メディア掲載  外交・安全保障  2024.05.13

1968年民主党大会の亡霊

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(202452日付)に掲載

米国

最近米国の一部有名大学で学生による騒動が頻発している。イスラエルが攻撃を続けるパレスチナ自治区ガザへの連帯を示す運動らしい。日本では大きく報じられていないが、米国の一部には現下の状況を1960年代の大学紛争と対比して論ずる向きもある。おいおい、それって本当かね? 6070年代に世界で吹き荒れた大学紛争を直接見聞きした世代の人間には到底、同じとは思えない。筆者の見立ては次の通りだ。

■学生の正義感

確かにガザでの死者数は異常だ。抗議活動の主催者は大学当局に対し「イスラエルのアパルトヘイト(人種隔離政策)やジェノサイド(集団殺害)への非難、占領で裨益(ひえき)する企業への投資引き揚げ」などを要求している。

リベラル系コラムニストは「1968年の亡霊:反戦運動が戻ってきた」と題し、「学生たちは68年のシカゴ民主党大会の際と同様の抗議運動を計画しているが、バイデン政権はこれを過小評価しているようだ」と書いた。なるほど、それはそうかもしれない。

■警察の過剰反応

1968年と同様、今回も騒ぎを大きくした原因の一つが大学キャンパスへの警察官投入だった。米連邦議会共和党の一部には、56年前と同様、州兵を動員すべしといった強硬論もある。だが、平和的なデモを物理的に弾圧すれば運動は必ず過激化する。当局が学内の安寧と秩序を優先するのに対し、言論の自由を重視する学生と学問の自由を訴える一部教員たちは強く抵抗する。この点は今も昔もあまり変わらない。しかし、それでも、筆者は学生の運動が「1968年の亡霊」だとは思わない。

■徴兵制の恐怖

今と60年代が最も異なるのは徴兵制の有無である。当時1826歳の米国男性はベトナム戦争に徴兵されていた。一部免除措置はあったが、基本的には大半の男子学生に徴兵の可能性があった。大義のない戦争で死にたくない学生の一部は良心的兵役拒否を、一部は隣国カナダなどへの逃避を選んだ。

ところが今は状況が大きく異なる。米軍は全て志願兵だし、ガザで戦闘に参加もしていないからだ。パレスチナへの連帯を唱え抗議運動に参加する学生には、1960年代の若者のような切迫感、絶望感があまり感じられない。

■世代全体の怒り

だから駄目だ、とは言わない。だが、当時のベトナム戦争は白人、アフリカ系、アジア系、ラテン系など全ての米国の若者にとって人生を左右する大問題だった。米国のある識者は「反戦運動は我々(われわれ)の世代全体の怒りだった」と回想した。それがベトナム戦争世代の最大公約数だと思う。

■共同体の欠如

遺憾ながら、今の米国の若者世代にはそうした連帯感がない。反イスラエル、親パレスチナで世代全体の共感は得られないのだ。陳腐な結論だが、今の分断された米国社会には昔の如(ごと)き最小限の「共同体」意識すら消えつつある。この傾向はコロナ禍以降の大学で特に顕著だという。

■内政の転換期

筆者たちが学生時代から曲をコピーしている「シカゴ」というブラスロックバンドがある。彼らの「流血の日」は1968年のシカゴでの民主党大会に押し掛けた若者たちの「全世界が見ている」というスローガンで始まる。あの曲を聞く度に60年代から米国社会・内政が大きく変遷してきたことを痛感する。

翻って日本はどうか。徴兵制のない日本の若者のベトナム反戦運動は米国に比べれば「ママゴト」だった。これが平和国家日本の幸福なのか、それとも悲劇なのかは、未来の歴史家が判断するだろう。