と極右へ流れた。45年以来の啓蒙主義的国際化・自由化政策は否定され始めた。時代は再び「自国第一主義」に回帰しつつあるのか。これこそが「ハリス敗北」の世界史的意味である。
第一次、第二次大戦の「戦間期」は約20年。今度の「戦間期」を80年で終わらせてはならない。そのための戦略を考えることこそが政治指導者の役割ではないか。