メディア掲載  外交・安全保障  2024.06.19

政治は「有事」に決断を下せるか

Voice2月号(2024130日付)に掲載

国際政治・外交 東アジア

祖父・中曽根康弘から学んだもの

峯村  中曽根先生は昨年(2023年)5月、自民党青年局のメンバーとして台湾を訪問されていますね。ご祖父であられる中曽根康弘元首相が海軍士官時代の戦争末期に住んだ高雄市の家にも足を運んだとのことですが、どんな思いが去来しましたか。

中曽根  じつは、祖父は晩年によく「高雄に戻りたい」と口にしていたんです。残念ながらその思いは叶いませんでしたが、孫である私が代わりに訪ねて、祖父の足跡を辿れたのは純粋に嬉しかったですし、地元の方々が当時の家をいまも大事に保存してくれていることに感謝と感動を覚えずにはいられませんでしたね。

峯村  私は記者時代、折に触れて中曽根元首相と意見交換する機会をいただき、そのおかげで、政治や外交を見る目やセンスが養われました。

晩年、高雄への思いとともによくお聞きしたのが、中国共産党元総書記の胡耀邦(こようほう)氏との思い出でした。胡氏は1983年に中国共産党トップとして初めて来日しましたが、そのとき、首脳会談に臨んだのが中曽根元首相でした。胡氏は1989年に亡くなり、その死は天安門事件の引き金となりました。彼が埋葬されている江西省共青城市の富華山霊園を御参りしたいと、中曽根元首相は強く望まれていました。私もお手伝いして実現の直前まで調整できたのですが、「政治的に敏感」との理由で最終的に中国政府から却下されてしまいました。

中曽根  胡元総書記もそうですが、レーガン元米大統領やサッチャー元英首相、全斗煥(チョンドファン)元韓国大統領など個人的な関係が深い海外の政治家が多かったのも、祖父の特徴かもしれません。

お互いに一国のトップの座を退いたあとも関係性が途絶えず、子や孫の代まで親交が続いているのは、珍しいケースではないでしょうか。おそらく、祖父は首脳会談の相手をたんなる政治的な交渉相手として見ていたのではなく、人と人との絆をつくろうという意識があったのだろうと思います。

峯村  私は中曽根元首相に一度、気難しい人間も少なくない海千山千の外国の政治家となぜ深い関係性を築けたのか、聞いたことがあります。「本を読んだり人と会ったりして、毎日自分自身のことを磨いているから、それが相手にも響いて懐に入ることができるんだよ」とおっしゃっていたのが印象的でした。

中曽根  祖父は、たとえばサミットでもっとも試されるのは、ペーパーが存在せずマスコミのカメラも入らない休憩時間だと口にしていました。首脳同士はあの時間に、お互いがどれだけの歴史観や宗教観、哲学をもつ深い人間で、誰が交渉するに足る相手なのかを見極めているというのです。自分が薄っぺらい人間であればすぐに見抜かれるわけで、政治家とはやはり人間力が問われる仕事であると再認識させられる話でした。

峯村  ご祖父の生前に直接、薫陶を受ける機会は多かったのでしょうか。

中曽根  どちらかというと、祖父の日常の立ち居振る舞いから学びました。私が大学生のときに突然、「お前と同じゼミ生を集めろ」と言われたことがありました。なぜかと尋ねると「ライスカレーを食べながら、いまの若者の話を聞きたいんだ」と言うわけです。すでに80歳を超えていたのに、いまの学生が日本をどう考えているかを知るため、2時間半ほどかけて一人ひとりの話を聞きながらずっとメモをとっていました。

祖父はアウトプットが得意な政治家でしたが、日ごろからインプットに対しても執着していましたね。その姿からは、じつに多くを学びました。

峯村  私との意見交換の際も、つねにレコーダーを置いて、メモを取られていました。ちなみに、さきほど昨年の訪台についてお聞きしましたが、台湾の要人には誰か会いましたか。

中曽根  今回の総統選に立候補している民進党の頼清徳(らいせいとく)副総統、国民党の侯友宜(こうゆうぎ)・新北市長、台湾民衆党の柯文哲(かぶんてつ)主席とは、それぞれ面会の機会を得ました。共通していたのは中国との関係は現状を維持することと、台湾の「独立」を語る候補はいなかったということ、また日本は「大切な友人」だと口にされていたことです。

峯村  台湾の人びとは日本人が思っている以上に現実的な考え方をしていて、とくにビジネスパーソンは中国との経済的なつながりの重要さを痛感しています。今回の総統選では若者が変化を期待していることは間違いなく、だからこそ民進党のエスタブリッシュメントである頼清徳でなく、柯文哲の支持に流れている構図です。

中曽根  柯主席は非常に冷静沈着で、なおかつ自分の言葉をもっている方だとお見受けしました。ただし、私個人の印象ではありますが、とくに対中関係の話題については避けたがっているように見えましたね。

台湾有事は「世界有事」

峯村  私は昨秋、本誌誌上で「台湾有事シミュレーション」という連載を執筆しました(20239月号~12月号)。もともとはキヤノングローバル戦略研究所で起ち上げた「ポスト・ウクライナ戦争後の東アジア国際秩序研究会」で行なった台湾有事をめぐるシミュレーションをまとめた内容で、8項目の提言をとりまとめました(上図参照←割愛)。とくに意識したのは日本や自衛隊が抱える法律やロジスティクスなど、これまであまり注目されてこなかった問題にも焦点を当てることです。いまや多くの組織や個人が台湾有事をシミュレートしていますが、そのほぼすべては軍事面に特化した「戦争シミュレーション」です。それだけでは実際に有事が起きたときに国民を守れない、というのが私の問題意識でした。

台湾有事の可能性を考えたとき、とくに危ういのが今年(2024年)で、1月に台湾総統選が行なわれるだけでなく、11月には米大統領選が控えています。日本国内では、トランプが返り咲いたとしても、「第一次政権時代に上手く付き合えたから問題ない」との声もありますが、とんでもない誤解でしょう。当時のトランプは外交の「素人」でしたから、一応は共和党主流派の声に耳を傾けていましたが、2期目ともなると大人しくするとは思えない。また、大統領選直後に真っ先にトランプタワーに駆け付けた安倍晋三元首相も、トランプに影響を与えてきた。安倍元首相が在日米軍の駐留経費の問題や貿易問題をある程度はグリップしてきました。その安倍元首相亡きいま、誰が「トランプ2.0」を制御できるのでしょうか。

中曽根先生は202111月から翌228月にかけて防衛大臣政務官を務めていましたが、現下の国際情勢をどう認識されていますか。

中曽根  大前提として、もしも中国が台湾に武力侵攻すれば、日本にも間接的・直接的に甚大な影響が及ぶわけで、その意味で安倍元首相が憂慮されていたとおり、台湾有事とはまさに日本の有事でもあります。さらに申し上げるならば「世界有事」でもあって、半導体の供給が乱れるなど経済的要因もさることながら、リトアニアやエストニアのように、中国の脅威を感じるなかでも台湾への関与を強めている国もあるわけです。決して日米台と中国のあいだで完結する話ではないし、東アジアだけの問題でもないことを認識するべきです。

そのときに私が強く思うのは、わが国は台湾リスクには関係なく、一刻も早く「自立した国」をめざさなければいけないということです。防衛費の議論など国防の観点は言うに及ばず、エネルギーや食糧などの脱依存も進めなければいけない。そうして自助できる国になったうえで、共助や公助という意味合いで同盟国や同志国との関係を強め、中国への抑止力を高めるべきです。

峯村  台湾有事が「世界有事」であるとは重要なご指摘です。台湾がいま世界の最先端半導体の大半を生産しているのは、グローバルな影響力をもちたいという戦略に基づいています。要するに、台湾は意図的に世界を巻き込むことで有事を抑止しようとしているのです。

興味深いのは台湾の世論調査で、彼らは米国のことを信用していなくて、有事が起きたときに米軍は助けてくれないと思っています。他方で、日本の自衛隊は手を差し伸べてくれると考えている。日本人には意外なアンケート結果ですが、台湾の人からすれば、かつての宗主国である日本に期待を寄せることは自然な流れなのでしょう。しかし、当の日本にそれだけの覚悟や自覚があるのか。日本が台湾問題において主体的役割を担わなければいけない立場にいるのは、地政学的にも明らかな事実です。

「武力攻撃予測事態」の認定と政治の決断

中曽根  台湾有事を考えるうえで、私は2つの論点が重要だと考えています。1つは時間軸の長さで、有事がどんなかたちで終結しても、日本の経済は中長期的に破壊的なダメージを受けます。国民生活への影響については、綿密にシミュレーションして見極めなければいけません。もう1つはプレイヤーの広がりで、有事が起きれば政府と自衛隊だけで対処できる話ではなく、問われるのは地方自治体や企業、国民の意志と行動が同じベクトルに向かえるか否かではないでしょうか。

峯村  政治家や役人、あるいは企業の人たちのあいだで従来と比べて台湾有事に対する危機感は高まっています。ただ、まだ理解が不十分だと感じるのは、有事が起きたあとのシナリオを考えていないからです。大前提として、14億人を束ねる独裁者である習近平があれだけ明言をしている以上、台湾有事は近い将来必ず起きます。そのとき、私たちの眼前には、ロシア・ウクライナ戦争とはまったく違う世界が広がるでしょう。台湾をめぐり軍事衝突が起きても長くて半年間、短ければ数日で終わるというのが、私がシミュレーションを重ねて得た結論です。なぜならば周囲を海に囲まれている台湾には、ウクライナのポーランドにあたるような陸続きの隣国が存在せず、中国軍に包囲されれば補給路が断たれてひとたまりもないからです。逆に言えば、中国による包囲を阻止できれば、台湾側が有利に戦局を進める展開になっているはずです。

しかし、どちらの展開に転ぶとしても、中曽根先生が懸念されたとおり、深刻かつ中長期的な影響が日本を覆います。本来であれば、そうした有事後のシナリオについても議論すべきですが、日本では有事そのものに対するシミュレーションにとどまっている。台湾有事について語るだけでリベラル系から批判されていた時期と比べれば進歩ですが、それでも事態の切迫さや深刻さに鑑みれば遅きに失しています。ある米コンサルティング会社は中国が台湾を封鎖した場合に約350兆円の経済損失が生じると試算しています。その被害の大部分は日本で、国民生活に影響が出るのは明らかです。だからこそ、有事への対処には国民の総意があるべきだし、台湾を守るためにどれだけの経済的ダメージを許容できるか、平時のうちにコンセンサスをつくるべきなのです。

中曽根  以上の議論をふまえたうえで、台湾有事について具体的に検討していくと、私が政治の役割として強調したいのが「武力攻撃予測事態」の認定です。峯村先生も本誌の連載で詳述されていましたが、「武力攻撃予測事態」とは「武力攻撃事態には至っていないが、事態が切迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」のことであり、自衛隊は武力攻撃の発生が回避されるようにしなければなりません。

問題となるのは「武力攻撃予測事態」を認定するタイミングです。日本本土にミサイルが撃ち込まれたなどのケースであれば議論の余地はないのですが、たとえば台湾海峡を挟んで武力衝突が起きているものの、まだ日本には直接の被害が及んでいないときには、どう判断するのか。わが国のインテリジェンス能力とともに、政治家の覚悟と決断が問われる場面です。しかしここで決断しなければ、自衛隊も官僚も動けません。

私個人としては、いま申し上げたケースであれば政治が「武力攻撃予測事態」を認定するべきと考える立場です。このようにお話しすると、無闇に中国を刺激すべきではないという意見が聴こえてきますが、「武力攻撃予測事態」の認定はあくまでも国内管轄事項であり、対外的に何かアクションをするわけではなく、中国に反発される謂れはありません。

峯村  私も同じ考えです。「武力攻撃予測事態」を認定すれば中国を挑発することになる、と懸念する声が一部でありますが、そんなことはありません。そもそも「武力攻撃予測事態」とは憲法九条との関係で生まれた特異なロジックだからです。これを中国人に説明したことがありますが、ほとんど理解されませんでした。認定してもそれが何を意味するか、彼らは正確に把握できないでしょう。

とはいえ、台湾有事では「武力攻撃予測事態」の認定がもっとも難しい政治決断になることには変わりありません。人民解放軍の行動原理を研究すると、外的反応を見ながらゆっくりとラダー(梯子)をのぼるように作戦を進める特徴があることがわかります。日本として重要なのは「ゆっくりとラダーをのぼる」段階で「武力攻撃予測事態」を認定すること。タイミングを逸すればいつしか手遅れになり、「戦わずして負ける」可能性が高まります。懸念されるのは、時の指導者が反対派の声に聞く耳をもちすぎて決断を遅らせることでしょう。

国内外で「タブーなき議論」を進めよ

中曽根  だからこそ、国会議員は常日頃から机上訓練でもいいのでシミュレーションに臨み、究極的な場面に際しても思考停止にならぬよう準備しなければいけません。さらに言えば、日本にとってのワーストシチュエーションも想定しておくべきでしょう。

峯村  20231月、アメリカのシンクタンク、CSIS(戦略国際問題研究所)が台湾有事のシミュレーションの結果を公表しました。ほとんどのケースで中国の台湾侵攻は失敗するという結果に注目して日本メディアは報じました。しかし、あのシミュレーションで見逃せない点は「在日米軍基地を正常に使えること」が条件とされていたことです。裏を返せば、台湾軍単独では人民解放軍に勝つことは不可能で、だからこそ中国は米軍を参戦させないことを戦略目標に置いているのです。

そこで中国がプレッシャーをかけてくるのが日本です。たとえば米軍が日本にある基地から戦闘作戦行動をとる場合、米政府は日本政府と事前協議をすることになっています。この事前協議を妨害するため、中国にいる在留邦人を大量に拘束するなど圧力をかけられたら、日本政府はどう対応するでしょうか。事前のシミュレーションもなく、いきなりそんな苛酷な状況に置かれたとき、冷静かつ速やかに決断するのは無理というものでしょう。

中曽根  その意味では、米国ともタブーを抜きにして有事下の連携を議論しなければいけませんね。平時から両国にとってきわめてシリアスなシナリオを挙げて問題意識を共有しておかなければ、有事のパニック状態で建設的に話し合ったり、政治が決断を下したりできるはずがありません。

台湾有事に備えるということは、どれだけ現実を直視できるかという話に尽きます。これだけ差し迫った状況でも、国内および同盟国との議論にタブーを設けているようでは無責任と言うべきでしょう。

峯村  国際秩序の大変革期を迎えているいまこそ、タブーを打ち破ることが求められています。ここでも思い出すのがご祖父の中曽根元首相で、「防衛費は国民総生産比1%以内」という三木武夫内閣の閣議決定を撤廃するなど、前例にとらわれない政治決断や発言は枚挙に暇がありません。しかも、多くの批判を浴びても決して揺らがなかった。

中曽根  身内を贔屓するわけではありませんが、「俺はこの国と国民を守る」という信念と覚悟があればこそタブーを乗り越えられたのかもしれません。

峯村  そのように、自分事として常日頃から国の有事を想定し、いかに守り抜くかを考える姿勢こそ、現在の政治家が見習うべき点ではないでしょうか。

中曽根  台湾有事をシミュレートしたとき、私がさらに懸念しているのが民間との協力体制で、輸送や建設土木をはじめ民間業者の協力なくして国は守れません。とはいえ、企業あるいはその従業員が国防への強い意識をもてるかと言えば、その前に家族のもとに駆け付けたいと考えても責められないでしょう。

世界価値観調査の最新報告によれば、「もし戦争が起こったら国のために戦うか」という設問に対し、イエスと回答した割合は日本が79カ国中最下位の13.2%でした。政治はこれを善し悪しの問題として論じる前に、客観的な事実として受け止めたうえで、有事の協力体制を構築しなければいけません。

峯村  国民の目線に立てば、台湾有事が論じられるときに兵器や戦局など軍事面の話ばかりが繰り広げられては、自分事としては認識しません。だからこそ、たとえ地味に思えても、ロジスティクスなども含めて総合的な台湾有事をシミュレートしなければ、国民を巻き込んだ議論には発展しないし、国の総意としてのコンセンサスが生まれなければ政治だって決断を下せないでしょう。

中曽根  自衛隊のハード面については、202212月には防衛費を2023年度から5年間の総額を43兆円程度とすることが決まるなど、その役割を果たすための体制づくりが進んでいます。ただし同じくらい重要なのは、自衛隊の活動を支える制度や環境などのソフト面の整備です。

峯村  数十年前と比べれば自衛隊への理解度や信頼度は飛躍的に向上していて、「いざというときは守ってくれる」と信じている国民は少なくないでしょう。災害のときには自衛隊は頼りになる存在です。しかしいざ有事が起きたとき、自衛隊の主な任務は敵の撃破であり、国民を保護するために割ける戦力はほとんどありません。国民保護の役割を担う自治体の幹部さえも、「自衛隊任せ」の人が散見されることに私は不安を覚えます。

中曽根  日々、中国の脅威と直に向き合う南西諸島の自治体は意識が変わりつつあるように思えますが、台湾有事が起きれば日本全国に影響が及びます。その危機感は日本全体で共有しなければいけません。

日本だからこそ果たせる外交的役割

峯村  ここまで台湾有事が起きたあとの具体的な事例を検討してきましたが、そもそも有事を起こさせないための外交努力や仕組みづくりの在り方については、中曽根先生はどう考えていますか。

中曽根  アジアひいては国際社会における日本の立ち位置は、間違いなく重要度を増しています。米国を含む西側諸国は、自由や民主主義、法の支配を掲げた価値観外交を進めています。いずれも尊い価値観であることは明白ですが、それを掲げるだけでは世界の分断を食い止められないのも事実です。現にロシアはウクライナに侵攻したわけで、さらに言えばグローバルサウスと呼ばれる国々には、欧米は「上から目線」という意識があるかもしれない。そのとき、日本が歴史的に受け継いできた価値観、すなわち仁徳や思いやり、他者ファーストなどの考え方は、地域に共存共栄をもたらすドライバーになるのではないでしょうか。

より具体的に申し上げるならば、日本は202212月、OSA(政府安全保障能力強化支援)を導入しました。同志国の安全保障上のニーズに応え、防衛装備品などを提供する新たな戦略的な枠組みで、すでに海洋進出を強める中国と対立するフィリピンに対して海洋の監視用レーダーなどを供与する方向で調整しています。日本ならではの価値観とともに、OSAなどを適用して支援することは、相手国に寄り添った連携の在り方で、言わば「日本らしい」着実な取り組みです。その積み重ねが地域の連携を生み、中国への抑止力につながるわけです。まさしく日本唯一の外交的な役割でしょう。

峯村  「日本らしさ」という言葉は、日本独自の外交を考えるうえでのキーワードになりますね。とくに現在の米国のバイデン政権は、新興国に対しても人権などの価値観を押し付けすぎていて反感を招いています。そこで日本が、新興国が受け入れやすい独自の価値観を打ち出しつつ、米国の動きを補完するような外交ができれば、国際的なプレゼンスは上がります。その成功例がクアッド(日米豪印戦略対話)で、先日インドを訪れてインド軍幹部と意見交換した際、米国やオーストラリアは信用していないが、日本が呼び掛けてきたからクアッドに入ったと明かしてくれました。とくに「自由で開かれたインド太平洋構想」に代表される安倍政権時代の外交はインドでも評価が高いことを実感しました。

安倍元首相は日本の独自外交にこだわりをもっていました。この点はアプローチこそ違えど、中曽根元首相に通じる点ではないでしょうか。結果、それぞれレーガン、トランプと対等で親密な関係を築いています。2人とも中国や韓国との関係性に目配りしていた点も似ている。つまりは、決して米国の言いなりにはならずに独自の戦略を打ち立てていたのです。その点、岸田外交は対米追随に見える場面もありますから不安が残ります。

中曽根  私がかつて師事したコロンビア大学のジェラルド・カーティス教授の言葉で覚えているのは、日本の外交は受け身に終始しているという指摘です。日本人はよく「対応する」という言葉を使うけれど、そもそも対応とはあくまでも事後のアクションであり、その時点で後手に回っているわけです。そうではなく、積極的かつ能動的に外交的努力を重ねていくことが、日本と東アジアの安全保障につながるはずです。

峯村  もちろん、日本があらゆる外交的な課題を解決できるかといえば非現実的な話で、米国その他の同盟国・同志国との戦略的な連携が必須です。そのとき、日本が諸外国とタブーを超えて対等に議論をするためには、まずは自分たちの足元を固めないといけない。だからこそ、台湾有事についても、現実を直視して精緻なシミュレートを重ねて十分な備えをしておかなければいけないのです。

台湾有事はすでに始まっている

中曽根  とはいえ、無闇に台湾問題について危機感を煽ることは慎まなければいけません。あくまでも現実に即して、粛々と冷静な議論を呼びかけて、健全な危機意識を醸成していくことこそが、政治の役割であると認識しています。とくにいま、SNSが社会の分断を助長していて、もちろん言論の自由や多様性は担保されるべきですが、断片的な事実が全体の真実であるかのように語られている様子を見ると憂慮せざるを得ません。また、SNS上では表面的な議論が展開されるばかりで、他者を敬うという空気もない。これでは日本から共通の認識や目標が失われるばかりでしょう。

他者を貶めようという風潮が加速するほど、他国に情報戦や認知戦で付け入る隙を与えてしまいます。安全保障の問題とは関係がなさそうに思えますが、いざというときに国民が団結する精神的な基盤や土台をつくっておかなければ、ウクライナのように一致団結して祖国を守ることは難しいでしょう。私たちは平時のいまこそ、協調を意識しなければいけないはずです。

峯村  中国はすでに台湾に認知戦を仕掛けていて、その意味では台湾有事はすでに始まっているというのが私の持論です。ロシアは2016年の米大統領選に介入していましたが、中国もSNSなどをつうじてフェイクニュースを流すことで、台湾を内側から分断しようとしています。無論、日本も法整備なども含めて対応を急がなければいけません。このままでは、有事の際にあっさりと認知戦にやられてパニックに陥りかねません。

中曽根  台湾有事に備えるということは、事程左様にさまざまな要素が絡み合う話で、その複雑な方程式を解く役割を担うのが政治です。あえて極論を申し上げるならば、明日、何かが起きても思考停止せずに日本を守らないといけないわけで、自分たちで物事を動かす勇気と覚悟が求められるし、そのためには準備の重要性が九割以上を占めると言っても過言ではない。裏を返せば、政治が主導して有形無形の準備を進められれば、日本の自衛隊や官僚は優秀ですから、着実に対応できるだけのポテンシャルがあります。

峯村  しかし、もしも台湾有事に適切に対処できなければ、国内経済に甚大な被害が及ぶだけでなく、日本の国際的な評価は地に落ちて、アジアの三流国に落ちかねません。そうならないためにも、自衛隊や官僚、さらには企業や国民がしっかりと動けるような環境づくりを政治家には期待したいところですし、いざというときの決断を下す覚悟をもっていただきたいところです。

中曽根  肝に銘じております。今日の対談では、「もし戦争が起こったら国のために戦うか」という世界価値観調査の結果も紹介しましたが、実際に国民の皆さんと直に接していると、安全保障への関心自体は高まっていると肌で感じます。日本の未来がどうなるかを危惧している人が増えているのは事実であり、あと必要なのは現実に即した議論を共有することでしょう。その意味では、国会議員がいま以上に堂々と、外交安全保障について地元の皆さんと膝を突き合わせて車座で話すことが、遠回りのようで大切な第一歩になるのかもしれません。