この原稿も太平洋上の帰国便機内で書いている。今、米国はトランプ前大統領に対する有罪評決をめぐり国論が分かれ、「法廷戦争」が真っ盛りだ。トランプ氏に加え、バイデン大統領の息子まで銃の違法所持事件で起訴され“参戦”。連日左右メディアが相手方をこき下ろしている。そんな中、筆者は「もしトラ」外交を考えた。結論はズバリ「新モンロー主義」である。
モンロー主義とは、1823年に当時のモンロー大統領が発表した外交政策。ポイントは「米国が欧州諸国に、南北米大陸と欧州大陸間の相互不干渉を求めた」点にある。内容は概ね次のとおり。
(1)米国は欧州諸国同士の紛争には干渉しない
(2)欧州は南北米大陸の植民地独立を承認し、干渉しない
(3)米大陸の旧スペイン領(中南米など)への欧州の干渉は、米国の脅威とみなす
あれ、これって前トランプ政権が目指した外交に酷似してないか。実は筆者はこれを2017年から「新モンロー主義」外交と呼んでいた。
ただ、一部識者はこれをトランプ氏の「米国第一」主義の論理的帰結だという。これには筆者は懐疑的だ。
外務省入省から45年、米国外交は常に「米国第一」だったと筆者は思う。トランプ外交も伝統的米外交と大きくは違わない。違いがあるとすれば、冷戦期とポスト冷戦期、米国がその圧倒的な国力を用い、「自由民主主義」の名の下に世界の紛争に積極介入した時代との違いだろう。
この時代、米国は超大国としてふるまい、一部識者は「米国には『特別の責任』がある」と主張したが、それは米国の理屈。最大の利益を得たのは米国民自身だった。
トランプ現象の本質は「少数派に転落し経済のIT化に乗り遅れた白人非エリート層の不満と憤怒」だが、これはポスト冷戦期以後の米国の地位低下の裏返しとも言える。
1990年代まで米国経済は強力で、国際主義という名の対外介入はそれなりに機能したが、21世紀に入り、その経済力に陰りが見え始め、敵対国、特に中国が台頭するようになると、国際介入主義のコストも増大し始めた。これに対する白人層を中心とした米社会の反応が、従来とは異なる「21世紀のモンロー主義」、すなわち「衰えを自覚し始めた超大国が建国当初の孤立主義に復帰しようとする衝動」だと筆者は考える。
トランプ氏の息子は父親の有罪評決を「米国を第三世界の途上国にするバイデン政権の企み」であり「バナナ共和国(中南米の途上国の蔑称)の法律戦争」だと非難した。だが、その米国を途上国並みの「普通の国」にしようとしているのは他ならぬトランプ主義者たちではないのかね。
トランプ氏の新モンロー主義は、19世紀のモンロー主義とは異なる。当時の米国はまだ途上国で、自国の安全保障に精一杯だったが、現代の米国は、自らの衰えは自覚しているものの、その気になれば圧倒的な軍事力で国益を最大化する能力を持つ。要するに「最強であり続けたいが、軍事的に対外干渉はしたくない」、超大国でも普通の国でもない国家を目指している。
以前の米国なら「自由民主主義」に反する国際問題にほぼ自動的に干渉したが、トランプ政権では全て彼の判断になる。つまりトランプ外交の対外的関与は全て選択的となり自動的ではなくなるのだ。これは中露イラン等にとって朗報であり、同盟国にとっては19世紀以来の脅威だろう。
振り返るべきは1920年代、米国が自ら提唱した国際連盟に、モンロー主義で加盟しなかった時代である。万一「もしトラ」となれば、同盟国は米国の軍事介入を必要とする場合でも、それが「米国」ではなく、「トランプ氏個人」にとって利益となることを繰り返し説く必要があるだろう。言うのは簡単だが、実行は容易ではない。